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なぜ良かれと思っての支援は徒労に終わるのか?本当の支援に必要なこと。

ある日、私は車を運転していた女性から自宅の外でこう尋ねられた。「マサチューセッツ通りはどちらですか」。目的地はどこなのかと尋ねたところ、彼女がボストンのダウンタウンを目指していることがわかった。そこで私は、あなたが走っている道はダウンタウンにまっすぐ通じているので、マサチューセッツ通りに向かう必要はないですよ、と指摘した。女性は何度も礼を述べた。自分が訪ねた道に行かされなくてすんだからだった

「人を助けるとはどういうことかー本当の『協力関係』をつくる7つの原則」P23

不思議なことに、どんなことであっても、支援を求められたときには、何らかの形で応じるか、あるいは正当な理由をつけて断らないと気まずい思いをすることになる―そんなふうに本書では述べられています。確かにそうですよね!

そしてその裏側には、「支援する者」という権威者と、「支援される者」という弱い立場の者という、権力関係の機微も生じてきます。それも影響してか、「支援は求められなければ成立しない(押し付けは機能しない)」という現象にもなってきます。

それは「道を尋ねる」といったインフォーマルな支援関係はもちろんですが、コンサルタントやコーチ、カウンセラーのような契約関係に基づくフォーマルな支援関係にもあることです。そして身近な家族関係や教師と生徒の関係などでも、同じく複雑な支援関係の機微は発生してきます。

さて、支援をするうえでは、「相手が本当に支援を求めていることは何か?」を特定することも重要になってきます。上記に引用した例で言えば、もし言われた通りにマサチューセッツ通りへの道を教えていたところで、相手には何の役にも立たなかったことが分かります(本当はただこのまままっすぐ行けば目的地に着いたのだから!)。

これは従来的な教師やコンサルタント的な役割の人が陥りがちな罠でもあります。立場や権威などを用いて問題を決めつけ、「あなたに足りない考え方はこうだ」と情報を押し付けたり、「あなたはこうすれば問題を解決できる」と解決策を処方したりしたものは、結果的には何の役にも立たないのです。確かに、そんな状況は私自身もいくらでもこの目でみたことがあります。

コーチやカウンセラーなど対人支援職への苦情も、よくよく話を聞くと結局は同じようなケースであることが多いです。対人支援をする側がしっかりクライアントに焦点を当てずに、自分が思うクライアントの問題点を押し付けたときに齟齬が生じやすくなります。

そして同じような構造はもっといたる所で発見することができます。「リタイア後の経験豊富な人材」が現役世代から必要としてもらえない。なぜか上手く機能しない社内メンター制度。解決策を押し付け主体性を奪ってしまう親や上司たち。

全ての問題は、支援する側が安直に「情報を提供する専門家」「診断や処方をする医者」のような役割を取ることによって発生します。

それに対し、本書ではこれらの役割に入る前に、まず最初に「プロセス・コンサルタント」の役割を重視すべきだとしています。それは大枠で下記のようなものになります。

クライアントの要求の内容は無視されないが、支援者はまず、態度や声の調子、環境、ボディランゲージ、ほかにも不安や信頼の程度を示す手掛かりに注意を払うことによって相互の関係がどうなっているかに注目する。目的は互いの立場を対等にし、クライアントも支援者も無知をなくせるような環境を作ることだ。

同書P108

支援を求められる問題とはあくまでクライアントの中にあるものです。誤解を恐れずに言えば、本質的にクライアントの問題は支援者の問題にはなりえません。そこでしっかりとクライアントの主体性を尊重して励ましていくことで、本当の問題が何かを特定していくプロセスなんですね。

このプロセスを経ない支援は、徒労に終わる危険性を大いにはらんでいます。そこで、目の前におかれた問題以外の「無知」にも視野を広げることで、お互いハッピーになることを目指すのが「プロセス・コンサルタント」としての役割なんですね。

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そういう意味では、コーチングの立ち位置は「プロセス・コンサルタント」にかなり近いものになります。

もし既に問題が特定されており、情報や処方箋さえあればOKというときには、その分野の専門家の方に支援を依頼をしてください。

一方で「十分に問題が特定されていないが、なんだか違和感があったりモヤモヤする」とか、「問題が特定されているはずなのに解決に向かわない」というような時は、コーチングのアプローチが必要な可能性が高いです。

そんなときはぜひ体験コーチングをご依頼ください^^


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