手放さなければならなかったのは、この世界だったのかもしれない。

現実に向き合うと、途端に破綻する。
頭では理解しているのだけれど、自我のジャッジは止まらない。

現実を否定しないこと。
独りの時は、我ながら上手くなったと思う。ネガティブな考えは浮かんでくるけれど、その原因を探って解決しようと思うと、囚われてしまう。

不快な感情は、単なるサイン。
原因を解決したいのは、自我だ。時系列で過去を振り返ることによって、自我が存在する印象は強まる。存在証明のできない自我にとって、手放せない記憶。捕まれば、負のスパイラルから抜け出せなくなる。

なので、ネガティブな想いに囚われたら、質問をする。
今日、ハッピーになりそうなことを探して。

思考は、質問には逆らえない。
命令は無視しても、質問されると、解答を探し出す。ネガティブな想いに囚われてしまうのも、そのせい。なので、考えるな、気分を変えろと言っても無理なことでも、質問次第で気分は変わる。

自分のことは、対処できるようになったとはいえ、相手が絡むと、否定せずにはいられない。自我が剥き出しになってしまう。

否定するつもりはない。意見を述べているつもり。
なのに、感情が波立ってしまうのは、全ての言動に自我のジャッジが入るから。

聞き流していられない。不安で仕方がない。信頼したいのに、疑ってしまう。相手に対する不信感。きっとそれは、私自身に対するもの。


こんな世界、滅びてしまえばいい。

現実になにかをするつもりはなかったけれど、自分が不幸だから、そう願ってしまう身勝手が、嫌いだった。幸福な人々を巻き込むことになっても、私には価値のない世界だったから。

私に、生きる価値なんてなかったから。

けれど、私の世界は、有限の命が尽きるとともに消滅するらしい。
この世界は、自我が作り上げた私個人のものだから。同じ現実を共有していても、人はそれぞれの世界を持ち、どれだけ求めても、干渉することはできない。たぶん。

それぞれの世界は、衛星のように軌道を描き、近づいたり、離れたりしているだけ。次のように満ちたら、欠けたり、照らし合うだけ。
自我である以上、交わることはできないはずだから。

なので、相手の言動に心が乱れてしまうのは、自分の世界観が揺らぐから。元々の地盤の弱さ。心の脆弱性。

私が、この世界を信用していないからなのかもしれない。


もしかしたら、信用しなくてもいい世界なのかもしれない。

寄せ集めた価値観で作り上げた自我の世界なら、実はない。

自我が守りたいのは、存在しているという印象。
そのために、過去と記憶は欠かせない。

だから、修正しようとしてきた。無条件に。
よくない性格を、よくない条件を、よくない現実を。

こうすれば、今よりもよい未来になる。そんな発想に縛られていた。

けれど、未来って、過去の上でないと築けないもの?

計画はゼロベースで作り直せるのに、私の未来は、なぜ過去を捨ててはいけないの?

過去ありきで、未来を限定していたから、身動きが取れなくなっていたんじゃないのかな?


過去を捨てるなんて、虫が良すぎる?
捨てたところで、未来は変わらない?
これも逃避の一つじゃないの?
アイデンティティが崩壊するかも?

過去への執着は、根深い。
チラッと思っただけで、ガッチリ掴まれてしまう。

過去に囚われている私がいる。
赦されてはいけない罪深い私。
けれど、その理由も原因も、自我の視点。人である限り、過去が真実とは限らない。自我を通さないと、意味を持たせることが出来ないから。

平気で約束を破る大人が嫌いだった。
一貫性がなく、気分で生きているから、理解できなかった。
そんな大人になろうとしている。
昨日の自分は、もう前世。
世は無常で、人は変わる。
昨日の言動に捉われるな。

子供の頃、赦せなかった大人になってしまった。ごめんね。
あなたの嫌いな人間になってしまった。
嘘をついて、悪口を言って、相手のせいにして、疑って。

それを、美しくないと切り捨てて、世界を敵に立ち向かっていた。子供の私は、強かったんだな。自分とは思えないよ。

ごめんね。最後まで戦えなくて。
私は、すっかり汚れてしまった。あなたの世界では、もう生きられない。この世界は美しすぎて、汚い自分に耐えられない。

この世界を放棄します。
汚れた価値観と自我で、新しい世界を創ることにします。
最低な私でも、生きられる世界を。

どんな私でも、どんな現実でも、とりあえず否定せずにいられる世界ってやつを、創ってみようと思ってます。

あなたの世界観が、とても好きでした。
できることなら、ずっとそこにいたかった。
負けたくなかった。守りたかった。
大好きだった。
とても辛いです。

思い出にするには、あまりにも綺麗で、憧れずにはいられない。
そんな世界を夢見させてくれて、ありがとう。
現実は辛かったけれど、そんな世界を描けたことは、きっと幸せなことなのでしょう。望んで与えられるものではななさそうだから。

そんな美しい価値観が幼い頃の私の周りにあったことに、感謝します。

 fumori 

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