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教室で上の空だった自分へ

教室で上の空だった自分へ








僕は授業を受けている間、ずっと上の空で過ごしていました。
goo辞書によると「上の空」とは
ー他の事に心が奪われて、そのことに注意が向かないこと。また、そのさま。心が浮ついて落ち着かないさま。ーらしい。

これ、僕だけかな?と思っていたら、ちびまる子ちゃんの作者、さくらももこさんが自伝的エッセイ『まる子だった』で同じような事を書いていました。


「授業中、私はいつでも自己流に過ごしていた。先生の話もみんなの意見も何もきいていないのである」
自分と同じで驚きました。
「では何をしているのかといえば、雑誌の連載漫画のつづきを気にしていたり、自分の欲しいオモチャやペットの事を考えたり(中略)ノートの隅にらくがきしたり、まァいろいろとやる事はあったのである」エッセイより。

これも同じ。常に机の上に自由帳を出して、色んな絵や言葉を書いたいた。そして教科書に落書きしたり、偉人の写真にヒゲやメガネを付け足したりもしていた。加えて白昼夢を見るように、さまざまな事を常に考えていたりして、わりと忙しかった。
そんな自分が普通だと思っていたら、いつしか「変」と言われるようになった。気にしていなかったが、度々言われるので、「おそらく自分は変わっているんだろうな」と、どこか他人事のようにその意見を受け止めていた。僕からしたらそう言うみんなが「変わっている」と思ったが、否定されたようなその言葉が好きじゃないから反論はしなかった。そもそも人間なんて色んな考え方、生き方がある。だから色んな人間がいていいと僕は思うから、あえてその人の生き方を評価なんてしなくていいと考えている。だけど、多くの人はどうやらそれを良しとしないみたいだといつしか知った。

それが理解出来ない僕はおそらく変わっているのだろう。僕は自分がやられたら嫌だから反論はやめている。しかしそれもよくないのかもしれない。僕は基本無口だ。これも理由がある。僕は気をつけないと、「思った事をそのまま言ってしまう」傾向がある。これは貫くのは良くないと判断し、よく考えてから話すように努めている。そしたら、「何を考えているかわからない」と更に言われるようになった。1つ対策を立てたらまた問題が出た。だけど僕は今の所この姿勢をなるべく貫いている。

なるべく人は傷つけたくない。

そして「上の空」は過去形ではない。
現在進行形で僕は常に上の空だ。最近、17LIVEで動画配信中によく絵を描いているが、僕は集中力がある時とない時の落差が激しい。過集中の時は周りの声が一切入らない。小説をよく書くが、書く事に没頭している時はその世界の中にすっぽりと入ってしまう。

白昼夢もよく見る。
その時も、ここではないどこかに意識がよく飛んでいるみたいだ。数えたことはないが、1時間で数十回は違う世界に意識が飛んでいる時もあるらしい。らしいと書くのは、飛んで戻ってきた時には飛んでいた事に気づくが、その回数を計った事がないからだ。これは、わざとしている訳でも、意識してやっている訳でもない。無意識にこうなってしまうのだ。これはいつからかわかっていないが、おそらく幼少期からだと思う。だから僕はこうじゃない自分を知らない。そして短期記憶が苦手な僕は、違う世界にいっていた記憶がほぼない。学生時代はその記憶がノートにあり、最近だとTwitterやブログがその役割を担っている。小説もそう。これは不思議がられるが、僕は自分でブログや小説を書いているものの、その内容をあまり正確に覚えてはいない。書いた小説をたまに読み返した時に、「良い表現だ」と感心してしまう位。登場人物の名前も割とアヤフヤで、ストーリーもうろ覚えである。やばいとは思いつつ、鳥山明さんもドラゴンボールのキャラクターをあまり覚えていないエピソードを知って少し安心した記憶があるから良しとしている。

だから僕はブログや小説を書く。
自分の記憶の機能を担ってくれている感覚だ。読むと思い出すし、書いているのは自分。その時の自分に会える感覚。「やあ、ほんとよく頑張ってきたね」と声をかけたくなる。みんな頑張ってきたとほんと思う。一度きりの人生で、これまでも初めてやる事をたくさんやってきた。学校の勉強もそう、近所のコンビニに一人で行くのも初めはドキドキしたはず。初めてをこれまで幾度も経験してきている。これを頑張ったと言わず、何を頑張ったと言うのだ。みんな気づいていないかもしれないけど、いっぱい頑張ってきたし、今も頑張っている。頑張っているからしんどかったり、疲れたり、苦しんだりしている。休憩も、楽しみも必要だ。それがないとシンドイ。心にも栄養は必要だ。

僕は本を読むのが好きだ。
何度も本に救われた事がある。冒頭にあげた、さくらももこさんの本もそう。自分だけじゃないと知って救われた。広い世界で、価値観の違う世界にぽつんと一人生きていたと思っていたんですよね。本は良い。様々な価値観に出会えるし、様々な人生を体験出来る。学生時代は図書館に通いつめて本を読み漁った。僕はよくnoteを書いているが、書いていて良かったと思う事がある。例えば、同じ病気を持って生まれた子の親から連絡があった時は。「元気に大人になっている人を知ってすごく勇気が出たし嬉しい』と言われて、すごく嬉しかったのです。これ、僕か病気を公表している理由でもあります。書く事、発信する事で心を救えるのは、教室で上の空だった自分だからこそだと思え、肯定された様で僕の心も救ってくれたのです。ありがとう、ありがとう。

僕は、自分の様に幼少期に手術や闘病を経験した人の気持ちがわかる。空気は大人になった今も読めないけど、こういう人の気持ちは当事者だからわかる。12年間、子供の頃に検査の為に通院するってどんな時間だったか、体にある大きな手術跡への想いもわかる。

教室で上の空だった自分へ

あの日あの時夢に描いた、日本中の病院にホスピタルアートを広めるという夢、1つ1つ実現して、確実に叶えていけているよ。思うだけ、願うだけから、行動に移すまで随分時間はかかったけど、まだまだ頑張るよ。

BASEでホスピタルアートで展示もした写真をポストカードとして販売しています。この収益はホスピタルアート活動にあてさせていただいています。*現在病院への展示は無償でさせていただいております。


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ホスピタルアート活動のオンラインサロンを作っています。日々の試行錯誤を記事として投稿しています。スタッフとしての参加も大歓迎です。記事を読むだけの応援も大歓迎です。


プロフィール


大阪でダイビングショップしています。最近、テレビ番組で取り上げられました。冬も冬用スーツを着たら寒くないので年中関西の海でダイビングライセンス講習を実施中




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