大人になっても、人生は辛い?
この日は仕事を終えて、家で缶ビールを飲みながら『REON』を観ていた。何度観ても当時13歳だったナタリー・ポートマンが醸し出す圧倒的な存在感には圧倒された。
3本目の缶ビールを取りに立ち上がろうとしたところでスマホの画面が光った。
「よってかえられへん、カラオケ、むかえチャリ」
LINEの通知画面にはこの文章が表示され、僕はLINEを開くかどうか躊躇した。正しい文章に変換すると、「カラオケで酔い潰れて帰れないから、チャリで迎えに来てくれ」という内容だったからだ。それにいつものカラオケは先輩の家から歩いても5分ほどの距離にあったので、初めてのお使いでも難なくこなせるような所に迎えに行くのも気が引けた。
少し考えたがいつもお世話になっていることもあり、自転車の鍵を持って家を出た。最寄駅の前の広場はサイファーにストリートダンスに泥酔サラリーマンにホームレスと、色んなものとにかく放り込んだ玩具箱のような状況になっていた。そんないつもの風景を横目に、生温い風を感じながら僕は自転車を走らせた。
10分程自転車を漕いで目的のカラオケに到着した。先輩はカバンや靴を地面に散りばめて倒れ込んでいた。僕は近づいて先輩を揺すった。
「帰りますよ」
僕がそう言うと先輩は目を閉じたまま、「水買うてきてくれ、エビアン以外で…」と小さな声で言った。
「死んでるくせにそのこだわりいらんねん」
僕がツッコミを入れたが、返事は無かった。
自販機でいろはすを買って戻ると、先輩の顔のそばには大量のゲロがあり、2匹の野良猫がそのゲロを舐めていた。僕は、「これは面白い」と思い、iPhoneで動画を回した。
先輩は朦朧とした意識の中、右手で片方の黒猫の頭を撫でる。野良猫は何故か触られても逃げない。そして、先輩がもう片方の三毛猫を左手で同時に撫でながら語りかけた。
「お前らも必死に生きてんねんもんなぁ。すごいよなぁ。ほら、お食べ」
どう考えても面白すぎる状況だった。しかし、僕がもっと近くで撮りたいと思い近づくと、2匹の猫は颯爽と逃げていった。
僕がいろはすを渡すと、先輩は無言で受け取って起き上がった。そして、500mlの水を一気に飲み干して、「ああああ」と雄叫びをあげた。
「いや、夜やし外なんで辞めてください」
「だまれ。ほんま飲まなやってられへんわ」
「それ、水です」
「知らんわそんなん」
「もう無茶苦茶ですやん」
僕は面倒くさくなって、「とにかく早よ帰りましょ」と言った。カバンを自転車の前籠に乗せると、先輩はゆっくりと立ち上がり自転車の後ろに跨った。
「明日から9月やんけ、くそが」
先輩はそう言って、唾を地面に吐いた。
「9月っすよ。8月31日の次は9月1日ですから」
「屁理屈いらんねん、ぼけ」
「いや、屁理屈じゃないっす。決まってることです」
先輩とはまともに会話が成り立たず、僕はその後の諸々の問いかけを無視した。
先輩の家の近くのコンビニに自転車を止めて、2人でタバコを吸った。
「なぁ、9月になったらまた目標が0からスタートやろ。もうええて、今月が終わった思たらすぐ来月やんけ」
先輩はそう言って、タバコの煙をゆっくりと吐き出した。そして、何かにしがみつくように1本のタバコをフィルター付近まで丁寧に吸いきって、また口を開いた。
「8月から9月へのインターバル作ってくれんかね…」
僕は『REON』のあるシーンを思い出した。
階段の前で血を流したマチルダがレオンに尋ねる。
「大人になっても、人生は辛い?」
レオンは答える。
「つらいさ。いつだってそうだ」
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