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今日も、明日も、明後日も、ガンジス河は何も言わずに流れていく。

チベット・インド旅行記
#37,バラナシ④

あれからどれくらい経ったのだろうか。

毎日つけていた日記もつけるのをやめてしまった。
今日が何日なのか、何曜日なのかさえも分からない。

やる事もない。
やりたい事もない。
ただ、目を覚ましたら、あとはそこにいるだけ。


ゲストハウスを出たら河に向かう。


通り雨が抜けた後の濡れた地面。
粘土質の赤土が、てかてかと光っている。
裸足の男たちが、水たまりをばしゃりと踏んで通り過ぎていく。


今日も、明日も、明後日も、濁った河に船が浮かぶ。


死体が焼かれている。
髭を蓄えた男が店先で、気持ちよさそうにタバコをふかしている。
女が蠅叩きを持って、屋台に群がる蠅を必死に追い払っている。


じりじりと日差しが照りつける。

人はいつか死ぬ。 

もしも人生が旅なのだとしたら、人はいつか死に辿り着く。
焼かれて灰になって、ガンジス河に流される。


疲れ切って座り込んだ老人が、小銭を恵んでくれと手を差し出す。
1ルピー硬貨をポイと渡す。


そして老人たちと同じように、川べりに座り込み、ぼーっと河を眺める。


今日も、明日も、明後日も、河は何も言わずに流れていく。


この街を出なければいけない、と思っている。
次の土地に行かなければなけない、と分かっている。
何か、新しい事を始めなければ。


でも、心が弾まない。
何もする気持ちが湧いてこない。


休みの日に寝過ごして、2度寝して、3度寝して夕方になり、もう何もかもどうでもよくなってしまった、あの気持ちに少し似ている気がする。


結局の所、どこまで旅をしても、世界の果てまで行っても、何を見ても、何を食べても、誰と会ったとしても、それは何の意味にもならない。


いずれ通り過ぎて、いつか死ぬ時が来るまで、旅はずっと続いていく。
私は生きている限り、旅をやめる事が出来ない。


それはすごく疲れる事だ。


私はなんで、そんな世界で旅をしているのだろう。
なんで、この世界に生まれて来てしまったのだろう。


分からないし、分かる気もしない。
分からないまま、いつの日か灰になる。


ゲストハウスのすぐそばには、バラナシ駅から出発する、列車のチケット売り場がある。

私は毎日そこで列車のチケットを買う。
でも、なぜか列車の時間が近づくと恐くなってしまって、駅に向かう事が出来ない。
 

今日も1枚、チケットが無駄になった。



この街を出なければならない。
次の土地に行かなければならない。
でも、心が動かない。


ここでずっと、こうしていればいいじゃないか。
どこにも行かず、ずっとここにいればいいじゃないか。


私の心が、私を慰める。


ある日、アーシュラゲストハウスで誕生日を祝ってくれた韓国人ツーリストの女の子が、私が河辺で何もせずに寝転がっているのを見つけて、涙を流しながら私の事を叱ってくれた。


「ユーキ、あなたはここにいてはいけない。
 あなたはここにいるべき人ではない。
 早くこの街を出なくてはならない。
 家に帰らなければならない」。


でも、私はきょとんとしてしまって、なぜ彼女が私を叱っているのか。
なぜ家に帰らなければならないのかも、結局分からずじまいだった。


だってそうだろう?
家に帰ったからといって、旅が終わる訳じゃないんだ。



私は、私である限り、私から離れる事が出来ない。
私は、私であるがゆえの悲しみから逃れる事が出来ない。


ほんの少し忘れていても、いつか必ず思い出す。


孤独や、苦しみや、喪失や、思い通りにならなさ。 
人と人が分かり合えないという事。
時間が過ぎていってしまう事。

若さがいずれ萎れていってしまう事。
輝きが失せて思い出に変わってしまう事。

そんな悲しみが、いつだってこの世界を取り巻いている。


生きている限りは。


だとしたら、

どこにいても、
何をしていても
誰といても、
変わらないじゃないか。


結局。


そうして、何枚かの列車のチケットが紙くずに変わった後のある日。
今日もガンジス河のほとりに寝転び、無為に過ごしていた私を、日本人の旅行者夫妻が見つけ、声をかけてくれた。


リュックサックを背負い、登山帽を被り、日に焼けた夫妻の、心配そうな声が聞こえてきた。


「ハロー、ハロー、あなた日本人ですか?
 こんなところで何をしているんですか。
 あなた、まだ若いでしょ?
 何をしているのこんなところで。

 だめよ。
 ここはあなたがいるべき場所じゃないわよ。

 え?列車のチケットを持っている?
 分かった。一緒にゲストハウスにいってあげるから、身支度して一緒に駅に行きましょう。
 私たちも今日、バラナシを発つのよ」。

 


そうして夫妻に連れられるままにゲストハウスに戻り、リュックサックに荷物を詰め、チェックアウトを済ませ、フラフラのままリキシャに乗り込んだ。


リキシャ漕ぎが黙って錆びたペダルを踏む。
ガタガタとリキシャの座席が揺れる。
心地よい風が吹く。


ふと後ろを振り返ると、太陽の光に照らされたガンジス河が、キラキラと宝石のように輝いていた。

迷路のように入り組んだ路地を離れ、私は今、この街を離れていく。 


ほんの少しの名残惜しさと、安堵感を胸に秘めながら、私はいつまでも消えゆく街の景色を眺め、追いかけた。


バラナシの駅には昼過ぎに着いた。
列車は間も無くやってくる。


「じゃあ、あなたとはここでお別れね。
 さぁ、くよくよしないで列車に乗りなさい」。

 夫妻に背中を押され、やってきた列車に乗り込む。


ポーッと汽笛を鳴らし、列車がゆっくりと動き出す。
私は車両に入り、座席を探す。


インドの列車では人は皆、網棚の上や屋根の上によじ登り、我先にと席を陣取っている。


山羊を連れて乗り込んだ農夫。
大荷物の行商人。


列車は混んでいる。


あったあった、一つ席が空いていた。


偶然空いていた席を見つけ、腰をおろす。
すると、向かいの席から不意に声を掛けられた。


「あれ?前田?
 もしかして、前田じゃない?
 おーい。
 前田ー」。


呼ばれて前を向くと、そこには高校時代の同級生の女の子、レイが座っていた。


→チベット・インド旅行記、ブッダガヤ編に続く



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