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「◯◯しなければお前はダメだ」って本当ですか?

「◯◯しなければ(◯◯でなければ)、あなたはダメだ(価値がない)」という構文、周囲でよく見かけませんか?

  • 勉強もできないような奴は社会で通用しない

  • 親を敬えないような奴は人としてろくでもない

  • 甲斐性がなければ男としてダメだ/子育てをキチンとできないのは母として失格だ

まぁ思いつくものをあげるとキリがありません。そして、「もしかすると自分も使っているかも」と少しドキっとしたりもします。

それにしても凄くインパクトが強いというか、言われたりするとザワザワしたりモヤモヤしたりする構文です。これって何なんですかね?


マーケティングでよく見かける構文の一つ

「◯◯でないとあなたはダメだ」という意図を込められた言葉は、とても気を引きます。なのでマーケティングでもよく使われていますよね。

例えば「◯◯なんてしてたら稼げないよ(だから私のサービスを受けなさい)」や「◯◯は△△として失格です!」といったメッセージはSNSなんかだと非常に見かけます。YouTubeかんかも無法地帯レベルのサムネ煽りですよね。これらは良いか悪いかはさておき、マーケティング上のテクニックとして意図的にやっているんですね。

今は情報があふれかえって認知獲得競争も激しいので、どんどん過激化していきがちです。相当インパクトのある言葉を突きつけないと、そもそも振り返ってもらいにくいからです。

そう考えるとこの「◯◯しないとあなたはダメだ」という構文、かまってちゃん構文なんですよね。あなたのことを好きで注意を惹きたいから使っている言葉。そう考えるとなんだか見え方が変わってきますねw

社会や他者の規範を植え付けるプロセス

とはいえもっと日常的には、個人に社会や他者の規範を植え付けるためのプロセスでもあります。

例えばもう10年くらい前ですが、とあるベテラン保育士さんと話していたとき、こんなことを仰っていました。

「男の子がトイレでズボンを全部降ろすんじゃなくて、チャックからおしっこを済ませられるようにしたうえで小学校に行ってもらいたい。」(ズボンを全部降ろしてトイレをするようじゃダメだ。)

半分冗談の半分真面目という感じですが、教育って要は何事もこういうものですよね。後工程のために人を型に嵌めていくプロセス。「〇〇するようじゃお前はダメだ」というメッセージで行動に制約を課していきます。そうやって友達との関係づくり、トラブル回避の儀礼的方法、社会人としての模範的ふるまいなどを学習させていくんですね。

これによって一定の社会的秩序は保たれています。確かにほとんどの人が全裸で道を逆立ちしながら走り回ることはありません!(なぜそれをしてはいけないのか?と哲学的に問われると回答に窮しますが)

一方で同時に、男/女としてのどうあるべきかというジェンダーや、リーダーや上司としてのあり方、部下や後輩としての気の使い方など、秩序なのか息苦しさなのかよく分からないものも植え付けられていきます

だからこそ、「何が私の外側からやってきた規範なのか」というところは、可能な限り意識的に取り扱っておきたいところです。

実は自分を制約している要件を表現したもの

そして重要なのは、人に「〇〇しなければお前はダメだ」と言っているとき、それはその人自身が植え付けられている規範を表現したものでもある、ということです。

例えば、「〇〇もできないようなヤツは社会で通用しないよ」というようなことを言う場合、「〇〇という条件をクリアできなければ存在を認めてもらえない」という世界観の中で生きている可能性があります。

そう考えると、実は少し違った捉え方もすることが可能になります。「〇〇しなければお前はダメだ」というのは、言われた側に突き付けられた条件ではなく、それを言った側が意識的にか無意識的にか認識している自分自身の存在が許される条件なのかもしれないということです。

そしてそれが意味するのは、その人にとっては、他の人が言われたら心がザワザワ、モヤモヤするような不快感情の中で生きている状態がデフォルトなのかも…ということでもあります。

そうすると、なにか深い傷のようなものも見えてきますね。首を吸血鬼にかじられてしまった人が、自分もまた吸血鬼になってしまったかのように。

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とはいえ、こういった自分への制約は誰しもがたくさん持っています!私自身もそうです。

そういったものに一つでも多く自覚的でいられると、余計なことにエネルギーを使わずにいられるので、目の前のミッションに対してより全力投球できるようになります!

そのためにコーチングもご活用ください^_^


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