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アルコール中毒

玄関に入り、「あぁぁ…」と腑抜けた声を出して、両手に抱えた一週間分の食糧と日用品が入ったスーパーの袋をドサっと床に下ろした。
腕がジンジンと痛んで、手首は真っ赤に染まっている。
「なぁ、パンの袋くらい持ってーな。めちゃくちゃ重かったでこれ。両腕の血流が完全に止まってたもん…結婚式の時さ、楽しいことは倍にして、辛いことは半分にするって誓ったやん…」
僕は後ろで、ロングブーツを脱ぐのに手こずっている彼女に嘆いた。
「やいやい言いなや。男やろ?力仕事は男の仕事って昔からきまってんねん。私のこの弱々しい枝みたいなか細い腕が持てるのはiPhone X Plusで限界なんよ」
彼女はそう言いながら、シューズボックスの上に車のキーを置いた。
「時代錯誤の考えやぞ。男性蔑視や、男性蔑視。最近の流行は男女平等の社会でっせ」
スニーカーを脱いで家に上がると、後ろから、「靴下」と鋭い声が響いた。
一瞬、びくっとして、背筋が伸びる。
「靴下……すぐ脱いでな」
「あぁ、分かってる、分かってる」
僕は玄関マットの上で靴下を脱いですぐに洗濯機に放り込む。
「上も」
「分かってるって」
続けて、パーカーを脱いで洗濯機に放り込む。
「下もな」
「それも分かってるから…」
言われるがままにジーパンを脱いで洗濯機に放り込むと、僕はパンイチになった。
帰宅してものの数分でパンイチ。
そしてそのまま唇を重ねて玄関でおっぱじめ、人の気配を感じると、このスリリングな状況により一層燃え上がって…
なんてことでは全く無い。
しかし、ここまでのこのAVみたいな展開は傍から見れば変態夫婦に映るだろう。
ようやく、ロングブーツを脱ぎ終えた彼女は僕の体を見て、「だらしない体」と吐き捨て、浴室を指差し、「すぐ、シャワー」と短く言った。
「それも、分かってますよ…」

シャワーから出てキッチンへ行くと、彼女は下着姿で買った食材や日用品を取り出して、一つ一つ袋ごとスポンジで洗っている。
初めてその姿を見た時は唖然としてしまったのだが、今では当たり前の光景になっている。
彼女にとって、不特定多数の人が触れたものはすべて汚れて見え、それがどうにも我慢ならないのだと言う。
洗っておかなければ、その得体の知れない汚れがまた新たな汚れを生み、無限に増殖して空間を侵していくように見えるらしい。

付き合いたての頃、彼女がキッチンで何十分もポテトチップスの袋を洗っていたことがあった。
洗剤で泡だらけになった袋を水で流し、タオルで拭くと言う動作を何度も何度も繰り返していたので、僕は、「もう大丈夫ちゃう?」と声をかけた。
「変やろ。分かってんねん。でも、どうしようもないねん」
彼女は手を止めず、悲哀を含んだ笑みを浮かべた。
その表情が悲しくて、僕は返す言葉をすぐに見付けられなかった。

僕はソファに寝そべってスマホを弄りながら、彼女の儀式が終わるのを待った。
一時間近く続いた儀式が終わると、次は除菌ウエットティッシュを取り出して、スマホと財布を念入りに拭き始めた。
「ねぇ、スマホちゃんと拭いた?」
彼女が僕を睨む。
「すんません…」
僕は立ち上がってスマホを彼女に差し出す。
「手もちゃんと洗ってな」
「ほいほい」
キッチンで手を洗うと、彼女がアルコールスプレーを持って僕の前に立った。
「手出して」
彼女は僕の手にスプレーを3回プッシュした。
「はい、これでオッケー」
「今日は長いことかかったなぁ、儀式」
「大量に買ったから、大変やったわ」
「お疲れさん」
「じゃぁ、シャワー入ってくる」

テレビをつけると、夕方のニュース番組が流れた。
マスクの在庫不足、除菌用アルコールの在庫不足、飲み会でのクラスター、医療機関の圧迫、ヨーロッパでの感染爆発など、新型コロナウイルスの話題で持ちきりだ。
当初は、対岸の火事だと軽視していたのだが、まさかこんなことになるとは。
一応、母親に安否確認の電話を入れると、近所のお坊さんが県内初の感染者になったと言った。
それも、感染経緯が梅田での大飲み会が原因だったらしい。
症状が軽症だったことと、その坊さんの人柄もあって、地域の人達に責め立てられることはなく笑い種になっているとのことだった。

「はぁぁ、スッキリしたー」
彼女がリビングに戻り、僕の隣に腰掛ける。
「除菌用アルコールの在庫が全然無いらしいで」
僕がそう言うと、彼女は僕の足をパンッと叩いた。
「それはやばい。私、あれがないと生きていけへん……。なんか、アル中みたいやな。。」
「明日、朝からココカラファイン並ぶわ」
「いいの??」
彼女が目を見開く。
「ええよ。一緒に行く?」
僕がそう言うと、彼女は悪戯な笑顔で言った。
「いや、私は使う担当やから」




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