ほのほの巻/広島県大崎上島

故郷を離れ島に移住するまでの、人との出逢いを書いた『たどり着いた島』そこから始まる新た…

ほのほの巻/広島県大崎上島

故郷を離れ島に移住するまでの、人との出逢いを書いた『たどり着いた島』そこから始まる新たな 島暮らしの中で、時に昔を振り返る様にエッセイを書いています。読んで感想頂けると嬉しいです。^_^

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  • ライフストーリー

    短い文ですが毎日更新して行きます。読んで頂けると最高に嬉しいです。

  • たどりついた島

    長男が18歳になった時、私はふるさとを離れ旅に出る事にしました。 そこから島にたどり着くまでの様子を簡単なエッセイにまとめました。 楽しく読んで頂けると最高に嬉しいです。

最近の記事

女性に生まれて来た訳は?

私は子供を産んでみたくて、女性に生まれて来たんだと思う。 小学生になると少女漫画「ちゃお」を愛読し、恋愛マニアになっていたけれど、ある日そのちゃおを買うのを我慢して「おしゃれ図鑑」という本を買いました。永久保存版だったその本は、頭の先から足の先までの身だしなみと、お出かけする時のマナーも詳しく書かれていた。私は夢中になって、毎日のチェックリストをするくらいそれにはまったのです。 そんなおませな私は、20歳を過ぎると「出来ちゃった子供!」好きな人との子供だからいいけど、産ん

    • マヤ歴を使ってみると

      そもそも決まりきった時間の使い方が子供の頃ほんと嫌だった。 どうしたらそうじゃない世界に行けるか知りたかったんだ。 「まき。9時には寝なさいよ。」母に言われて小学生の私は意味が分からなかった。小学校に行くと時間割があってチャイムが鳴る。それに従って皆が行動する。そんな時間の中では時に気分が悪くなった。 中学生になって、勉強が好きじゃなくなるとますます学校には行かず、私は部屋に閉じこもり、 音楽を聴く事が唯一の楽しみとなった。そして家に居づらくなると、今度は友達の家へ外泊する

      • さくら

        「さくら」と聞くと森山直太朗の「さくら」という曲を想い出す。 当時、私は3歳の娘と1歳の息子を連れて石川県で新生活を始めていた。 金沢の街から車で山手に30分、湯涌温泉で一軒家を借りた。 当時の夫から、自立したいとの思いで始めた暮らしでは早々と仕事を決め、子供たちを保育園へ預けた。 20代前半からの子育てと、仕事、夫婦生活はわからない事だらけだった。 そんな慌ただしい生活の中で、ママ友が出来た。彼女は年上で古民家を改修したお洒落な、薪ストーブ付きの家に暮らしていた。娘同士も同

        • レイキアチューメント

          最近、知り合いが交通事故に巻き込まれて なんと「くも膜下出血と頸椎損傷」で夜寝れなくてつらいと連絡が入った。 昨年は昨年で、大切な人が自ら命を絶つという信じられない様な出来事が起こった。それから「私は必要な時は出し惜しみしないで、人からなんと思われるとかも気にしない。レイキを活用しよう」と思っていた。 今日、事故にあった友人に会いに行ってきたよ。そしたらね。ぽつぽつと話す内容がなんともつらかった。ずっと頸椎は悪くてね。病院で貰った薬を12年も飲み続けたんだって。ブロック注

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        記事

          春の自然の営み

          ある春の日、昨年結婚した友人が夫婦でお昼ご飯を食べに来た。 そこで、献立を何にしようかと数日考えた。せっかくなら、旬の食材を使って作りたい。魚が食べたいという、友人からのリクエストがあったので、鯛のハーブグリルと、山菜の天ぷら、ひじきの重ね煮に決めた。どれも地元の旬の食材を使った料理である。 当日の朝、山尻にある野菜畑に向かった。そこは自宅から車で20分ほど走った山間のところにある。車を停め畑に向かう。目当ては、数日前から収穫を楽しみにしていた「タラの芽」だ。高く伸びた枝は、

          春の鳥たち

          近くに住む私の父は春になるとウグイスの話をよくしている。 今年はそんな父とはあまり頻繁に会うことがなくなり、夫との日常を過ごしていた。そして同じ頃、夫は何故かトンビの話をする様になった。 「トンビがいつもあそこにいて餌付けしたいんよ!」「?」夫は無口なくせに変わった事を言う。しばらくすると双眼鏡が届いた。これでバードウォチングするのね。「はいはい、わかりました。」 今年はその頃から、運動不足の解消の為に夫婦で歩き始めた。 朝の習慣の1つとしては健康的で満足している。 〈一

          レイキのアチューメント(霊授)

          前回の記事を読んだ友人から、レイキのアチューメントって何?!という質問があったので、私なりになりに書いてみようと思います。 氣とか無意識の世界をイメージしながら、読んで頂きたいです。 最初にレイキを使える様にする為、ティーチャー(私)が手順に沿って手印を組み、行う儀式がアチューメントです。もともと日本では霊授と呼ばれていましたが、レイキは日本よりも海外に長く普及した歴史がある為、アチューメントと説明される事も多くなりました。アチューメントは、初伝の場合4回行います。受け手の

          レイキのアチューメント(霊授)

          不思議なちから

          20代前半に結婚し、生活のことと子育てに懸命だった。早かった結婚生活では、家族が病気になった時、特にわからない事が多く困っていた。 そんな時、たまたま出逢った「レイキ」が私に不思議なちからを授けてくれた。 当時の私はいくつかの仕事をもっていたが、アロマセラピストとして自宅サロンもしていた。アロマセラピーは植物のオイルを調合し、体に塗布しながらマッサージを行うセラピーである。 そんなある日、大阪の友人の紹介でレイキの先生と出逢い、最初のアチューメントをして貰った。するとそ

          葛藤するわたし

          もし私が歌姫と呼ばれる程 歌が歌えたら もし私が皆が聴いてみたいと列を作るほどの はなし家だったら そんなことを思いながら 今日も力を振り絞って起き上がる 夢中でしていた仕事はそこにおき 領収書を握りしめて友人宅へと向かう 何がしたいのか もはや自分ではわからない 今年に入って 英会話オンラインスクールが面白い 言葉を超えて想いが通じると コミュニケーション力がついてきたのではと錯覚し 自分なりに納得する 深く沈み込む感覚から目を覚まし 軽快に過ごせる日

          風のような人に私はなり この想いを届ける 島で暮らしていると 私がそうしたように ふらっと現れる人がいる 意気投合して仲良くなり またふっとどこかに行ってしまう 物を持つことはそれほど重要ではなく 自分の感覚こそが大切だ 感性が豊かで身軽な そのような人に私もなり あなたにこの想いを届ける いつか私も風のようになり ここからいなくなる

          蕎麦サラダ

          久しぶりに重ね煮を作った。 重ね煮とはある自然食の基本の型である。 数年前に宮崎県の親友を訪ねた時頂いた「わらのごはん」という本に詳しく載っている。 さて昨日はその「わらのごはん」の中から蕎麦サラダというものを作ってみた。 まずは重ね煮。油をひいた鍋に椎茸、玉ねぎ、にんじんを入れ塩を一つまみ。あとはビタミン愛を入れて蓋をして蒸すだけ。 弱火で蒸して焦がさないように気を付けて。 その間に合わせ調味料を作る。 まず梅酢半分、醤油1、白練りごま半分を混ぜて置く。そして主役の蕎麦50

          第8話 自由な母の夢ノート

          この写真は【あい農園】に先日行った時のものです。うちの会社の元気な財務担当柴田さんが映っています。 広島市内のクロワッサンというお店で買った【しょうが】が美味しかったので、レシピを綴ります。広島県の三次の生姜です。新鮮で香りがよく辛みもあり、美味しくて美味しくて、後で【makicomショップ】と【シマカラ食堂】でも取り扱いが出来るかを問い合わせてみよう。 ①【梅しょうがひじき】 わらのご飯の重ね煮の手順で、玉ねぎ、揚げ、ひじき(天日塩少々)を重ね煮したのち 最後に梅干

          第8話 自由な母の夢ノート

          なぜ私がこのお店を始める事になったのか?第3話 家族の想い

          昨日も、仕事の打ち合わせは絶えない。こんなに意見を求められる日がくるなんて、自分でもびっくりしている。 今日は私の家族の話をしよう。 父は末っ子で、上にお兄さんが2人いたらしい。が、悲惨な事に戦争に行って帰って来たら、気が狂って結局亡くなってしまった。こんな衝撃的な話を数年前に初めて聞いた。 だから父は「自分は何があっても死ねない」と言った。 母は、越前の雪国の生まれである。子供の頃、あまり裕福ではなかったようで、家族の為に尽くすといった真面目な性格だった。 私の知

          なぜ私がこのお店を始める事になったのか?第3話 家族の想い

          たまみら現実化ライフコーチ養成講座 10回目 2/10

          11月から始めた長期講座【たまみら現実化ライフコーチ】 の講座10回目が昨日終わりました❣ 今まで3か月間で月に3回ペースで進んで来たこの講座。 今になって何だか楽しくなって来ました。嬉しい~お祝い~!😊😊😊 それは昨日、公式ページを作ったり、ライブ中継の練習をしたりしたからです。ライブ中継している自分を見て「めっちゃ緊張してるや~ん」と思って笑ってしまった。それでもやっぱり島の美しい景色や豊かさを伝えたい。 という想いがあります。植物の芽吹きも自然になっている果実

          たまみら現実化ライフコーチ養成講座 10回目 2/10

          なぜ私がお店を始める事になったのか?第2話

          〇〇年前の話です。私はシングルマザーでした。 どこで暮らし何を仕事にしよう?という不安を持ちつつも子供たちは成長し学校に通うようになって、私は出来る仕事をしながら生活を送らなければなりません。 その頃、私には大切にしていた事があります。それは自然環境の中で暮らす事と、ヒーリングを学び自分やまわりの人を癒す事でした。子供達には毎日手作りのご飯を作り、友人との時間を大切にしました。その頃、自然が近くにある事は私にとっては貯金が沢山あるよりも大切だったかも知れません。 そして

          なぜ私がお店を始める事になったのか?第2話

          なぜ私がお店を始める事になったのか?第1話 一度目の結婚

          前回のライフストーリーでも書きましたが何度でも書きます。〇〇年前の話です。私は23歳で結婚し第一子娘を出産しました。 当時の結婚生活については、何の計画性も経済力ない状態からの暮らしが始まります。あえて言うなら【自給自足】と【ベジタリアン】という暮らしの目標があったかも知れません。当時の旦那さんは林業をしたり、農業をしたり、、、。 旦那さんに定職がなかった事に不安はありましたが、妊娠と共に始まった結婚生活でもあり、娘が可愛くてご飯をパクパクとよく食べる姿をみていると苦労を

          なぜ私がお店を始める事になったのか?第1話 一度目の結婚