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続!!ブレーキ外してド派手に行くぜ(運命に対して準備をする)

前の記事で「障害があるから」というブレーキを外したら、今後始まる(もう始まってるかも…)第二の人生に、既に二つも選択肢があることを書いた。

憧れの仕事に就職するルートと国立大学院進学ルートだ。

おかしなものだ。
あるきっかけ(心の中でブレーキを外すという行為)を経て、20年前の記憶がだんだんと蘇ってくる。

数日前、わたしは従兄弟の務める介護タクシーのホームページを作って従兄弟とその会社を応援したいと思った。

わたしの本業は一応プログラマだが、パソコン関連の仕事なら何でも出来る可能性はある程度にITの基礎知識は学んでいる。

なので、前職は本業ではないWebデザイナーだった。

そして、ホームページ提案書を勝手に作り始めて夢中になっていたとき、とても大事なことを思い出した。

わたしは脱サラして二つのうち一つの人生を選ぶための資金や生活費稼ぐために、独立して自分の会社を立ち上げる計画を具体的に実行し始めていたのだ。

サラリーマンの次は、自営業(個人事業主)で生計を立てていく。当時27歳のわたしの野望だった。

ホームページを創り、名刺をデザインして発注し、同業者とのコネクションを地道に作っていた時期。

数件の受注を頂き報酬を受け取り、後は会社印を作って法的手続きをすれば企業という状態で止めてタイミングを見計らっていた。そして発病、精神障害者となり20年が過ぎた。

仕事が出来なくなった時点でやむなく生活保護に切り替えたわたしは、仕事ができる状態のときも制度上収入を得ることが不可能だったため、

仕事を失った。

生きることと仕事とは、同じことだと思っている。
さらに仕事に生き甲斐を感じるタイプのわたしは、徐々に魂が弱り始めていたように思っている。

仕事とは、労働して賃金を得ることだけではない。
世の中には、それが出来ない人々もたくさんいる。
例えば人のために何かをするようなことも、立派な仕事だ。わたしは入院と寝たきりを繰り返す中で、それすらも出来なかった。必死で何か出来ることを探し、今はただ静養することが自分の仕事だと言い聞かせて、いつかまた仕事が出来るを夢にみた末、その夢すら諦めかけていた。数日前までずっと47歳のわたしはそんな生死を彷徨うような状態だった。仕事が出来ない自分に生きる価値はないんだ。

ホームページで従兄弟の仕事の応援をするというきっかけを得たわたしは、20年間眠り続けている自分の会社の存在を瞬時に思い出したとき、これはもう、第二の人生の始まりのサインだと確信した。

この仕事を始める仮定で考えたときに、二択だった第二の人生計画のうち、空間演出の仕事をする人生が自動的に消えて、企業して資金を貯めて進学する人生が確定したのだ。

目の前に、真っ直ぐな一本道が見えたような気がした。

シビアな話でちょっと笑えるけれど、寿命を80年と仮定した場合、進学先を国立大学から大学院にすると、卒業した時点で老後を迎える計算になり、博士号と学歴を取得しただけという無意味な進学ルートになりそうな感じだったので、発想を転換し、理系人間から文系へと、四年生大学進学を目指すことにした。文系ならフランス文学学科を専攻したい。

自分が(五年制)国立高専卒業なので、純粋に大学に憧れる気持ちもあったなぁと思い出したのだ。
ゼミ、サークル、キャンパスライフなど、大学にはよく知らないけど面白そうな単語があるから(笑)

さて、問題は、生活保護だ。
はっきりと言っておくが、生活保護制度がある限り、日本国民が生活に困窮することは絶対にない。
こんなに尊い制度は他国にも滅多に見られないのではないだろうか。日本はまだまだ良い国だと思う。

しかし、この生活保護から抜け出し、自分の力で生活しようとしたとき、どこまでも労働意欲を削がれる仕組みに突き当たる。納税の義務がないため、どれだけ働いても給料がほとんど国から天引きされ、貯金がほとんど出来ないのだ。独立資金が得られないから生活が保証出来ず、制度から抜けられない。これを飼い殺し(死ぬまで抜けられない)のシステムと呼ぶ人もいるくらい国の税金を使って生活している身とは言え、この仕組みは理不尽に余りある。

生活保護受給者は、例年平均して1~2%の人しか抜け出すことができていない(=飼い殺しシステム)

なぜ自主的に納税側に回ろうとしている人間を国の税金で飼い殺すのか果てしなくナンセンスな制度。これは、読んでおられる貴方が収めた税金のお話です。国税庁は真面目に仕事してます。問題は何処?

とりあえず、
税金について無頓着な政治家に投票しちゃ(乂Д´)

国の国税庁でのアルバイト経験があるわたしには「税金」というものの概念が分かっている。生活保護受給者には当然納税の義務がないのでなんと脱税行為が理論上出来ないが、申告の義務違反をすればわりと簡単に出来る。しかしそれは税金で生活しながら別に収入を得て脱税というダブルの脱税行為。
逮捕権は発動しないけど、2倍返しをくらいます。

まぁ、知らんけど税金はなめたらアカンよ(´ω`)

税金の話が好きすぎて(反省)


どんな難しい状況だろうと、わたしは乗り越える。

本気でやりたいことをやりたいなら、全力で出来る限りのことをするのみ。

生活保護を抜け出すに当たり、一つかなり深刻なのが医療費問題だが、ひとまず後回しにする_φ(・_・

間違いない。ここが正念場だ。
法律と制度を確認したら、堅実な仕事と一発当てに行く仕事を同時進行して、超難関を突破するぜ!!
で、来年の3月には確定申告に行こうっと♪(´ε` )

この数日間、起きてから寝るまでずっと仕事をして仕事のことを考えていた。仕事人間(わたし)が20年間弱お預けだった仕事だ。やっぱり仕事はどんな遊びや娯楽より楽しいんだと思い出した。それに、何故か以前より仕事が上手くなっている。ブランクが長かったから出来るどうか怪しいくらいに思っていたのに逆にグンと実力が上がっているのだ。

パソコンがないので全て手書きの、立案書や計画書、草案、イメージ図。A4の真っ白なコピー用紙にボールペンで文章やイラストを書いていくうちに、今まで一からパソコンで行っていたこれらの作業は、もしかしたら提出用の書類以外は逆に手書きの方が、クリエイティブな活動に向いているのかもと思い当たった。

小説を書くときと同じで、その方が発想力が抜群に高いのは今となっては分かるが、小説を書いていなかった20年弱前には分からなかったことだろう。
仕事が出来ない間に趣味で小説を書いていたことが結果的にわたしの仕事力の向上に繋がっていた。

因果応報

人生でやってきた全てのことには意味があるのだ。
やりたいことはやるべきだ。必ずいつか役に立つ。

生き方を決めると人生が変わる。わたしは真面目に生きるという生き方を選んで決めた瞬間に、その先の人生が、企業、進学、その後(未定だがおそらく小説家)と、堅実な一本道に変わった。生き方が定まらないうちは、人生は始まらない。つまり、わたしの言う第二の人生とは、実は本当の人生の始まりのことなのだ。人生が始まると全ての出来事の辻褄がピッタリ合うし、先の見通しが明確に立つのだ。
すごい、知らなかった。人生ってすごく合理的だ。

今、わたしはYouTuberデビューを企んでいる。
当たり前に考えて、個人がこれほど低コストで未知数の利益を上げられる可能性を秘めた商売はない。

最初はパソコンその他機材が一切がないからスマートフォン一つとあとは全てハンドメイドだ。BGMは自分で好きな曲を大正琴で弾いて録音する。コストはスマートフォンの電気代のみ!テスト動画を更新して反響を観察する。自信はある。顔出しはしないがわたしには謎のカリスマ性があるからだ(笑)

アゲアゲモード全開


「まずは自立しなさい」
別れた今も尚、少しも変わらず愛するあっちゃんの厳しいお言いつけをそろそろ実行しないと、復縁の可能性を失っちゃうような気がして、いつかきっとまた会えるはずだから、それまでにあっちゃんに相応しい女性にならないと、、、生きてるのかなぁ?

いや、忘れてた。今、思い出せた。

わたし、あっちゃんと結婚したい(/ω\)♡
人生のどこかできっとまた逢える。
わたしには分かる。夢は叶うんだ。

わたしの夢は小さな頃からお嫁さんだったんだ。

これだけは計画通りにはいかないから、それまでの間、わたしは自分磨きと花嫁修行をしておきます。

やることいっぱいだけど全部がお楽しみイベント。
人生って、こんなにも素晴らしいものだったんだ。
運命に対して準備できたら、幸運の女神が微笑む。

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