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たどりついた島

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長男が18歳になった時、私はふるさとを離れ旅に出る事にしました。 そこから島にたどり着くまでの様子を簡単なエッセイにまとめました。 楽しく読んで頂けると最高に嬉しいです。
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記事一覧

スローなカフェ①

1度目の滞在 広島の瀬戸内海に面した町竹原、その街並み保存地区にある(スローカフェなかざわ)…

初めてのボラバイト

インターネットのサイトで、ボラバイトを見つけた。4月から旅を続け、所持金が少なくなったの…

畑の冷泉

(畑の冷泉とは、福岡県豊(ぶ)前市にあり、九州3名水に数えられる) 食堂をしたいと思った私は、…

大崎上島上陸物語の始まり

大崎上島に上陸。トマト農家でボラバイト。 トマト農家の会長と対面。 『や~。や~。君どこか…

スローなカフェ②

二度目の滞在 五月に私が蒔いた〈ひまわりの種〉は、成長しているだろうか。花は咲く頃だろう…

平田観光農園

高知→福岡→大崎上島→竹原→三次と移動の住み込み生活をつづけていると、そろそろ自分で止ま…

あとがき

 2018年夏、清風館で2か月間勤務ののち、この大崎上島での移住生活を決意。その年の12月20日、故郷の母は、くも膜下出血で倒れ救急搬送される。  倒れてから2か月と10日、意識の戻らない状態が続き、私と兄は母の日記を手にとり読み始めた。そこには母の生活の様子が綴ってあり、意思表示があった。 【延命治療はしないで下さい。】母の記した通り延命治療はしなかった。 母は潔く行ったのだ。 長年営んで来た家業を終えたその日に倒れるなんて、、、いろいろな想いが私の中で起こされて、最後に、