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母親に受け止めてもらった記憶

●親の心子知らず

昨日はちょっと暗い記事を書いてしまいました。笑

だけど、決して子供の頃の僕は不幸だった訳ではなく、むしろとても愛情を注いでもらったと思っています。

大人になって、自分も家庭を持ち、子供が生まれたことで、「あの時の母親のあの言葉は、そういう意味だったのか」「父親はあの時、こう思っていたのかもしれない」と想像がつくようになってきただけで、子供時分の僕はまさに「親の心子知らず」状態。

両親をはじめ、色んな大人に見守られながら育ててもらいました。




●幼少期の記憶

特に、幼少期に「母親に受け止めてもらった」という記憶が強く残っています。



一番古い記憶は、保育園の年少?くらいのときのこと。

年長のお兄さんが1人で登園しているのを見て、「自分も1人で保育園に行く!」といい、家から保育園までの地図を描き、1kmくらい離れた保育園まで歩いたことがあります。

今思えば、多分お兄さんは保育園の入口から1人だっただけで、駐車場までは保護者が同伴していたはず。

だけど、「チャレンジしたい」という僕の気持ちを尊重し、一緒に地図を描き、当日も50mほど離れたところからついて歩いてくれました。

子供ながらにプライドがあったので、「着いてこなくていい!」と邪険な態度をとってしまいましたが、何度振り返っても心配そうに、でも笑顔で見守ってくれていた母親の顔を今でも覚えています。


思春期に入ってからは、家であまり自分から話さなくなったように思いますが、年齢に合わせて距離も取ってくれていたと思います。




●子も親も精神的に豊かな社会をつくりたい

子供時代の母親との記憶は、間違いなく僕の子供との関わり方や考え方に大きな影響を与えています。

そして、自分の子供に限らず、世の中の子供たちが親に受け止めてもらえて、その親達も豊かに(金銭的ではなく、精神的な面で)子育てできるような社会をつくりたいなと感じています。


今日は、過去に子供と関わる仕事をしていた方から、「はじめから大きなイベントを計画するのではなく、小さく始めて、仲間を増やして、みんなでイベント育てていくと良いよ」とアドバイスをもらいました。

地域でできることから、何か始めてみようと思います。

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