見出し画像

Songbird わかりあうことのない「他者」のためにひとは祈る

 SNS上でKevin Bacon氏のアカウントを見つけた。フットルースの衝撃を思い出す。
 若い頃、The United States of Americaに憧れた。California Dreaming、Eaglesのアメリカ、Linda Ronstadt のアメリカ、Carly Simonのアメリカ、James DeanやSteve Macqueen のアメリカ、The Carpenters のアメリカ、The Blues Brothers のアメリカ、カーソン・マッカラーズとフラナリー・オコナー、スタインベックのアメリカ。
 憧れは底なし沼だ。何も見えない。ひとを阿呆にする。青春時代のほとんどの夜をアメリカへのせつない憧憬に暮らしたあの頃のわたしは、人種差別も銃社会もドラッグも宗教もベトナム戦争も核も冷戦も見ようとはしなかった。アメリカを考えることは日本の現実を視ることだなどと気づきもしなかった。戦争を直接知る昭和一桁生まれの両親のもとに生まれ、両親に護られ育った。70年代後半に思春期を迎えた10代は「日本は民主主義国家になったのだ、戦争を放棄した。戦争はもう起こらない、世の中はますます発展し、未来とは何かが良くなることを意味する、だからきっと自分はいずれ何者かになれる」無邪気に信じていた。
 一方で個人的青春はひどく暗澹としたものだった。その暗澹さを補うために私は架空の物語を必要としていたのだと今は懐かしくそう思う。
 渇きもがくときは、誰でも一筋の水あるいは光を必要とする。たとえそれが偽り、フェイクであっても、ひとはとりあえずの水と光がなければ明日を迎えられない。

 憧れの中にStand by meがあった。そしてフットルースがあった。

 フットルースが描いたアメリカは今は存在しない。ましてや日本の片田舎、カタカナ英語と無理やりの受験勉強Englishが頼りの妄想が作り出した「私のアメリカ」など、はじめから1ミリも存在していない。四畳半の部屋の灯りを消して膝をかかえ、遠い汽笛を想うように古いカントリーを聴いていた。後に、カントリーは白人用の音楽だと気付きやや落胆する。

 映画フットルースのKevin Bacon氏は年齢は重ねたもののいまだに照れたように見える笑顔がとてつもなく素敵だなSexy Guyだ。嬉しくなる。Bacon氏が紹介してくれているのは彼にとってのフェイバリットソング by ビートルズ、ボブ・ディラン、そしてフリートウッドマック。
 数十年ぶりにフリートウッドマック、クリスティン・マクビーのSongbirdを聴いた。歌詞を少し書く。

For you, there'll be no more crying
For you, the sun will be shining
And I feel that when I'm with you
It's alright, I know it's right
To you, I will give the world
To you, I'll never be cold
'Cause I feel that when I'm with you
It's alright, I know it's right

And the songbirds are singing
Like they know the score

And I love you, I love you, I love you
Like never before

外国語の歌を日本語にするのはとても難しい。外国語の歌は外国語のままにしておくのが「真実」だとも思う。
わたしが感じとる英語の感覚は、英語を母国語する人たちの感覚とは大きくズレているだろう、ひとはそれぞれ自分でしか察知できないエモーションを抱えている。感受性を胸を張って語る必要はないが、粗末にするとそれはたちまち滅びる。

For you, the sun will be shining

To you, I'll give the world

祈りとは神のためにあるのではない。
時空をともに生きる、「他者」のために、個人は祈る。
そしてその「個人」と「他者」とは、決してほんとうにわかりあえることはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?