見出し画像

【有料老人ホームvol.5】それぞれの山の見え方⛰

ひとつの山を2人の人間が見つめて、ひとりが「この山はなんて立派で綺麗な山なんだ✨」としみじみと鑑賞に浸り、隣にいたもうひとりは「すごくいい山だ!これなら高く売れそうだ!」とお金💰が頭がよぎり嬉しくなっているという例え話。

同じ物を見ていても見ている角度が真反対ということがあります。 

経験、立場、環境が違う人たちが同じ物を見ても感想は千差万別。

前々回のnoteで書いた「尊敬する切り抜きジジイ」で登場した有料老人ホームで暮らす森越さんはいつも切り抜きをする定位置が決まっていました✂️

そこは3階エレベーター前のラウンジ。入居者さんの家族が来た時に対応できるようテーブルが3つ、ソファ席か1つ。

外の景色を一望でき、秩父連山が聳え立つ景色は特に冬はオススメで清々しい風景が広がりました。

画像1

「あの山を戦争が始まる前に父親と登った。まだ15歳で父親に誘われて2人で登ったのを覚えてる。」

昔のお父さんは今のお父さんとは違い気軽に話しかけて一緒に遊んだり出かけたりなんてないと思うので、森越さんにとって大切な記憶のようでした。

森越さんはその後しばらくして、お父さんの肩身の腕時計をつけて戦地に出向き、戦いを終え今にも消えてしまいそうなくらい細くなった身体で帰ってきたといいます。

自分が最後を迎える施設探しの決め手はお父さんと登った秩父連山が見えたからと話してくれました。

命をかける出来事の目前に登った山が見えるから。

逆に私の祖母は千葉から秩父に疎開し小学生の子供たちを連れて山奥に潜んで暮らしていました。当時19歳頃で大学に行くはずが予想外の展開になり学校の先生の代わりに駆り出され、辛い思いをしたようです。

「...秩父の山はもう見たくない」と言っていたことがあったとのこと。

今では秩父は観光スポットで有名になり、戦時中では考えられない未来がきました。

祖母が聞いたらなんと思うか。

画像2

一方、秩父に当時家があり家族で暮らしていた他の入居者さんは東京に向かって山の上を何機も飛んでいくB 29を静かに家族で見ていたと話していました。

「正座してね、誰も何にも言わず山を見つめてたよ」

何も出来ずただ東京の方が赤くなるのを見ていた様子を昨日のことのように思い出していました。今では考えられません。

同じ時代に生きた人たちが同じ山を見ても感じることは180°違うんだとあらためて感じた瞬間です。

今はコロナ禍で大変だけど、空から爆弾は落ちません。平和な毎日が続くことを心から願います🕊

読んでくださいましてありがとうございました。


サポートいただけたら嬉しいです😃こんなことを書いて欲しいなどのご意見、ご要望もお応えできたらと思います。日々ゆるやかに更新中💌