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惑っております??

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引き寄せ達人たちの豊かすぎるマインドの件。

引き寄せ達人たちの豊かすぎるマインドの件。

私は、私じゃない。
過去のデータから作り上げられたキャラクター。
設定されたセルフイメージであって、実在しない。

キャラ設定をすることで、事実に色をつけて、
二次小説としての現実を認識するのが、自我の仕事。

なら、私なんて、やめちゃおうかな。

自我なしで、
社会生活を営むことは難しくても、
一人でいる時ぐらいは、やめてみようかな。

なにも考えないで、過ごしてみようかな。

自我が休めば、潜

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望まない現実なんてない。

望まない現実なんてない。

望まない現実なんてない。

事実とそれを解釈する自我がいるだけ。

自我の想定通りの事実と、
異なった事実があるだけ。

現実は、自我の物語。

事実を基にした二次小説。
事実と期待と誤訳が混在するフィクション。

私がいるから、
私を主人公にした物語が必要で、
物語の舞台が必要になっているだけ。

たぶん、そういうことなんだろう。

苦手なことも、嫌いなことも、
やりたくないことも、私のため。

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私のものなんてなかったのかもしれない。

私のものなんてなかったのかもしれない。

私の命は、私のものじゃない。
この命は、地球のもの。
この命は、借りもの。

私の考えは、私のものじゃない。
この考えは、他人のもの。
この考えは、借りもの。

私の感情は、私のものじゃない。
この感情は、他人のもの。
この感情は、借りもの。

命は、地上を巡る時流の一部。
思考は、他人の情報の寄せ集め。
感情は、事実と認識のギャップによって生じる反応。

どこにも私なんていなかった。
どれも私の

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「私」をやめる方法があればいい。

「私」をやめる方法があればいい。

「私」を、やめちゃおっかな?

地球に存在する命の一つ。
そんなピースフルな感覚を捉えられるようになったものの、
誰かといると、途端に自我100%に戻ってしまう。

喋り始めると、かな。

感情が乗って、主張せずにはいられなくなる。
で、それをなんとかしたい
思考サイドの自我が出張って来る。

つまり、どちらの自我も、私、なんだよね。

思考も感情も、肉体由来のシステム。
優位に立つ方が、自我を支

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人生で最高の完成度を誇っているのが、今の私なのです。たぶん。

人生で最高の完成度を誇っているのが、今の私なのです。たぶん。

人の気持ちのわかる優しい人になりたかった。

言葉にならない想いを汲み取れるような
温かで深い情緒のある人に。

浅はかで、考えても勘違いばかりで、
人の気持ちを逆撫でするようなことばかり
言ったり、やってりしてしまう。
そんな自分が大嫌いだった。

今でも好ましいとは思えないけれど、
残念な話ではありますが、
それ以外の私は存在しないのでした。

努力で変われた所なんて、
理性が吹き飛べば、かき

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自我と命の願いが一致する場所。

自我と命の願いが一致する場所。

アセンションという言葉を知ってから、数年が経つ。

グレートコンジャンクションがなんなのかも
わからないまま、興奮していた気がする。

実害なく、費用もかからず、
この世界から逃げ出せるなら、
なんでもよかったのだと思う。

そして、現在に至る。

多少、変化はあったものの、
次元上昇とは程遠い日常を送っている。

期待したような素晴らしい現実
ではないけれど、
意識のあり方は変わったように思う。

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なんとなくで選べなくなったのは、いつからだろう?

なんとなくで選べなくなったのは、いつからだろう?

私とは、物質に干渉できる知性である。

なんて。
自我にとったら私が自我なので、
かっこいいこと言いたいのだろう。

ただ理屈っぽいだけ。
むしろ、理屈しかない。

私の自我は、
辻褄合わせが好きな理屈屋さん。

生真面目で、言葉に囚われやすく、
正解を知りたがる。

そのせいで、
論拠のない感性を疑い、
情報を収集しまくり、
正しい判断しようとする。

とは言え、この世界に
ルールはあっても、正

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命より価値があるもの。

命より価値があるもの。

私という自我は、時と共に変化し、
成長する自己像を信じている。

なので、
よりよい未来を選択するために、
過去のデータが必要。

情報は、あればあるほどよい。
ルールでも、フェイクニュースでも、
なんでもいい。

知ったことは全部、記憶しておきたいし、
忘れたい悲しい記憶なんかは、
悲しければ悲しいほど、
辛ければ辛いほど、
絶対に忘れさせてはくれない。

二度と同じ目に遭わないよう
類似した未

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私を含む存在する全ての命を肯定するための屁理屈について。

私を含む存在する全ての命を肯定するための屁理屈について。

私の現実は、私が認識している世界。

認識は、過去から組み上げられたパターン。
仮想なのだから、辻褄なんて合うわけがないのに、
仮定を含んでいることに無自覚だったりする。

挙句、整合性のなさに戸惑い、
憤って、悲しんで、怯えている。

現実が仮想だとは思っていないけれど、
私の見ている現実は、リアルではない。

それがわかっても尚、自我としての私は、
リアルとして受け取り、臨場感に囚われている。

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運気によって現実が変わるのではなく、現実の受け取り方が変わるタイミングを運気と呼んでいるのかもしれない。

運気によって現実が変わるのではなく、現実の受け取り方が変わるタイミングを運気と呼んでいるのかもしれない。

ずっと、自分の感情が恐ろしかった。
いとも簡単に制御不能になるから。

怒り狂い、泣き叫び、物に当たる。
疲れ果てる以外に、
感情の収め方がわからなかった。

成長するにつれ、
感情を抑え込めるようにはなったけれど、
その分、ネガティブな情念を抱え込むことになった。

呪いのような重たい心をなんとかしようと、
現実の認識を変えようとしてきた。

認識できる範囲が現実なら、
ポジティブに傾きやすい価

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運がいいより、生きていることを肯定できる方がいいのかも。

運がいいより、生きていることを肯定できる方がいいのかも。

なんとなく、
これまでとは違っている気がする。

具体的に何がと言えるほど
大きな変化はないのだけれど、
置き忘れた傘が戻ってこなかったとか、
出かけたら雨に降られたとか、
ちょっと運が悪くなった?
と思うことが続いている。

これまでが良過ぎただけなのだけれど、
これまで通りではない気配とか、予感がして、
うっかりしていられないと思っていました。

が、悪い予兆でもないらしいのです。

死が怖い

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選びたくないから、生きていられるのかもしれない。

選びたくないから、生きていられるのかもしれない。

生きている今にあって、
死後の世界があるかはわからないのだけれど、
最期の審判とか、願いみたいなものは、
ある気がしている。

特定の宗教を信じているわけではなく、
若かりし頃の私は、今より相当に生きづらく、
現実に耐える理由が必要だった。それだけ。

生きる理由欲しさに、
死後の世界を仮定してみただけなので、
宗教観に基づいた解釈ではありません。

色んな要素を取り込んだ架空のお話。

死んだら

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叶うまで、叶っていない今に耐え続けることが、願い。

叶うまで、叶っていない今に耐え続けることが、願い。

思い通りの人生を生きたい。
そう望んでいるのは、自我だ。

思い通りであることが、
自我にとって良い「快」だから。

とは言え、
思い通りであることを望んでも、
思い通りにはならないのが人生。

そんな思い通りには、二種類ある。

今にはないものを未来で手に入れること。
今まで通り、安泰に過ごすこと。

「欲」と「快」

「欲」を満たすためには、
チャレンジする必要がある。
成功すれば、満足度は高

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現実を受け入れられないのではなく、捨ててはいけない理想があるのかもしれない。

現実を受け入れられないのではなく、捨ててはいけない理想があるのかもしれない。

私には、自分を苛む癖がある。

罪悪感とか、無価値観とか、
自分を嫌悪する感情に囚われて、
気持ちを切り替えられないまま
1日が終わってしまう。

ポジティブな感情だけで過ごしたい
なんて贅沢は言わないけれど、
ネガティブな情念に支配され、
現実に支障をきたしてしまうので、迷惑している。

自責の念に対して、
どう対処したらいいのだろう?

理性で押さえつければ、
抑圧されたシャドーの返り討ちに合

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