サイババに会いに行こう
チベット・インド旅行記
#36,バラナシ③
【前回までのあらすじ】インド、バラナシに熱気に当てられて、まえだゆうきの心は次第に弱っていくのであった。
体が重い。
頭の奥の方で、ずしんずしんと鈍い痛みが響いている。
天井を見上げると、壊れかけのファンがカタカタと風に吹かれて回っている。
薄暗い部屋に、格子窓から光が差し込む。
今日もバラナシの街は暑くなりそうだ。
じわじわと汗が噴き出してくる。
長旅の疲れが出たのか。
正直、このままずっと寝ていたかったが、残念ながら今日は行かなければならない所がある。
重い体を引きずりゲストハウスを出て、リキシャを捕まえた。
リキシャに乗り込み、街外れに向かう事十数分。
ガジュマルのようにぶっとい髭を蓄えたババが待つアシュラムに着くと、そこにはすでに長蛇の列が出来ていた。
アルミ製の器を持った子どもたち、サリーを纏った年配の女性、眉間にシワのよった男たち。
みな一様に深刻な顔つきで列の順番を待っている。
ババの計らいで、バラナシで暮らす貧しい人達の為の炊き出しに参加する事になった私。
長机の上に乗せられた大鍋からダルカレーをお玉ですくい、先頭の人から順番にカレーをよそい渡していった。
付け合わせにはチャパティーが2枚。
大きな大鍋はあっという間に空になり、2鍋、3鍋と交換されていく。
昼頃までかかっただろうか、ようやく列は途切れ空っぽの大鍋だけが残った。
列に並ぶ子どもたちを見て色々と考えさせられる事も多かったが、何にしても、ババに渡したお金がちゃんと炊き出しに使われているのが確認出来てよかった。(どれぐらいマージン抜かれたかは知らないが)
ほっと胸を撫で下ろしてくつろいでいると、ババが屋台で買ったチャイを持ってやって来た。
「ユーキ、アーユーハッピー?」
甘ったるいチャイをごくりと飲み干して答える。
「イエス、アイムハッピー」。
「ふむ…、グッドカルマだ。
ところでユーキ、サイババは知っているか?」
サイババ。
もちろん知っているとも。
インドのスピリチュアルリーダー、サイババ。
日本でも90年代に、手から灰を出する奇術で一躍脚光を浴びた聖人だ。(2011年没)
「サイババは私の友人だ。私はユーキをサイババに紹介したい。
今度、サイババを訪ねに一緒にボンベイまで旅をしないか?」
うーん…。
サイババには会ってみたい気もするけれど、正直、ラジェスとババとはこれ以上関わり合いになりたくない…。
「ババ、ごめん。実は体調が良くないんだ。
今日はゲストハウスで休みたいから返事はまた今度にさせてくれないか?」
「ふむ…」。
ババの目がきらりと光った(ような気がした)。
「ユーキ、それは大変だ。
私の知り合いに凄腕のインド古式オイルマッサージ師がいる。
紹介するから一度しっかりと施術を受けて体を休めなさい。
体調もすぐに良くなるだろう。
さぁ、そうと決まったらすぐ行くぞ」。
「は、はぁ…」。
そしてババに促されるままにガンジス河のガートにやって来た。
レンガの敷き詰められた河のほとりに、なぜかパンツ一丁で寝転がらせられる私。
周りのインド人たちが何事かと集まってくる。
しばらく恥ずかしい格好で寝転がっていると、階段の上から同じく、ふんどし一丁の男が、手に油壺を持って降りて来た。
そして、男は私の前に立つと、黙ってパシャパシャと油をふりかけ始めた。
お世辞にも丁寧な仕事とは言い難い。
男はとても寡黙な性格のようで、私には一言も口を聞かずに、ぐりぐりと体のあちこちをこれでもかというぐらい押してくる。
いたたたた!
あたたたた!
ちょ、ちょっと待って!
タンマ!タンマ!
とても寡黙な男は、私の訴えには耳を貸す様子は無い。
ぐりぐりと背中のツボを押して来る。
おい!ババ!
これが本当に凄腕のマッサージ師かよ!と心の中で激しく突っ込んだ。
しかも、油まみれで河べりにに寝そべっているので、風でだんだん油が冷えてきて全身鳥肌が立つぐらいに寒い。
朝からの頭痛もどんどんひどくなってくる。
30分ぐらいじっと我慢しただろうか。
男は最後まで何を言うでもなく、マッサージの手を止めると、黙って階段を登って去っていった。
疲れ切って横たわる私、早くゲストハウスに帰りたい…。
入れ替わりに階段を降りてやってくるババ。
「終わったか、これできっと体調も良くなるだろう。
マッサージ代はサービスで500ルピー(1250円)だ」。
「か…金取るんかい…」。
さらにババは続ける。
「さぁ、ユーキ、これがボンベイ行きの列車のチケットだ。
お前がマッサージを受けている間に買ってきた。
早く体を治してサイババに会いに行こうな」。
「おい…、ババ。
ボンベイって…、おい。
しかも、チケット代3000ルピーって。
どう考えてもこれ、2人分の料金だろ…」。
色々と突っ込みたい事がありすぎだったが、体がしんどすぎて何も言い返す気力が無い。
とにかくババに金を渡して、体の痛みと頭痛に耐えながらゲストハウスに戻った。
それから2日間。
頭痛と吐き気、関節の痛みで私はホテルから一歩も出られなかった。
天井に据え付けられたファンをぼーっと眺めながら、頭痛に耐え、水を飲み、パンの切れ端をかじり薬を飲む。
そうしてうとうとしていたある日。
突然、ドンドンとドアを叩く音で目が覚めた。
一体、何事だろう。
ドアを叩く音は収まらない。
フラフラの体でベッドから降りてドアを開けると、そこには旅支度を整えたババが立っていた。
「ユーキ!忘れたのか!今日はボンベイに行く日だぞ!」
頭の中が真っ白になる。
「ボ…ン…ベイ?」
なんとババは、私のタブラの先生を問い詰めて、宿泊先のゲストハウスを割り出したらしい。
震える声でババに答える。
「ババ…、アイキャント。(ババ、行けない)
アイキャント ゴー トゥー ボンベイ。(ボンベイには行けないよ)
アイム シック(病気なんだ)」
ババは私をじっと見つめるとこう答えた。
「分かった。病院に行こう」。
オートバイにまたがったババが、バラナシの大通りを爆走していく。
なんとか振り落とされないよう、震える体でしがみつく私。
ヴォーン。
オートバイはすごい勢いで通りを走っていく。
ひび割れたコンクリート造りの小さな病院にオートバイは滑り込む。
ババは私の手を引きながら病院の廊下を歩いていく。
ババはベッドがたくさん並んだ病院の大部屋に私を連れてくると、私をベッドに寝かし付け、看護婦を呼んだ。しきりに何か指示を出している。
すぐに滑車のついた点滴の袋が運ばれてきて、私の静脈に針が差し込まれた。
「よし、これでよくなるはずだユーキ」。
しばらく寝ていると病室のドアが開いてラジェスも入ってきた。
きっとババから連絡がいったのだろう。
ポタポタと点滴の液が体に入っていく。
頭の痛みも、体の痛みも、治るどころか悪化の一途を辿っている。
心配そうに見守るババとラジェスと、看護婦さん。
ポタッ。
最後の点滴の液がチューブを伝い、点滴は終わった。
看護婦さんが手早く点滴を片付け、去っていく。
一体どうなってしまうのだろう、今日はこのまま病院で寝るのだろうか。
不安気に周りを見渡すと、ババがまたもや口を開いた。
「よし、これでもう大丈夫だな。
さぁ、一緒にボンベイに行こう」。
「バ…バ…?」
あっけにとられる私をよそに、今度はラジェスが私をかばってくれた。
「ババ、いくらなんでもそれは無茶だ。
ボンベイはまたいつでも行けるから、とりあえず今日は家に帰ろう!」
流石のラジェスもやばいと思ったのか、半ば強引にババを押し返し、私をリキシャに乗せ、家まで運び、ほとぼりが冷めるまで自宅でかくまってくれた。
(病院代はおそらくラジェスが払った)
それから丸2日間、私はラジェスの家の2階でおとなしく過ごした。
1日に1回、ラジェスが手配してくれたアロママッサージ師の施術を受け、(今度は痛くなかった)生姜入りの温かいチャイを毎日すすり、少しずつ体調が戻ってきたのを見計らって、ラジェスはババに見つからないように新しいゲストハウスを手配し、そこに私を運んでくれた。
そして新しい宿の一室でひとり、ひたすらに寝て過ごした。
薄暗い部屋の中。
浅い眠りと深い眠りを繰り返し、夢と現の間で、何度も何度も旅の思い出を辿った。
記憶はまるで、バラナシの迷路のように入り組んで、方向感覚を失わせる。
何かに突き動かされるようにここまでやって来た気がするが、立ち止まってみれば、特に何も無かったような気持ちすらしてくる。
なんで私はここにいるのだろうか?
考えてみれば、確かな答えなど何も無い。
火葬場に向かう男たちの掛け声が遠くから聞こえてくる。
窓の外では今日も死体を焼く黒い煙がもくもくと上がっているのが見える。
そうして数日が過ぎ、ようやく外に出られるようになった頃。
私の心にはすっかり靄がかかり。
次の旅に出る気力も、何かをする気力もすっかり消え失せてしまっていた。
→バラナシ④に続く
【チベット・インド旅行記】#37,バラナシ④へはこちら!
【チベット・インド旅行記】#35,バラナシ②へはこちら!
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