見出し画像

経験知(≠経験値)

計画では何も変わらない

総務省が2014年に公共施設等総合管理計画の策定要請をしてから既に9年の月日が流れています。
笹子トンネルの崩落事故で公共施設・インフラの老朽化が社会問題になったにも関わらず、今日までに残念ながらこの問題を根本的に解決した自治体を聞いたことはありません。下のコラムでも書いたように、ここまで行政(や民間事業者)はこの問題に真剣に向き合ってきたのでしょうか。

そもそも、二次元の計画をどれだけ精緻に作っても三次元のリアルなプロジェクトにそれらを置換していかない限り、まちが変わっていくことは絶対にありません。
机上の経済学的論理・短絡的な総量縮減を目的としたザ・公共施設マネジメントでは残念ながら負のスパイラルを助長するだけで、まちは一向に良くなることはありません。

計画づくりの無限ループ

総務省は、その後も個別施設計画の策定要請や公共施設等総合管理計画の見直しを要請していますが、一向にリアリティが向上してくことはありません。
総合管理計画の策定見直しにあたって、2020年以降に世界を大きく揺るがした新型コロナウイルスに関する言及が全くないどころか、関連する総務省の通知では一度もコロナという用語が出てくることはありません。

無垢な自治体職員は、公共施設等の問題を解決するためには「総合管理計画に基づき個別施設計画を策定し、総務省の考える時間軸に沿って総合管理計画の見直しをしていけば、いつの日かこの問題が解決できる」と信じ、(コンサルタントへ膨大な金額を払い)計画づくりの無限ループに陥っているのです。

どこからやっていいかわからない

そうした自治体を訪問すると、総務省の要請に従って各種計画は策定しているが、庁内・市長・議会・市民などの理解が得られず、またどのように進めて良いかわからずに苦戦している(、悪い場合には諦めている)という話を聞くことが多くあります。
「実践に結びつかないのなら何のための計画なのか」という根本的な問題があるのは事実ですが、やはり旧来型行政の国依存・マニュアル重視・右型上がりを前提とした行財政システム・単年度会計現金主義などでは全く太刀打ちができない課題であることも間違いありません。

しかし、「公共施設マネジメントの担当」である以上、プロとして真面目な公務員が何もしないわけにもいきません。
高校生や大学生といった若いリソースを使った啓発マンガを作ったり、貸し舘公共施設の主たる利用者である高齢者を中心に集めた公共施設再編ワークショップやリアリティ皆無の学識経験者を招聘したセミナーを開催してお茶を濁していないでしょうか。もっと悪い場合には、コンサルに莫大なコストを払ってやる気はないのにそれらしい実行計画を作っていないでしょうか。

手を動かさなければ何もわからない

結局、計画づくりの無限ループをしていてもまちは変わりません。そのことには薄々気づいているはずです。

大切なのは実践でしかありません。
三次元の空間、実際の「まち」で手を動かさない限りまちは変わっていきません。
実戦とは短絡的に公共施設を減らすことではありません。それは「公共資産≒負債」と捉えた旧来型行財政改革の「財政が厳しいから人・モノ・コストを減らせば良い」の発想でしかなく、失望した動ける人から流出していく負のスパイラルにしかなりません。

公共資産は市民生活を豊かにしたり、支えるために貴重な税金を投下して整備したはずです。
実践とは、まちに対して真摯に向き合い、今できることを徹底的に自分たちらしく試行錯誤していくことです。手を動かしていくことで、いろんなことが見えてきますし、手を動かすことは「そのまちの本当の姿」を知ることに直結していきます。

経験知

理論どおりには進まない

拙著「PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本」で紹介したように、行政は驚くほど非合理的な組織、行動原理、意思決定プロセスとなっています。

理想的なプロジェクトをやろうと思っても、部長や市長のハンコをもらうためには70〜80点での妥協を求められたり、市民や議会の理解を得るためにはバーターで違うものを差し出したりしなければなりません。でも、そこでしかそのプロジェクトが落ちないのであれば、そこで落としてでも前に進むのが行政としてのリアルな生き方です。

ただ、何でもかんでも簡単に譲歩したり、相手の要望を受け入れたりしているだけではプロジェクトの質が低下し「やらない方が良かった」となってしまいます。
このあたりの感性を磨いたり、そのまちならではの「リアルな抜け道」を見つけていくためには経験知が必要となってきます。

経験知なしに大きいことをやるリスク

実践が進まない自治体では、公共施設マネジメントを進めるために中心的なエリアの公共施設の再編をモデルプロジェクトとして位置付けることが多くあります。
(そもそも「点としての公共施設をどう集約・複合化して施設面積を減らすのか」だけにフォーカスを絞って、地域コンテンツ・プレーヤーや歴史・文化・風土など「まち」という視点が欠落している時点で無理ゲーではあるのですが。)

しかし、実際にこのような経験をしたことがないので、再編プランの策定をコンサルに丸投げしたり、何のビジョンも持たずに市民ワークショップで「どんな公共施設がいいですか」と問いかけ要望合戦に陥ったりしてしまうのです。
「自分たち」で覚悟・決断・行動して考えたり手を動かしていないので、これらはいくら時間を使っても経験値につながりませんし、当然に経験知も得られません。

こうした経験知もないままに「何となく」「熱意もないまま」公共施設をハコとして再編しようとするから、公共資産が竣工即負債の負債となってしまうのです。そして、このようなマインド・行動原理でやっている限り「負債の資産化・まちの再編・まちの新陳代謝」を図っていくことはできません。

コケることで学ぶ

「行政は失敗してはいけないから」
いまだによく聞くセリフですが、これまでの政策が全て成功してきているのでしょうか。過去から今日まで予算編成・執行が完璧だったのでしょうか。
仮にそうだとすれば、なぜ公共施設やインフラは老朽化し、少子・高齢化や人口流出に歯止めがかからないのでしょうか。中心市街地がシャッター街になり、まちなかには空き家・空き店舗が山のように存在するのでしょうか。
なぜ「財政が厳しいから」を理由として市民ニーズに応えることができなかったり、やりたい政策が先送り・凍結されるのでしょうか。
なぜ失敗せず完璧に生きてきたのに「まちが衰退」するのでしょうか。

強烈なスピードで変化し続ける世の中は、不確実性に満ちています。
各地で毎年のように発生する自然災害、新型コロナウイルスなどのパンデミック、ウクライナ問題や急激な物価変動、これらを予測して完璧に回避するのは至難の業ですし、現実的ではありません。
だからこそ、試行錯誤していく必要がありますし、試行錯誤していくしかありません。つまり、思っていたようにいかないこと≒コケることが大切ですし、そのなかで学びながらコケ方を覚えていく、簡単なコケ方をしないバランス感覚が身についていくのです。

ただし、一昔前の中心市街地活性化を目指して「どデカいハコを作ればまちが活性化するだろう」とした旧来型・ハード先行・身の丈を遥かに超えた「街づくり」でコケてしまうと、そのまちの様々な経営資源にも甚大なダメージを及ぼしますし、精神的にも痛手を被るので、「学んだからいい」と簡単には片付けられなくなってしまいます。
小さいことであればコケても他のプロジェクトで取り返すチャンスがありますが、いきなり100億円を超えるようなどデカいハコモノ事業などでコケてしまうと、それは流石に取り返すことが難しくなってしまいます。

小さめのプロジェクトを数多く回していくことで経験知を蓄積していくことが、やはり結果的には効率的です。全国各地で急速に普及しているトライアル・サウンディング(公共資産の暫定利用)は、理に適った方法論のひとつであると考えられます。
(最近は公共施設の「無料貸し出しイベント」としてトライアル・サウンディングを実施する事例も散見されますが、あくまで「本格的な利活用を考えるための社会実験」なので、そこは勘違いしてはいけません。)

光熱水費の徹底管理、ESCO、包括施設管理業務、有料広告事業などの(現在は残念ながら停滞していますがw)初期の流山市で行われていたプロジェクトや現在進行形で多様なプロジェクトを展開する津山市・常総市なども、こうした経験知を得るための「小さい事例」として非常に有効だと考えられます。

経験値≠経験知

これらのまちで共通しているのは、規模や深刻度は異なりますが様々な場面・プロジェクト・政策で「コケている」ことです。
そうしたこと(≒やらない人・まちの言葉では「失敗」)で心が折れることなく、その経験・現実を直視するとともに既成概念を排除して、「やらなければいけないこと・やるべきこと・できること」を自分たちらしく試行錯誤しています。

前述のとおり「コンサル依存やなんとなくやっているだけ」では経験値すら獲得することはできませんが、自分たちらしくやってコケたりそれなりにうまくいったことも、過去形になってしまっては実績としての経験値にしかなりません。
重要なのは、こうした様々な経験を自らの体内に取り込んで経験知に昇華していくことです。
経験知に昇華しながら次のプロジェクトへ展開していく。この地道で愚直なプロセスの連鎖によって、個人に蓄積された経験知が組織としての経験知になり、更にはそれが流山市の意見書制度、常総市のトライアル・サウンディング連動型の提案制度、津山市のFM基金など、組織としての形式知になっていくわけです。

最近、いろんなまちの担当者・管理職・首長などから「まずは小さくても良いから成功体験を」という切実な言葉・相談をいただきます。経験値を得ることも第一歩として重要ですが、もっと重要なのは経験知へ置換していくことです。
そのためには「成功体験」を目指しつつも「コケること」を恐れてはいけません。表面上でそれなりに(苦労せずに)うまくいったことよりも、コケた経験から得るものの方が大きいはずです。更に言えば「成功体験」を得るためにはその何倍も「コケること」が求められます。

経験知を積んでいくと、別のnoteで書きたいと思いますが「既成事実化」することも上手くなっていきます。どうやって非合理的な行政という社会でやりたいこと・やるべきこと・できることをプロジェクトにしていくか、そのためには既成事実化が有効な手段の一つになっていきます。
今回はこの辺で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?