今を生きたい!!
「気合で病気が治るわけじゃない」という言葉に随分と救われた。
事実、そうなのだ。
最大限健康的な生活習慣を心がけることはできるし、大切だと思う。
現に、食生活や睡眠習慣、運動でさえも、自分にできることはやっているつもりだ。
瞑想もやろうと努めているし、趣味を磨こうとも思って計画している。
体調の安定や改善には最大限努めるものの、人生それが全てじゃない。
どう足掻いても、どう頑張っても、波打つ体調の中での良い時間は増やせても、健康で最高で最善のみで固められたパラダイスはないだろう。
だからこそ、救けてもらえることがありがたいのだ。
というか、そもそも助け舟が存在していることもありがたい。
助けられてくれる人が優しいものだから、かなり救われる。
病気は改善して欲しいし、完治可能ならば、それほど嬉しいことはない。
けど、病気と共存しながら、最大限生きる生き方もあっていいじゃない。
仕事が趣味だったとしても、そこは楽しいだけの日々ではなく、歯を食いしばって突き進んだ日々も引っ括めていることだろう。(苦労も引っ括めて、「それでも幸せだよ」全てが楽なだけじゃないけど、それも全部肯定できるってのが幸せなんじゃないかな?)
すると、完治しないからと言って、完治だけを目指して全てを犠牲にし、人生を保留にしている間に時間ばかり過ぎていくことに意味を感じない。
大体、私は「完治しないが、共存により楽しく生活して前を見て生活できる」という考えにシフトしている。(それでも、治りたいと想いが噴火しては、今にフォーカスを戻そうとしていることもあるが……)
健康だけが幸せの定義でなくとも良いじゃない。(健康でいたいけどさ……)
ここ数年で何度も「もう、天命を受け入れよう。これまでだ。」と思ったことがあった。
しかし、身近な人が私が生きて改善することを信じてくれた。
だから、私も心が充電できた。
だから、再び改善を信じて頑張れた。
それは、恩に着る。
けど、身近な人と話すたびに、病態や治療法の話をするのはうんざりだ。
それが、何かの改善に結びつくのならまだしも、その会話は大体過去に話題にした内容をあたかも真新しいことを話すかのように繰り返されることが多い。
認知症の症状だろうか?(有力かも)
加えて、何か現実的な行動に結びつくわけでもない。
そして、私は現状は持てる手札を最大限以上活かし、可能な限り最善だろうとすら思っている。
むしろ、危険ギリギリな線を安全に渡って、安定に近い状態や改善が見込めていること自体がかなり貴重だ。
同時に、高望みや博打で欲張ってしまうと、今ある大切なことすらも失ってしまうリスクを波乱ではいないだろうか?
加えて、かなり恵まれている環境だ。
治療環境も恵まれているが、そこの人にはもっと恵まれている。
安心感のある環境で、自分のことを知ってくれている人々に助けられている。
この貴重な場で、私は自分が誰かを取り戻している気がする。
肉体的には、最近は程々に良い状態を維持し、改善していた。
波を打っても、立て直せそうだし、正直見た目以上には良い状態なのではないかとは、私は個人的には思っている。(希望的観測だけではないだろう。)
だからこそ、「完治」や「もっと良い体調」をゴールに据えた…… 切れるリスクが高い綱渡りを目指し、切れた時の破壊力が壊滅的な治療法の議論は…… 私の限られた体力と時間で身内と話したい内容のトッププライオリティーではない。
有意義という意味で、最善でもなければ、生産性があるものでもないように思ってしまう。
同じ1分なら、それを大切にしたいし、気持ちよく過ごしたいし、この人じゃないとできない会話や一緒の時間を過ごしたい。
限られた時間、限られたタイミング、「今ならばできる」という瞬間が少ないからこそ、自分にとって大切なことをできるタイミングを逃さずに実行したい。
髪を切る前に、家族と写真が撮りたかった。
その夢は、多分もう叶わないだろう。
家族に会える時は非常に限られている。
髪が傷んでいるし、乾かないし、暑い。
ヘアドネーションに使える髪質を維持し、髪を伸ばすのもそろそろ限界だ。
もう、同じ髪質になることは二度とないかもしれない。
今、この年齢、この状態、この見た目……
今の私は今しかいない。
先月の私も先月しかいなかったし、来月の私もその時しかいない。
約一ヶ月前頃に「今ならいける!
今を逃したくない!」
と思った時に、雨でも強行突破しなかった自分を少し悔やむ。
いやいや、後悔はしないゾ。
そんなものは無駄だし、プラスにならない。
であれば、それを今後の改善に活かしたい。
今後は、さらに自分の本能に従おう!
「今自分にとって大切なこと」というものを大切にして生きたい。
日々の雑務に追われていたり、現実から目を背けて何かで現実を逃避することに忙しい時には、正直「今」とか「自分」とかに焦点を当てられないのだろう。
今を逃避しなければ、今を生きる力すら湧かない時には、現実逃避や直近の快楽やとってもチイサクテモ実現可能な目標も重要だ。
でも、人生は有限だ。
楽しめる時間も有限だ。
会話も、
その人と過ごせる時間も、
その有限である素敵な時間の素敵な部分に焦点を当てて過ごしたい。
もしも、病気について話すのであれば、具体的に何をどうすれば、現実的に改善策に結びつくのかを計画し、どのような下調べが必要で、実際にはどのようなことが可能そうかを議論した方がいい。
ただただ、「完治」というもはや共通の目的ですらないことを話題にすることで、患者本人には悲しみと苦悩が生まれるくらいならば、「完治」などというまやかしは毒の蜜でしかない。
ましてや、その話題が楽しくもなく、ストレスや葛藤を増すくらいなら、患者にとってはただの毒……
話題を切り替えるための試練?
NOというための試練?
「早く子供生みなよ」も「本当は卵巣復活してんじゃない?」も早期閉経からただ目を背けているだけだし、傷付く。
誰も、好き好んで「不治」を選ぶわけでもないし、「不妊」を選ぶわけでもない。
たしかに、想定が甘かった。
若気の至りで失敗するならば、(最大限予防しようとしたとはいえ……)不可逆的な臓器障害を負わないことで失敗しようよ……
悔しい。
後悔していることはある。
持てる手札を最大限使用しなかった。
未熟だった。
身から出た錆?
人生で唯一後悔している治療選択……
過去は変えられない。
過去を忘れて、再び無鉄砲に動き、さらなる犠牲を払ってまでありもしない完治というまやかしを求めて、傷つきたくない。
もう、話題にすらしたくない時だってある。
正直、この話題が何度お願いしても避けられないのならば、会話回数を減らしたいとすら願う……ことすらもある。
今できることに集中させてくれ!
今の自分にも、何かあるから!
貴方の理想像ではないだろう。
でも、私は私だ。
私には私の価値観がある。
もう、半生以上前のあの日のタクシーの中で「治っちゃうかもよ」と言われて……
「治る病気じゃないから」と私は返した。
その時は救いだった外出時のタクシーの運転手さんの言葉。
「お母さんが悲しむから、治らないなんて言っちゃダメだよ。ウチの嫁も癌が治った。きっと治ると信じれば治る。」
勇気づけられた言葉。
今は、その幻想から解き放たれた自分と、遅ればせながら現実を直視して自分の人生を現実的な一歩一歩で踏みしめようと努力を心がける自分を褒めたい。
昔は偉大なことを成し遂げたいと思っていた。
最近まで、何か成し遂げたいと思っていた。
今でも思ってる。
むしろ、今でも偉大なことを成し遂げたいさ。
少しでも、何かの役に立ちたい。
色々考えた。
自分にできることは少ないかもしれない。
たとえ、自分には何もできずとも、もしも笑顔で居れる時間が誰かの記憶にさえ残ってくれたら、私の存在意義があるのかもしれない。
自分は誰だ?
私は〇〇だ!(名前)
私だ!
自分なら、大丈夫!
できることはある。
それを編み出すこともできる。
できることはなくとも、自分のコアの自分を自分たらしめることを最大限大切にして、今を生きようと奮闘することはできる。
見てる人は見ている。
神様は絶対に見ている!
胸を張ろう。
再びもっと、自分に誇りを持とう。
やっと、自分が誰かを思い出した。
やっと、自分らしさを取り戻しかけていると自負している。
今を大切に生きよう!
ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。