拘り

長く一つのことを続けることを善しとする文化に違和感を感じる今日この頃。

小学5年から始めた陸上も今年で10年目。

辞めようと思ったことは何度もあったけど、惰性も働いてなんとか続いている。

多くの出会いや学びがあった。それは間違いない。

でも、真実はけっこう残酷で。

小学生当時からの仲間はもう数えるほどになってきている。

小学校を卒業するときに体力作りでやってた友達は辞めて

中学を卒業するときに「部活」としてやらされていた友達は辞めて

高校を卒業するときには現実を突きつけられた仲間は辞めていった。

そして大学。

毎月のように耳に入ってくる。

「A大のBがやめた。」

同期も。後輩も。先輩も。

入学するときに夢を語っていた仲間が

どんどん辞めていく。

長くやってると、時間に伴って仲間を失うことが増える。

きっと人生でも同じことが起こり得る。

もちろん、残された者としては悲しい。

彼らの無念やボロボロになって辞めていったという真実を知る度に壊れそうになる。

でも、

必要以上に道半ばで諦めた仲間について言及する者が出現すると。

何一つわかっていないくせに表面的に、単眼的に物事を判断して

「あいつは根性がない」

「あいつは妥協した」

「あいつはダメだ」

いや、アホか。

仲間でさえ本当のことはわからない。仲間でさえ推測しかできないのに。

何様なんだお前は。

「続けることが美しい。」

「継続は力なり」

そんな文化が人を殺す。

人を追い込ませて

逃げ道をなくし

自死を「選ばされる。」

八王子の中学生飛び込み自殺。

報道には歪みがあるから真実はわからないけど

学校に継続して通うことが当たり前という文化の犠牲になったっていう解釈もできる。

「拘り」は時に暴走するし、人を暴走させる。

経営学の世界では、既存事業(今のその企業が行っている事業)に拘ることは是とされないことが多いように感じる。

むしろ多角化(新規事業に進出すること)の重要性はかなり高いと。

だからどうか。

ボロボロになる前に逃げたい。これは自戒を込めて。

継続なんて美しくも何ともない。

生きずらさを抱えながらの継続、意志と反した継続は本人も周りも傷つける。

まあ、そこから逃げ出すことが難しいから、

みんな嫌でも続けてしまうわけですが。

誰も何も悪くないよ。 
君は何も悪くはないから 
もういいよ。 
投げ出してしまおう。
(あの夏が飽和する。)

最後に好きな歌のワンフレーズを添えて。

個人で叫んでもなにもかわりませんが。

こういうことを発信していくことは大切だと思ってるしそれを可能にする基盤を有効に使えればいいな。と。




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