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食のありがたみに触れること(摂食障害の夫婦の夜ご飯)

ご無沙汰しています、泣き虫パン子です。

今日はふと、何気ないことですが
「食べる楽しさ」を感じた時のことを
文字にしてみたくなりました。

それにしても先週は
全国的に雨が長く降り続きました。
ある意味、いつもとは違う「不自由」で
気持ちがリセットされたようにも思います。
オレンジの朝焼けも青空も
毎日の地域の人たちとのおしゃべりも
「ありがたいこと」だったんだと
あらためて気づかされました。

この前は雨上がりの空に
虹が二重に架かり、
HAPPYな気持ちになりました。


話に戻ります。
私は結婚を期に心を休ませるため
田舎のほうへ移住したのですが、
この夏は地域の方から
いろんな野菜をいただきました。

毎朝、70代~80代の方たちと公園で
体操をしているのですが、
みなさん本当にお元気で
家庭菜園や畑を趣味でされてる方が多いのです。

ミニトマト、キュウリ、ナス、ミョウガ、
トウモロコシ、豆、オクラ、ビワ、などなど…。
どれも採れたて。
みずみずしくてやわらかい。

おすそ分けしてくださる時の笑顔を見ると、
それまで「食べること」に
ネガティブになっていた気持ちも晴れて
「食べてみたい」「作ってみようかな」
という気持ちになります。

ゴーヤをいただいたら
チャンプルーや佃煮にしたり、
よくいただく大葉は
耳男くんのお弁当の卵焼きに巻いたり
カツオのたたきにのせたり。

いただいた野菜、
教えていただいたレシピでつくる料理は
ワクワクして嬉しい気持ちになりますし、
立派な野菜になるまでの
育ててきた愛情のことを想うと、
「食べること」への
感謝が自然にこみ上げます。

散歩の帰り道には
畑のおじちゃんが趣味で育てた
新鮮な100円野菜も売っています。
「今日は何があるかな?」と
旬の野菜を買って帰るのも楽しみです。

特にとうもろこしは
「ください」と言ってから
畑から採ってくれるので
とっても新鮮で美味しかったです。
耳男君もお気に入りで、
スーパーで買ってきたとうもろこしを出すと
「なんか味が違う」と言います。
味音痴の耳男君でも
違いが分かるんだなあと面白いです。

また、野菜だけでなく今夏は
てづくりの梅干しや梅シロップ、
てづくりヨーグルト、てづくりピクルスなど
お手製の食もみなさんからいただきました。

「わたしのためにつくってくださったんだな」
そう思うと
より美味しく感じますし、
ひと口ひと口大切にしながら食べたくなります。

「美味しかったです」と伝えると
「特別よ」とこっそりまたくださったり、
みなさん本当にやさしいのです。

心から今の環境に感謝です。

最近は80歳のおばあちゃんから
てづくりのバジルソースをいただいたのですが、
パスタに和えたら絶品でした。
バジルの葉もいただいたので
鶏肉とミニトマト、
最後にバジルで飾り付けしたら
お店みたいになって
テンションが上がりました。

無くても困らないけど
あると食べるテンションがあがるものって
心の栄養になるように思います。

翌日お礼を伝えたら
「ソースにはクルミやナッツを入れてるの」
「鶏肉をパリパリに焼いて、
それにかけても美味しいよ」
とレシピや洋風なアレンジを
いろいろ教えてくれて、
私の思う「おばあちゃん像」がいい意味で
崩れました。

一昨日は、お家で育てたという
イタリアンパセリをいただいたのですが、
それがとっても
可愛いかったです。
野菜サラダの上にパラパラとのせるだけで
一気にサラダがおしゃれになります。

それを伝えたら
「そうなのよ。
一気にお料理に華が出るでしょ?」
「おしゃれになるよね!」
「私ね、育てるの大好きなの!
お庭が狭いからプランターだけど
成長を見るのが楽しくてね。
ハーブもお花もいろいろ育ててるの」
と、おばあちゃんの心が想像以上に若くて
とっても会話が弾みました。

「美味しいものをつくってみたい」
「お花を育てたい」
理由はなんでもいいけど
「好奇心」って
心の若さのカギなんだなと思いました。

そして
その話を聞いていた他の方が
「私も来年、
イタリアンパセリ育ててみようかな」
「他にどんなもの育ててるの?
○○さんのお家に見に行ってもいい?」
と話が広がって
そんな「美味しい」の伝染も楽しく感じました。

それにしても移住して
こんなに温かい出逢いがあるとは
思ってもいませんでした。
家族と離れた私にとって
第二の故郷のようにも感じます。

体操の休憩中には
よく食べ物やご飯のレシピの話をするのですが、
「買う」ではなく「てづくり」が
当たり前の世代の方たちの話は
興味深くて
いろんな発見があって楽しいです。

お盆前は
「孫がくるから何つくろう」
「手間はかかるけど、喜んでくれるから
てづくりしたいて思うのよね~」と
みなさん楽しそうに笑っていました。
その光景を見ながら
「私のおばあちゃんも
そういう気持ちだったのかなぁ」
と遠くの祖母の笑顔、
子どもの頃のお盆の集まりを思い出しました。

結婚する前はあんなに
食べることが怖くて怖くてたまらなかったのに
「食べることへの恐怖」が減ったのは、
こうした地域の人たちとの
心のやりとりのおかげでもあります。

「自分のために」
「誰かのために」

愛を感じること
愛を注ぐこと
そんな何気ない「愛」のやりとりで
「食べることへの恐怖」が
少しずつ減るのかなと思いました。

そして
「怖い」や「不安」を乗り越えるパワーの源は
やっぱり「愛」なのかもしれないなと
改めて思いました。

愛されている実感や
誰かを愛する想い。

かたちはないけど
心で感じる「愛」が
「恐怖」や「不安」で満たされていた
ハートに浸透して、
だんだん
「恐怖」や「不安」が減っていって、
いつの間にか「愛」の量が多くなって
自分が自分を愛する力に
なるのだと思いました。

今、私の症状が回復しているのも
たくさんの人からさまざまなカタチの
「愛」をもらったおかげです。

そして
小さな「愛」や「幸せ」に気づける
❛心の余裕を保てる環境❜に
いれるおかげです。

いつも遠くから見守ってくれる家族、
隣で歩んでくれる耳男くん、
本当にありがとうございます。

そして、私個人の経験談にはなりますが、
「食べることの怖さ」を減らすには
単純に
「食へのありがたみ」を感じる場面を
経験することも
効果的なんだなということが分かりました。

もちろん、
「食べたら太る」とか
「痩せてないと価値がない」という
体型に囚われた心を解放していくことも
大事ですが。

誰かが育てた野菜をいただくとか
自分で育ててみるとか
果物狩りをするとか
魚釣りをして現地で食べるとか
キャンプをするとか
アイスクリームづくりを体験してみるとか。

❛誰かが愛を持って
育てたものを食べて生きている❜
そんな「食へのありがたみ」が
「愛」や「食べることの楽しさ」となり、
回復の一歩につながるんだと思います。

さらにありがたいことに
私の場合は
さまざまな年齢さまざまな体型の方が
みんな一緒になって
「食べ物」について楽しく語っている姿を
見る機会が多いおかげで、
「食べることって悪くないんだ」
「みんなこんなに食べてるんだ」
「食べるって美味しくて楽しいことなんだ」
と認知のゆがみが
修正されていきました。


食を愛する人たちに触れること
食のありがたみに触れること。

もし、参考になりましたら幸いです。


泣き虫 パン子

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