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大羊春秋~羊務執筆者党史~(7)

この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私 前多昭彦が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。

『BokyBoky』のこと

平成元(1989)年は1年に3回も「コミックマーケット」が開催されています。
これは前年の“冬コミ”が会場が取れず開催できなかったため、それが延期されて6年振りとなる春の開催となりました。

この「春コミ」に「SSP」も参加しました。
【コミックマーケット35】
◎開催日:平成元(1989)年3月25日(土)・26日(日)
◎会場:東京都中央区晴海「東京国際見本市会場」
◎配置場所:26日「I-24b」(新館1階)

『SCHAFS NACHRICHTEN vol.4』の記事「コミケット参加決定」によると、「スペースに置く本が無い」、つまり頒布物が無いとあります。そのため自スペースで委託頒布させてもらう本を募集という、ちょっと珍妙というか、情けない状況になっています。

もう一つ懸念がありました。それは“売り子”が私独りしかいないことでした。当時の私は同人誌買いたくてならず会場を回りたかったため、“ワンオペ参加”は耐え難かったのです。
「交通費支給を検討中」とありますから、よほど切羽詰まっていたのでしょう。

「コミックマーケット35」は、何故か他のコミケより印象が薄くあまり記憶に残っていません。おそらく『SN』紙上で事後報告をしていると思いますが、それも亡失しているため結果など詳細は不明です。
ただわずかに残る記録には「C本」(豆本(折本)をSSPではこう呼んでいた)を頒布したとあります。

このコミケでは嬉しいことがありました。それはカタログの「まんがレポート」に『顰蹙編』で「SSP」、つまり私が描いた作品が載ったのです。これは驚いたと同時に非常に嬉しかったのを憶えていますが、現物が既に無くお見せできないのが残念です。

『四面楚歌 -第弌号-』の発行から1年以上経つのに新刊が無い…… これはゆゆしき事態でした。

理由は私が「SSP」の活動以外で同人誌を作っていたからです。
高校時代、私は「アニメ制作同好会」に入っていました。と言ってもアニメの制作はやらず、放課後に皆で集まっては喋るだけというお気楽同好会でした。

さすがにそれはマズイということになり同人誌を1冊作ります。
それはK先輩にまつわる内輪ネタから『BokyBoky』(ボキボキ)と名付けられ、昭和58(1983)年9月(日付は不明)に無事発行されました。B5判・36頁、表紙イラストは私の一つ上の先輩で、後に「魔神英雄伝ワタル」や「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」に参加する中沢数宣が執筆という本でした。

この『BokyBoky』、第2号を作ろうという動きがありましたが、中沢数宣による表紙ができたのみで実現には至りませんでした。
しかし、表紙の出来が良くもったいないので、高校卒業後に同好会のメンバーだった私と前出のA藤、それとYとの3名で『BokyBoky 2』を作ることになったのです。ちなみに、題材は当事人気だったTVドラマ「スケバン刑事」シリーズです。
私がYの家に泊まり込んで作業をするなどで版下の製作は進んでいたのですが、3名とも今ひとつ志気が上がらずいつしか作業は行われなくなりました。

それでも私の心の中には澱のごとく、製作が中断されたままの本をなんとかしたいという思いがあり続けました。
これがSSPの新刊製作の枷となっていたのです。

この私の中途半端な態度に業を煮やしたのか、ある日I上に「いつまで経ってもできない本にこだわっているのは無意味だ」という旨のことを強く言われます。『BokyBoky 2』に未練はありましたが、私はもっともだと思い電話で他の2人に製作をやめる提案をし受け入れられました。

この結果、「SSP」は新刊製作に向けて動くことになります。

《第7回「『BokyBoky』のこと」おわり》

※文中敬称略

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『BokyBoky』の表紙。印刷は株式会社ナール。結局、校則により文化祭で販売できなかった。
『BokyBoky』本文より。
中沢数宣による『BokyBoky 2』の表紙。A4判への縮小コピーをスキャンしたもの。オリジナルの所在は不明。