[019]“会えない”時代の「年賀状」


こんにちは、まっちゃんです。


みなさんはいまも、「年賀状」というものを書いているだろうか。

いや年齢によるだろうよ、というのはごもっともだが、めっきり書かなくなったのは、子どもの時は書いていたような若者に限らず、かつては習慣化していた中高年の方にも、意外と多いのではないだろうか。

その慣習が薄れてきている、減ってきているという感覚を覚える人は多くなっているようで、実際、年賀状の発行枚数はもの凄いスピードで年々減っている。

(引用元:「年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(最新) ガベージニュース」)



やっぱり減った年賀状

若者の年賀状離れ(というか、年賀状知らずとも言えますが)、個人向けプリンターの普及など、ただでさえ止みそうにない“逆風”の中にあっては、懐事情からいっても、年賀状はもはや師走の支出品目にすら入れさせてもらえず、存在意義がかなり薄れているように思える。

上記リンクの統計によれば、年賀状発行枚数は昭和から平成に突入した1980年代末に35億枚を超え、2003年の44.6億枚(一人あたり約35枚書いている計算になります)をピークに、ここ最近までの25年ほどは35億枚以上の発行枚数を誇っていた。

しかしながら、前述したような環境の変化に伴って、発行枚数(販売枚数)は大幅な減少を強いられ、昨年には25億枚を下回る(※1)など、16年前のピーク時と比較するとなんと発行枚数は45%も減少したのだった。
(※1 2019年 24.4億枚)

日本の人口減少スピードはそこまで速くなっていないのにもかかわらず、年賀状の発行枚数はおよそ15年で半分強にまで落ち込んでしまった、ということになる。


年賀状が減った別の理由

一方で、人と連絡を取り合う手段という点を見ると、年賀状の発行枚数の減少と同じタイミングで、多様かつ複雑になっていった。

以前は「電話」や「手紙・ハガキ」にとどまっていた連絡手段も、「メール」や「SNS」といった伝達性、速報性の高い手段が登場、主流となった。

一般的な連絡手段に電子媒体の新たなツールが加わり、今では用途や場面、相手に合わせて柔軟に連絡手段を選べるようになった結果、電子媒体の伝達性、速報性、そしてなによりその簡易性(扱いやすさ)によって、遂には「年賀状を書く」を国民的年末恒例行事のリストから外しにかかった。


「あけおめ!ことよろ!」と、電子メールを何通も個別宛てに送りあっていた時代を思い出し、懐かしく思う。

それだけ、時代の流れがとにかく速いということだが、メールやSNSが登場してきた後、年賀状のかわりに電子媒体を使って新年の挨拶をしていた相手はどんな相手だっただろうか。

そんなことまで思い出していたときに、ふと気づいたことがあった。


それは、あけおめメールを送っていた相手は、かつて年賀状でまかなっていた本来の意味も含めた上で挨拶したいと思うような相手ではない、ということだった。


カンタンに例えるなら、その相手は「新年の挨拶なんて別にするまでもないような相手(友人など)」ということである。

年賀状の発行枚数が減った理由は、カンタンさをきわめた電子媒体の台頭もあるが、もう一つ別の理由として、年賀状が持っている本来の意味を曖昧にしてしまったことにもあるように感じた。

したがって逆に、「年賀状で年一の挨拶をする程度の人」は、メールやSNSを用いた新年の挨拶では「カウントしない人」となっていった。


会えない今だからこそ

メールやSNSは、年賀状と違って季節に左右されない連絡手段でもある。

そのためか、相手と「常につながっている状態」に近い連絡手段とも言えるだろう。

しかし、それはお互いが定期的に会えていることが前提なのかもしれない。

「仲の良い人にあけおめメールを送る」――私が中学生か高校生くらいの習慣だった――というのは、「仲の良い人」はいつも学校で仲良くしているから「あけおめメールを送る」わけで、ひとたび会えない状態が当たり前になってしまえばこれも成り立たなかったような気がしている。


奇しくも此度のコロナ禍によって、まさにそういった“ひとたび会えない”状態が続いている。

今年は、人との接触の機会が極端に減っているため、毎年会っているような人にも会えなくなっている、もしくは会えずに今年を終える可能性が非常に高い。

前述した私見もさることながら、半年後に迎える年末年始を予想するに、あけおめのLINEすら今年はしなくなるのではないか、と正直思っている。

そもそも、年賀状に込められていた世間的な意義は「お世話になったから」が大半だが、年賀状はその年に偶然会わなかった人であっても、ちゃんと送ることが多かった。


こんな状況だからこそ、会えない今だからこそ、“年一の連絡手段”をちょっとだけ見直してみてもいいかもしれない。そんなふうに思った。

直筆の想いが書ける連絡手段を――なんの理由もなく――取れる機会は年に数回もない。

しかし、年末年始はその絶好のチャンスである。

会えないからこそ、葉書一枚を送るその意味は、とてもとても大きいように思う。


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