正しいってなんだろう。強さって何だろう。
正しいってなんなんだろう。
自分の中の正しいは、自分の中の正しいであって、他の人の正しいはまた全く別の所にあるかもしれない。
それが同じ正しい場合ももちろんあると思う。
でもこの地球上に何十億人という同じ人間がいて、
その一人一人、の一つ一つの事象についての正しいを全部集めたら
もうきっとこの地球の海にどんだけいれても入らないくらいあるんじゃないかって思う。
強さって部分について。
私は、自分の正しいをちゃんと正しいと周りに言い切ることができるのは強さのひとつだなって思う。
だって正しいに絶対的な正解はないだろうに、そこについて自分は正しいんだって意思をもってまわりに主張ができるのはそれ相応の気持ちとか責任が必要になってくると思うから。
その度量に合う気持ちも責任も持ち合わせずに発言するのはまた強さとは違うかもしれない。
自分にとっての正しいと相手にとっての正しいが食い違っていて、それをぶつける強さって時には必要なんだよな。
でも、私は、自分の正しいにそれだけの自信も気持ちも持ちきれなくて、責任を持ちきれなくて、誰かの正しいに同調してしまうところがある。
これは自分の弱さだなって思う。
正しいっていつも人を救うわけでもないと思う。
正しいを主張して、その結果傷つく人も、救われる人もいるのなら、
その正しいは本当に正しいなのかわかんないんじゃないかって思っちゃう。
でもその時には結局多数決で、救われる人が多いほうが正しいとして選ばれるんだろう。
みんなを救える正しいってないのかな。
相手の正しいを受け入れつつ、自分の正しいも主張できるような関係を築くことはできないのかな。
そんな考えは甘いのかな。
そうなる世界線を目指して、
まずは自分が自分の正しいを自信をもって責任をもって提示できる人間になっておかないと。
でも、これって意外と難しかったりするんだよな。
自分の正しいを曲げてしまった時の方が相手を救えるんじゃないかって考えがぬぐい切れなくて。
でも、それは、こっちの個人的見解にすぎないわけで。
相手からしたら、無理に捻じ曲げて同調された正しいに対してすっごく嫌な気持ちになるかもしれない。
ちゃんとお互いに意見をぶつけて、そのうえでお互いの正しいを一緒にぶつけていきたかったかもしれない。
その時に本当に必要なのがその壁に立ち向かっていける強さ。
だれかのためは状況がかわればだれかのせいになりえるってこと。
ちゃんと自覚しておかないとけない。
と反省した今日この頃。
最後正しさと強さから少し脱線したかもだけど、
言いたかったのはこういう事。
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