マガジンのカバー画像

惑っております??

328
運営しているクリエイター

2022年4月の記事一覧

私の視点は、我が身可愛さで溢れている。

自己肯定感を高めるチャレンジを始めた途端、自己否定さえしていなければ高くなくていいのかも、なんてことを思い始めています。
チャレンジ14日目。

根底に自己否定があると、同じ現実でも印象が悪くなります。

感じの良くない店員さんに出会ったら、何か悪いことしたかな、と不安になったり、何かあった時、過去に原因を探したり、ちょっとしたミスにも、理由をつけて、納得したがったり…

気分が良ければ、「やらか

もっとみる

いつだって現実は理想ではないから、可能性とともに未来が与えられている。

これからを生きるための心構えと優先順位。

存在を肯定し続けること。
生きるというのは、たぶん、そういうこと。

自分を肯定することは、命の肯定。
命は私だけのものではないので、生きとし生けるものへの肯定になり、この世界そのものへと繋がる。私は、存在する全てを肯定する。

なんて、思うだけでその通りに生きられるなら、挫折なんかしてません。
今の私には、嫌いな自分も、赦せない自分も、どうしようもない

もっとみる

明日に繋ぎさえすれば、命の使い道は自由だと思うんだ。

「100%死ぬよ。人間だもの。いつかはね」

私は、死ぬつもりはないし、実際に死のうとしたこともない。
生きることが面倒すぎて、楽になりたいとは思っているけれど、死ぬことを心底、恐れている。

なのに、ここ数年、毎日のように死にたいというワードがやって来ては、胸をエグって去っていく。恐怖から怒りで反論したり、機嫌をとって宥めようとしたり、手を尽くしたけれど、効果はなかった。

それが、このところ胸

もっとみる

敷かれたレールの中で社会性を身につけていたら、自由な大人になれたのかもしれない。

人生は、目標や志を立て、それを目指すこと。
いつの間にか、そんな価値観に捉われていたけれど、それは社会や自我の目的。

現実に求められているのは、命を繋ぐこと。たぶん、それだけ。

やりがいのある仕事とか、社会の役に立ちたいとか、人生の使命とか、人並みの贅沢とか、もちろんあるに越したことはないし、並み以上の金満な贅沢だって味わってみたいし、権力握って媚び売られてみたい。そんな欲望を汚いとも思わない

もっとみる

感銘を受けたことは、未来に必要なこと。

私という人格は、自我が選んだ都合のいい価値観の寄せ集め。

なりたい自分に相応しい価値観を善、正義として、それ以外の自分を否定する。無意識に。そんな洗脳チックな思考回路で、本音を支配するものだから、当然、心は苦しくなる。

そんな世界で生きるのは、もう嫌だ。

と、思っているのに、気づけば同じことをしていたりする。
ノートに書き出しているフレーズは、ああなりたい、こうなりたい。今の自分以外になるこ

もっとみる

会話って、ただ聞き流していれぼいいのでしょうか?

会話が苦手だ。

なんのために喋らなければならないのだろう?
なんでどうでもいいことばかり喋っているのだろう?

雑談が下手だからこそ、興味がなくても聞くことぐらいはしようと思っているのだけれど、とにかく辛くて仕方がない。

かと言って、口を挟めば、話題が萎む。会話が途絶えるのは、地味にショックだ。面白いこと言えないなら、黙っていろ。そう言われているようで、喋ることが怖くなり、益々、聞くことしかで

もっとみる

手放さなければならなかったのは、この世界だったのかもしれない。

現実に向き合うと、途端に破綻する。
頭では理解しているのだけれど、自我のジャッジは止まらない。

現実を否定しないこと。
独りの時は、我ながら上手くなったと思う。ネガティブな考えは浮かんでくるけれど、その原因を探って解決しようと思うと、囚われてしまう。

不快な感情は、単なるサイン。
原因を解決したいのは、自我だ。時系列で過去を振り返ることによって、自我が存在する印象は強まる。存在証明のできない自

もっとみる

愛は、無自覚の中にあるのかもしれない。

私は、自我を自分と思って生きているけれど、都合のいい価値観を寄せ集めたキャラらしい。

自我が作り込んだキャラは、理想が高すぎて、演じきれずに落ち込むことが多かったし、そんな不快な気持ちを抱かせる現実の都合の悪さを恨んできた。

そんな自己嫌悪が続いたせいで、自己肯定感は底をつき、自己否定へと転落したのなら、悪いのは、現実ではなく、キャラの設定?

なんてことに、ようやく気づいたら、人生も残り少な

もっとみる

やりたいことがなくても、生きているだけでいいと心から思えるようになれた日。

私には、二つの命がある。と、いうことにしている。

肉体に宿る有限の命と、精神に宿る無限の命。

私の命には、二つの意味があるけれど、二つ目の命はないし、猫又でもない。死んでも生き返らない。たぶん。

有限の命は、自我に守られている。

自我は、とにかく私好き。何の取り柄もない私を溺愛している。
脆弱な私では手に届かない理想の人生を歩んでいるように、現実を捻じ曲げてまで、私の夢を叶え、命を守ろうと

もっとみる

「失敗しても大丈夫」と思えるようになった理由。

思いがけないことが、身に起きた。
「失敗しても、私なら大丈夫」だってさ。

なんで、そんな少年漫画の主人公みたいな台詞が出て来たのだろう?

あまりの自己肯定感の高さに、違和感しかない。元が低いから、自己肯定感を高める30日間チャレンジをしているのですが、もしかして、5日目にしてこれほどの効果が??

なんて広告サイトみたいなフレーズを言ってみたくなるほど、自分とのギャップに戸惑うばかりでしたが、

もっとみる

しなければならないことなんて、ないのかもしれない。

「しなければならない」って価値観は、何なんだろう?

思いつくままをノートに書き殴っていたら、したいことが、しなきゃならないことに変わっていた。

いつの間に?
ノートを見返すと、快から不快へ感情が切り替わる境界線がクッキリと。したいことに割り込んでいたのは、不安だった。

しておかなければ、問題になる。
かもしれない。

しておけば、安心。
心配しなくて済む。
安全に生きられる。

そう。私の「

もっとみる

命の存在を否定しなければ、それだけでいいのかもしれない。

自己肯定感を高める30日間チャレンジ。4日目。

自己肯定感を高めようとするほど、
そうじゃない方向へ導かれている。

2日目「なりたい自分になろうとするな」
3日目「自己否定していないなら、高める必要はない」

なぜ、そんな結論になってしまうのだろう?

私とは、個性という皮を被った命である。

けれど、私が自分だと思っているのは、
自我が作り上げた人格。

白紙の中央に自我がいるとしよう。

もっとみる

自己否定さえしていなければ、自己肯定感は高くなくてもいいのかもしれない。

肯定と否定は、力のベクトル。
内向きの引力と、突き放す斥力。

現状を肯定すれば、引力が強まる。
否定すれば、斥力によって、反発する。

人間関係とよく似ている。

相手のことが好きなら、好かれやすい。
嫌いなら、相手からも嫌われる。

肯定は、味方を引きつけ、
否定は、敵を突き放す。

夢なら、
現状を肯定することで、実現可能な夢を抱く。
否定していれば、実現不可能な夢を見る。

否定と肯定も、

もっとみる

現状を否定するから、実現不可能な夢を見てしまうのかも。

私には、夢子という人格がある。

夢ばかり見ているさ役立たず。
現実逃避で人生を食い潰している。

まぁ、間違いでもないのだけれど、
夢見るだけの非力なモブなら、
そこまで毛嫌いしないもの。

自我にとっての天敵だから、
存在を否認することで、力を奪った。

自我の世界を、守るために。
自我の存在意義かもしれない。

自分は、正しい。
だから、夢子は間違っている。

自我の根拠なんて、そんなもの。

もっとみる