「四苦八苦」という言葉の意味



「また四苦八苦してるね」


居間で考え事をしていると、突然父がそんなことを言った。
悩んでいることには違いないけれど、苦しみを2つも所有する四字熟語だなんて大袈裟すぎやしないだろうか。あまりの苦しみに耐えかねてもがき苦しむ様を想像してしまう。
私はそんなにも必死の形相で佇んでいたのだろうか。


鏡を準備して顔を整えようとする私に、違う、と父は続けた。
「四苦八苦っていう言葉には、もっと広い意味があるんだよ」


父の台詞が気になった私は、その真意を探ってみることにした。

しく-はっく【四苦八苦】
非常に苦労すること。たいへんな苦しみ。もと仏教の語で、あらゆる苦しみの意。

「四苦」は生・老・病・死の四つの苦しみ。
「八苦」は「四苦」に
愛別離苦あいべつりく(親愛な者との別れの苦しみ)
怨憎会苦おんぞうえく(恨み憎む者に会う苦しみ)
求不得苦ぐふとくく(求めているものが得られない苦しみ)
五蘊盛苦ごうんじょうく(心身を形成する五つの要素から生じる苦しみ)
を加えたもの。

引用元:三省堂 新明解四字熟語辞

その禍々しい雰囲気に、思わず顔をしかめてしまうような字面だ。
字の面を見ただけでそのニュアンスを嗅ぎ取ってしまうあたり、自分は日本人だったのだと思えてなんだか照れくさくなってしまう。

それにしても、「生(しょう)」すなわち「生まれること」に由来する苦しみというのは奥が深い。
まるでこの世に生を受けたことが苦しみの発端であるかような言い方じゃないか。人間は罪深き生き物というが、これでは永久に苦しむことになってしまう。

私はさっそく抗議するべく父の元へ向かった。
確認も取らず父の部屋に参入するやいなやテレビの前に立ちはだかり、調べた内容を提示して続け様に不満をぶつけた。

「これじゃあまるで人間はずっと苦しいみたいで、そんなの嫌だ!」
「四苦八苦があるなら、四幸八福があってもいいじゃない!」

どう考えてもただの八つ当たりでしかないのだが、世の不条理に抵抗する術を持たなかった私は、世界には当然救済措置が用意されて然るべきだと思っていたし、父ならそれを知っていると思った。
万物の父に代わり責められる実父が可哀想である。

逆転裁判であれば秒で終わるような理不尽極まりない訴えに対し、父は少しの間考えてから、諭すように応えた。



「生きている以上、誰でも苦しみからは逃れられない。
 四幸八福という言葉が欲しいなら作りなさい。幸せは自分で解き明かすものだから」



静寂の中でブラウン管から笑い声が響く。
画面越しに笑顔を輝かせる人々を見て、なるほど、と私の中で腑に落ちるものがあった。

「幸せ」という宝物を手に入れるための障害はこの世に敷き詰められているのに、肝心の宝物を手に入れる方法を、在り処を明示してくれないなんて、世界はなんて冷たいのだろう。

でも、一人じゃない。
誰もが苦しみに足掻いて、その先を掴んだ人々の笑顔はあんなにも輝いているなんて。
こんなサバイバルゲームに参加するつもりはなかった。それでも、あの笑顔を知ることができたとき、世界はきっと美しい。

忘れもしない、私の中で実父が万物の父のごとく威厳を放った瞬間である。

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