初めてオカンが夢に出てきました
おはようございます。
ここのところ、頻繁にニュースやワイドショーで「コロナウイルスのワクチン接種について」取り上げていますが、イスラエルは凄いですね。
今のところ有効性も高そうな結果が出ていますが、国民の健康情報が全てデータ化、システム化されており、接種できる場所や設備も整えられているため、とにかく早い。非常にスピーディーなようです。
様々な課題や考え方があって当然だと思いますが、こういう所は日本も見習って欲しいと思います。(あまりにもデジタル化が遅れすぎです。ほんま国会で下らない質疑してる場合ちゃいまっせ。国会議員の皆さん、もう少し国民の目や耳に届く、そして心に響く政治をして下さい。ほんま頼んますわ)
そうそう。
ガラッと話は変わりますが、母が2009年5月に交通事故で亡くなって以来、昨夜初めて夢に出てきました。
どんなシチュエーションだったのかというと、僕は就職間もないくらいの年齢で、大まかに言うと母が生前の時と同じように「家出をして突然いなくなる」という内容でした。
ただ、さすがに僕の夢の中なので、僕は母を意外に簡単に見つけ出すことができました。
そして何度も家に連れて帰ろうとしましたが、母はずっと笑顔で拒否し続けていました。
結果、連れて帰ることはできませんでした。
そこで夢は覚めました。
細かなシチュエーションは昨夜見た夢のわりに正直あまり覚えていないのですが、とにかくそんな内容の夢でした。
あまり覚えていないにも関わらず凄くリアルで、夢の中で母に会えたにも関わらず、何とも言えない複雑な感情になる夢でした。
でも、まあその夢のおかげで、もうすぐ(2月1日)父の誕生日なのですが、その父の誕生日を突然思い出すことができました。(今年は自分のことで頭がいっぱいで完全に忘れていました。なんて親不幸な息子なのでしょう)
あと母関係でもう一つ。
昨日のnoteに「今度電車に乗ったら…」みたいなことを書きましたが、子どもの頃、母親と電車に乗るのが非常につらかったというか、子ども心に恥ずかしかったのを思い出しました。
以前のnoteにも書いたように(いや、書いてないか?どっちやろ?覚えてないわ。まあええか。書いたことにしておこう)、僕の母親は10歳の時に家を飛び出して、たった一人で徳島から大阪か尼崎かに出てきたような人なので、当然まともな教育を受けていません。(昔聞いた話ですが、学校には8歳までしか通っておらず、ヤンチャと言うかとにかく素行が悪くて、親とも全くうまくいかなかったようです。おかげでしょっちゅう庭の木にくくり付けられていたようです。今なら間違いなく発達障害か何かの診断を受けていたと思います)
そんなまとまな教育を受けていなかったこともあり、母は電車に乗る時に切符をスッと買えないのです。
母は左目は失明しており、右目の視力もかなり弱かったので、最初の頃はその視力の関係で見えないのかなと子ども心に思っていましたが、どうやら見えないのではなく「行き先(文字)によっては読めない」のだということに、ある日僕は気が付きました。
だから、初めて行くところなど、母が切符の値段の分からないところの切符を買う時には、駅員さんにいくらの切符を買えばいいのか、僕が訊きに行っていたのを覚えています。(ぼくもまだ小学1~2年生くらいの時は案内板が読めなかったので。笑)
それ以外にも「読み書き関係」で今でも鮮明に覚えているのは、僕が幼稚園から小学校に上がる時です。
僕の本名は「松永俊一(まつながしゅんいち)」なので、1年生の時の担任の先生は、もちろん僕の名前を「まつながしゅんいち」と書きます。
何の間違いもありません。
何の間違いも無いのですが、母は学が無いにも程があったので(コラ言い過ぎや)、担任の先生に「うちの息子の名前は『まつながしゅうんいち』です。俊一の読み方は『しゅうんいち』なので間違えないようにして下さい。よろしくお願いします」と、丁寧に諭してくれている先生に対して、何度か抗議をしていました。(先生はむちゃくちゃ困ったと思います)
本当に「とんだモンスターペアレンツ」です。笑
結果、最後は先生が折れて、小学1年生時代の僕の持ち物には全て、先生の綺麗な字で「まつながしゅうんいち」と書かれてしまう羽目になりました。(1年生の時の担任である、井上先生。あの時は本当にごめんなさい。うちの母が大変失礼しました)
「しゅうんいち」か「しゅんいち」か、どちらが正しいのかということは、のちに僕が自分で調べて母を諭し、ようやく解決しました。(確か2年生に上がる頃だったと思います)
連絡帳や学校からのお便りも母が書けないことが多かったので、先生に事情を説明して空白のまま提出したり、時には僕が自分で書いてハンコも押して提出していました。(そもそも母が家出をしていない時もしょっちゅうあったので)
とにかく小学4年生くらいまでは、いちいちそういうことが恥ずかしくて恥ずかしくて。(5年生になる頃にはもう何てことなくなりました)
皆さんからすると「そんなん全然大したことないやん!」って思われるかもしれませんが、僕はひとつひとつそんなことを思い出すと、恥ずかしくて恥ずかしくて、ぶるぶる震えてしまいます。
以前カウンセリングを受けた時に「僕の病気(双極性障害や社交不安障害)は成育歴が大きく影響している。アダルトチルドレンの傾向も強い」と言われたことがありますが「なるほどおそらくそうだろうな」と自分でも思います。
とにかく子供の頃は恥ずかしい思いをしたり、恥をかくことが多かったので、ある年齢を超えてからはある意味その「反動」が出たような気がします。
結果、その「反動」の影響で僕は自分の中で無理を重ねてしまい、心と体に表れてしまったのでしょう。
と、こんなことを書くと、自分の病気を親のせいにしているように聞こえてしまいますね。
そんな気持ちは全くありません。笑
今となってはというか、随分前から僕は両親に対して感謝の気持ちしかなくなりました。
だから、2月1日にはきちんと父に電話をして、感謝の気持ちを伝えたいと思います。(早いもので父も84歳です)
昨夜母の夢を見て、またいろんなことを思い出してしまいましたが、何はともあれ、夢の中ででも母に会えたのはうれしいです。
遠慮せずに、また時々出てきて欲しいです。(後ろめたい気持ちも多々あるとは思いますが。笑)
わー。
2700字を超えました。
長文になり、大変申し訳ありません。
この辺りで終わります。
それでは今日も寒い一日が続きそうなので、皆さん体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。
それではまた明日。。。
失礼します。。。
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