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自己矛盾

言ってることとやってること

笹子トンネル事故から10年

2022年12月2日で笹子トンネルの崩落事故から10年となりました。

あまりにも痛ましい事故であり、日本の安全神話が完全に崩れた日です。
この日を境に、国は国土交通省を中心に省庁横断的な取り組みとしてインフラ長寿命化計画に乗り出し、そこからいろんな意味で枝分かれしてしまった公共施設は総務省による公共施設等総合管理計画の策定要請へとなっていきました。

公共施設やインフラの老朽化・更新が社会問題として認識されるようになったことは確かに大きな意味があったと思いますが、残念ながらほぼ全ての自治体は「実践」ではなく「計画づくりの無限ループ」へ陥ってしまっています。

このままじゃいけない、公共インフラが人の命を奪うようなことがあってはならないと多くの人たちがあのとき確かに感じたはずなのに、いつの日か風化していないでしょうか。
東日本大震災、熊本地震、新型コロナウイルス。。。同じようなことが何度も繰り返されていないでしょうか。

公共施設等総合管理計画

公共施設を安全な状態に保つ、財政状況が厳しいから公共施設の総量を抜本的に見直す、民間と連携しながらPPP/PFIを積極的に活用していく、庁内横断体制を構築して全庁的に取り組む。。。
2014年に総務省から全自治体に策定要請が出された公共施設等総合管理計画では、どこの自治体でもこのような勇ましい言葉が並んでいたはずです。

時間の経過とともにこうしたことは風化したのでしょうか。しかし、2021年度末までに見直しが求められた同計画でも(本気で見直したのかはわかりませんが、)同じような言葉が連ねられています。

しかし、総合管理計画の策定要請から10年近くの時間が経過した現在、本当に「抜本的に」何かが変わっているでしょうか。
多くの自治体の担当者から「計画は策定したけど思うようには。。。」「首長や議会ガー。。。」「施設所管課が全然やってくれない。。。」「民間と連携すると地元事業者ガー。。。」「どこから手をつけて良いか。。。」等の嘆き、言い訳を聞きます。
プロとしてどうでしょうか?

その場だけを取り繕う

最近は、議員のなかにもこの問題を真剣に捉え的確な指摘や意識改革を促す質問、行動を起こす方々も全国的に増えてきたように感じます。
本来であれば、こうした流れを追い風としていきたいところですが、残念ながらそうはなっていないことも多いです。

自分も公務員時代、ファシリティマネジメント推進室長の職にあったことから、議会でもほぼ全日、控え室で関連質問の対応作業をしていました。
流山市議会では当時から一問一答制を導入していたため、当初の通告による質問→予定していた答弁→再質問→再答弁。。。と徐々に掘り下げていく方式となっていました。同時に、執行部としての理解度・スキル・覚悟等が問われることも多くありました。
そんななかで公共施設関連についても多くの質問が寄せられていたのですが、当時の部長職の方々(←いろんな部署の部長職)は答弁に行き詰まると「FMの一環として考えます」「FM推進室を司令塔にやっていきます」「FMの考え方でやっていきます」。。。FMがその場を取り繕うマジックワードとして用いられてしまっていました。
休憩時間にその部長に「じゃあ、これうちでやっていいですよね!任せてもらいますよ!」とすかさずイニシアティブを取りにいくと「いや、あれはその場そうするしかないだろ。そんなに頑張るなよ。そのぐらいわかるだろ。」と完全にその場しのぎなのです。

他の自治体でも「庁内で熟議してから」「市民の声を聞いてから」「民間事業者とのサウンディングを踏まえ」「地元事業者の意向も把握しながら」「専門性を持ったコンサルタントに委託して」「有識者委員会の検討を待って」。。。と自分たちで決めることを放棄し、その場だけをなんとか取り繕おうとするのは全く生産的ではありません。

不可逆な時間

時間は不可逆です。
その場だけを取り繕いながら判断を後回しにし続けている間に、状況は加速度的に悪化していきます。
市民から見たら「何もしていない」「どんどん衰退していくな」「安心して住めないな」「仕事もこのまちじゃできないな」「学校とかもボロボロだし、子どもたちのこと考えたら他のまち行ったほうが。。。」と行政のネガティブな姿勢や空気は市民にも確実に伝播していきます。

まちみらい_講演等のスライドの一部

長野市の青木島遊園地廃止を巡る行政の対応を見ていると、「このまちでこどもたちを健やかに育てていきたいね!」と思えるでしょうか?
安心して楽しく暮らせるでしょうか?

そして、時間を浪費し続けて判断を先送りしていくことは、可能な選択肢を狭めていくことと同義です。

公共施設で言えば、日常的に社会経済情勢や市民ニーズに合わせてサービスの種類・グレード等を見直していけば、そして小さい投資を続けていけば、それほどドラスティックな変化をすることなく、良好な公共サービスを提供できるはずです。
しかし、財政が厳しいからといった言い訳をしたり、指定管理者に仕様書発注で丸投げしていたり、現実から目を背け続けていることで「社会・市場から隔離」していくのです。その乖離も加速度的に広がり「厳しい財政状況では対応不可」「丸投げしていたのでスキルや経験もなく対応不可」「現実が見えていないので何をしていいか分からず対応不可」となってしまうのです。

公共施設がこのような事態に陥ってしまった場合に残された選択肢は「魔改造」か「爆破」しか残りません。

そして、魔改造は津山市のGlobe Sports Domeや糀やのような事例もありますが、このようなクリエイティブな対応を取るためには覚悟・決断・行動が必要ですし、そのためには他のプロジェクトで蓄積した経験知が大前提となります。
つまり、何もしてこなかったまちに残された選択肢は「奇跡的な運による魔改造」か「爆破」しか残らないわけです。
現実的には爆破のみですが、その選択をするのにも覚悟・決断・行動が求められてしまいます。ここでも判断を先送りすることで、まちとしての衰退のスパイラルを自分たちで加速させているのです。

実はわかっている

現実を直視する

第一歩となるのは現実を直視することです。

公共施設マネジメントの第一歩として包括施設管理業務を検討する自治体も多数いますが、頓挫する多くの場合はマネジメントフィーなどの「見かけの事業費が大きくなること」に対する庁内や議会の理解が得られないというものです。
しかし、この場合だけをとっても2つの現実逃避がなされています。

1つ目は「現在の施設管理のグレードが標準品質に達していない」ことを認めていないことです。
毎年、単年度会計・現金主義のお小遣い帳理論で予算の不合理な一律シーリングを繰り返し「安かろう・悪かろう」の施設管理をしてきた結果、施設が経過年数以上に著しく劣化しています。
しかし、「毎年、予算をかけて業務委託してきているんだから高くなるわけないだろう」と自らの経営感覚の欠如から現実逃避して、「適正な施設管理が行われている」ことが前提となってしまうのです。

当時の流山市の公共施設の劣化状況
当時の流山市の公共施設にかかっていたコスト
当時の流山市の新築・改修・改築関連予算の状況

実際に公務員時代には総合管理計画の策定過程で似たような事態に陥ったため、上記のようなリアルな写真や実態を副市長以下、ほぼ全ての部課長が出席する会議で示すことで現実を共通認識とさせました。

2つ目は「職員が行なっている人件費相当分や巡回点検・その場での小破修繕などの+αの業務が民間事業者へ業務委託することでフルコストで必要となる」ことを無視していることです。行政の単年度会計現金主義の予算書では、事業別予算と言いながらも、それぞれの事業に関する人件費は一般会計分としてまとめて計上されてしまうので「見えにくい」構造になっています。ただ、「見えにくい」だけで現実のコストとしては当たり前ですが退職引当金なども含めてかかっているのです。
こうした部分も「財政が厳しいから。。。」の短絡的な発想でごまかしているのに過ぎないのです。

紐解いていく

このように事実関係を突きつけていけば、公務員は基礎的なスキルは高いので納得できるかは別として「理論上はわかる」わけです。
今、自分たちが抱えている課題、やるべきこと、やらなければいけないこと、できること、やってみたいこと。。。を直視して、それを実現するために現れるハードルの一つずつを丁寧に紐解いていく。
そのプロセスでは合理的なもの、非合理的なものが玉石混合であるでしょうし、簡単にはいかない大人の事情にも直面するでしょう。

先日、訪れた超有名観光スポットのあるまちでは、残念ながら公共施設として「運営(≠経営)」している温泉のホスピタリティが最悪でした。エリアとしてライトな観光客はだいぶ戻ってきているようですが、周辺の商店街を見ても魅力ある・足元の強そうなビジネスをしているところは1割にも満たない感じでした。

コロナも喉元を過ぎてしまったのでしょうか。表面上だけ取り繕っていたり、現実から逃避していて「言ってることとやっていること」が矛盾していると、いつの日か必ず痛い目に遭います。
自分の住んでいる流山市も、「6年連続人口増加率日本一」として注目を浴びていますが、その中核にあるのはつくばエクスプレスが市域のど真ん中を通るようになったこと、それに付随して15〜20年前にグリーンチェーン戦略・駅前保育送迎ステーション・最低敷地面積を導入した地区計画などの政策が身を結びつつあることに他なりません。
過去の政策でチヤホヤされ、「今やるべきこと」や「現代的な政策」(流山市の場合は高校・大学等の高等教育環境の充実や既成市街地の新陳代謝を促すこと等)から目を背けて「言われていることと現実」が乖離する場合も未来は暗いでしょう。

行政に関わる人たちは「アホではありません」。
実はわかっているはずです。
大切なのは、自分たちのまちを直視し、自分たちらしく試行錯誤していくための覚悟・決断・行動です。

笹子トンネルの崩落事故、東日本大震災、コロナ。。。そこから何を学んできたか、どう生き方を変えてきたのか。
それぞれのまちが問われていますし、こうしたところからまちは二極化していきますし、これからの覚悟・決断・行動によっても未来は変わっていくでしょう。

その過程こそがクリエイティブなわけですし、それができる・それをやっていくために公務員がいますし、行政がありますし、まちがあるのです。

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