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予測不可能【2023年3月1日(水)】

2023年3月1日 晴れ

夜な夜な、本を読むのは、読書の秋以降、日課になっていて、いまの私の生きがいになっているのだが、人間とは?とか、世界とは?とかいった、本質的なところに触れてみたくて手を出した、ルソーさんを始めとした哲学書の類を読むのは、とぉ〜っても疲れる。

今までの不勉強がたたって、知らないことが多すぎるので、アリストテレスやら、デカルトやら、ルソーやら、マルクスやら、ニーチェやら、フロイトやらやらと、やたらめったらに気になった書籍を並行して読んでいるので、さらに頭が混乱している。

本当に混乱しているので、何もアウトプットできないほどなのだけど、でもわからないながらも、読む度に、もう毎ページ、生きる上での何かしらのヒントを与えてくれるようなのが、これら偉人たちの著作であり、やめられない状況が続いている。

理解を試み続けることが、きっと私の血肉となると信じて、向き合うことを続けていきたいと、毎月読みたい本が積み上がっていっているわけだが、そんななか、先日、じぃじから、読んだからこれあげると、1冊の本を引き継ぎ、さらに本が積み上がった。

自然とともにあったはずの日本人の感性は失われ、私たちの身の回りから、虫や動物たちが消えていく。身体に刻まれた原初の記憶を、いま思い出す時がやってきた。解剖学者と霊長類学者が<虫とゴリラ>の目で、人間の世界をとらえ直し、自然との新たな共存の道をさぐる。「世界を支配する力を得た人類は、生きものを失った思考の中で、実際に生きものを滅ぼしてきた。これからの存続が危ういのは、虫とゴリラだけではない。ヒトをそこを加えるべきなのである。それを防ぐには、皆さんの考え方を根本から見直してもらわねばならない」(まえがき)

毎日新聞出版より

対談形式で読みやすいので、積み上がった岩波文庫は、ひとまず放って、こちらを読む。読んでいて眉間にシワが寄らないのが、非常に嬉しい。ありがたい。

話されている内容は、とても難しいことだけれど、うんうんと読み進めていけるのは、哲学書に向き合っている時間が無駄ではないと感じる、些細な瞬間だったりする。

昨日もこの本を読んでいて、<今や、システム化した情報世界の中に入ってるのが本人になり、現物の本人はノイズになっている>と書かれていて、ドキッとした。例えば、医学における「カルテ化」は、自分のデータと他人のデータが照合されることにある。もはや治療台の上に現物の本人はいないということだけど、<ノイズ>という表現が恐ろしい。

また、自然もカルテ化して、いまの野生動物や森林の状態を把握しようという話があったが、山極さんは反対したそう。自然はそんなのものではない。予測を超えて動くものだと。いま自然が大変なことになっているのは、<予測できなかったから>というのは違うと思う、と。

私自身、社会に出てから数字を比較したり、積み上げていくのが好きな時期があったが、いまはやや違和感を感じていて、それも大事だけど、そういったことより、想いとか、感覚とかの方が大事だと思っていて、というような話にも近いのかなと思って読みながら、昨日はめずらしくヨギボーで寝落ちした。

私がいまnoteやインスタ、ブログ等で発信している何かも、全て数値化されていて、その数字を見ること自体は嫌いじゃないんだけど、それは参考程度にとどめて、それよりなにより自分が発信したいと思うことを、楽しみながら粛々と続けていきたいなと、改めて思ったりしました。

そんな感じで、今朝も、まさに予測不可能な二人の子どもたちとの時間が楽しい。長女は、今日、あまり好きじゃないはずの学童の運動系のイベントに参加すると言うし、長女を見送りにエレベーターの方まで行ったら、後ろから爆笑しながら、次女が追いかけてくるし(たぶん驚かせたかったんだろうと思う)、その次女は、なぜか半袖だし。

予測不可能なことをやっていけたらいいなぁ。

いただいたサポートは、もちろん未来ある子どもたちへ投資します。 もしサポートをいただけたら、具体的にどう子どもたちに投資し、それによってどう子どもたちが成長していったかの記録をしていくのもいいかもしれません。