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嫌われ者は何処だ

私にとってそれは、健康のために必要なことであるし、お気に入りの時間でもある。

私にとってそれは、底を知らぬ欲望が形を成したものであり、ささやかな個人の楽しみが思わぬ功を奏したものでもある。

一般に、習慣と呼ぶには些か役者不足ではあるが、やはり、私にとってそれは繰り返すべき習慣であった。

 

 

 
 
私は、ホラー映画が大好きである。

いや、特に映画というジャンルに縛られる必要はない。
私にとって、メディアはどれだって良い。

好き嫌いのない体質だと言えば健康的であるし、何でもいいと言えば節操なしである。誰でもいいと言えば、場合によっては最低の烙印を頂戴するであろう。

本でもいい、記事でもいい、アニメでもいい。
 
 

一夜の夢だっていいのだ。
 
 

以前、一度文に表した内容であるが、折角の機会なので、今回再び筆を取りたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、本題となる習慣であるが、

私は就寝する直前に、ホラーに関する何かに触れて、意識を手放すようにしている。


 
 
それは、ネットの噂の時もあれば、YouTubeのホラー映画のトレーラーの時もあり、友人の体験談の時もある。

雑食であればあるほどいい。
貪欲であればあるほどいい。

何故なら、積み重なったそれらの声が、混ざり混ざって恐怖の声を意識のない自分の耳に届けてくれるからである。

恐怖に触れれば触れるほど、記憶の中にあるそれらが大きな体躯を成し、私の夢に牙を剥いてくれる。

それを待っているのだ。
それを私は、どうしようもなく期待しているのだ。

ホラーというジャンルは、良くも悪くもインパクトがある。
中にはトラウマになり、苦手とする人も少なくないだろう。

しかし、私にはそのインパクトが楽しみの養分となる。

記憶に与える影響が大きければ大きいほど、その日の夢にて、それと再会を果たす可能性が高くなる。

さながら恋のようだと語る人もあるかも知れないが、私にとっては正にそうなのかもしれない。

おまじないとして流行った、意中のアイドルの写真などを枕の下に敷いて眠るようなものである。

私は、それらに会いたいのだ。
身体の自由を手放したその時にも。
病める時も、健やかなる時も。

人生の4分の1を寝て過ごすのなら、その4分の1も引っくるめて、全てを楽しみたいだけなのだ。

 
 
 
 
最初は、次に視聴するホラー映画を選別するために、ホラー映画のトレーラーを何とはなしに眺めていただけであった。

しかし、それを繰り返すうちに、普段の夢が悪夢の色に染まっていくのを感じたのである。

習慣とは、無理なく続ける動機があれば、長く手を取り合える。私にとっての動機は、面白いからという、何とも単純なものである。
 
 
 
 

寝る前に、死を呼ぶ井戸を見る。死の着信を聞く。家に染み付いた怨嗟に浸る。赤い風船に出会う。死の人形を抱く。

夢に、彼女らが浮かび上がる。彼らが手招きする。それらが死を呼び寄せる。
 
 

私はそれを、ホラーを纏うという習慣によって果たしたい。

脂汗を滲ませながら、深夜に飛び起きてもいい。
小さな物音にも敏感になって、寝付けなくなってもいい。

私はそれを楽しみたい。
私はそれを味わいたい。

 
 
 
習慣とは、絶えず続ける一日のルーティーンのことである。

故に、私は今日もそれを続けるだろう。

人々に忌み嫌われる、それらに出会うことを願って。

 
 
  
さぁ、嫌われ者は何処だ。
 
 
  
 

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