マインドフルネス
一言で「マインドフルネス」とは言っても、実は瞑想じゃないマインドフルネスもあるって知ってましたか?
マインドフルネスがブームになり始めてから、遅れるこの何年? ついに私もただただ瞑想をしてみるだけではなく、色々理解しようと踏み切りました。
マインドフルネスには、日常生活の中も含め、常にある程度自分の今感じている感覚を感じ、それに意識を向け、しいては自身の感情も客観的に見つめて、ただ「今を直視」しながら眺めるものがあるそうです。
立っている時に地面と接触する足の感覚や体重を感じるその感覚に意識を向けたり、座っている時の背もたれと接する自分の背中の感覚を意識したりして、「今」のリアルを強く意識するそうです。
他にも、自分の肉体的感覚を察知することで、己の感情を察知し、第三者的視点からただ見つめるのです。
すると、何かの拍子に怒りや恐怖心を感じても、それを早めに察知することで、冷静に行動を取り、適切に対処できるのです。
なにも、感情のコントロールに限らず、「今」の「リアル」を感じて大切にすることにより、平時の余裕や姿勢も良い影響を受けるそうです。
瞑想は、これから勉強します。
ただ、こちらは以前からほどほどに経験があります。
「心を無にして呼吸に集中」するとよく言いますよね。
しかし、特にはじめの方は頑張ってなにも考えないでみように努めれば努めるほど、なんだか呼吸に意識を向けようと頑張るその意欲に支配されてしまいませんか?
かなり、瞑想を長年行ってきた熟練者でも、瞑想中に一切なにも考えないでいられる時ばかりでもないそうです。
その時、様々なインストラクターや教員が、思考が風船になって飛んでいく想像をするとか、考えが電車のように通り過ぎていく想像をすることで、頭に浮かんだ考えに集中してしまわないようにするそうです。
そして、何かしらの考えで心を完全に無にできない瞬間があろうとも、自分自身を咎めず、「こういうものだ」とその状態も受け入れるそうです。
瞑想の表面しか接触していないので、きっともっとずっと奥も深く、もっと快適で効果的に瞑想できる方法もあると思います。
とはいえ、これが私の学習した内容です。
最初に述べた、「今」の自分自身の「身体的感覚」を強く認識できる練習をしながら、感情にも意識を向ける練習をここ数日から1週間続けてみました。
なんとなく、ザワザワしたような不快感というものを生まれて初めて認識し、これがおそらくは皆が「不安」や「心配」という感情なのだろうと思います。(これを認識したのは、身近な人物が別の誰かと若干だけ熱のこもった会話をした時に、その人物の身の安全に思考が巡った時でした。)
今まで、負の感情を私自身で何か認識する生活は送って来なかったと思います。
子供の頃から、ほとんど泣かず、怒りを表現したこともありませんでした。不安や心配という感情を認識したこともなければ、自分の感情を「不安」や「心配」と言葉で表現したこともなかったのではないかと思います。
家庭内外でも、あんまり接することも無い言葉たちでしたので、きっと概念として欠如していたのだろうと思います。
マインドフルネスの本を読み始めて、ちょっとずつ、ちょっとずつ私が日々の私自身の意識の対象をコントロールしようとする中で、少し自分の肉体的感覚を認識し始めたばかりの🔰新人として感じたことです。
もう少し継続して、徐々に慣れていったら、きっと色々と新しい発見も、認識の改定もあることでしょう。
マインドフルネスの導入は食事の時に味や食感を感じたり、様々な肉体的感覚や感情を感じている自分自身を眺めるように第三者的視点で認識しようとするところからみたいです。
とっても簡単で当たり前な一方で、スマホ社会では、食事中もスマホやタブレット、テレビなどに意識が持っていかれていませんか?
皆さんも、今度お食事を食べる際には、改めて味や食感に意識を向け、それらを感じている自分を見つめてみませんか?
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