真心を魔の手に変えるインターネット

恐ろしいタイトル。

いやね、真心自体は変化もしないし、毒にもならないんです。

ただ、何かの時に、ただ静かに一人で気持ちを整理する必要がある時ってありませんか?

そう。携帯の電源を落としてしまえば良いだけの話。

しかし、もしも、過去に「連絡がつかない」という事態を心配して電話をかけたら、ICUのスタッフが「本人は治療中のため現在電話に出ることができません。どなたですか?」という回答が返ってきていると……

それも、一度や二度ではないと、「毎日の早急な返信」が本人に求められるようになる。

1980年代や90年代のまだ携帯電話が普及する以前であれば、家に帰るまで電話が繋がらなくて当たり前だった。

不在ならば、電話が繋がらないため、瞬時に連絡が通じる必要とプレッシャーが少なかったのではないだろうか?

しかし、今は、連絡した瞬間に通じるのが当たり前。

すると、連絡する側はすぐに返信がもらえるのが当然になってしまう。

同時に、「すぐ返信」がないと、過度な不安を抱く場合が出てくる。

すると、この不安の解消が「相手に常に返信を求める」というプレッシャーに変わってしまうことがある。

本人は本人で、心配させたくはない。無意識のうちに、携帯を無視しづらくなり、朝晩の挨拶に加えて、返信も急ぐようになる。

連絡する側も心配が募ると、場合によっては、即返信が「私のことを大切にしている」の証明になり、即返信がないは「思いやりがない」にすり替わってしまう場合すら出てくる。

しかし、人間、生きていれば色々ある。

携帯電話に四六時中張り付いていられるわけではない。

返信の時間ができるのは夜になるかもしれない。

しかし、時差があれば、その当人の唯一フリーの時間である夜は、連絡主の夜中や明け方の可能性がある。

すると、連絡主は「一回くらい短文の連絡を入れてよ!」となる場合もある。

当人としては、「昼食すら15時に移動中にどうにか頬張る時間しかないのに、携帯を落ち着いて見てられないことくらい想像してくれよ!」となるかもしれない。

逆に、無理なもんは無理だから、しょうがないじゃん、と日々に没頭して都合の良い時にだけ連絡するのが日課になるかもしれない。

しかし、ようやく時間ができた夜のメッセージに、連絡主の明け方即返信が来てしまうと、相手の身体が心配になってしまう。

すると、当人は「連絡の確認など、夜中ではなく、昼間健康被害が出ない時間にしてくれよ!」と思うかもしれない。

このように、人はそれぞれ各々の時間軸で行動している。

相手の都合が良い時間=本人の都合の良い時間とは限らない。

むしろ、そんなことは稀ではないだろうか?

同時に、「即返信」という無意識の要求と暗黙のプレッシャーがなければ、各々が都合の良い時に文章を書いて送れるのは便利だ。

便利が当たり前になっているインターネット社会では、時に思いやりがお互いに変なプレッシャーになってしまう場合もあるかもしれない。

インターネットが便利であろうがなかろうが、相手をリスペクトし、相手の時間軸は自分のそれと違うと常に思い出せば、すれ違いも減るかもしれない。

また、不安が即解消されることに慣れすぎない方が、心配が膨らむことも防げるのかもしれない。

相手を思いすぎることによって、その思いやりが負荷になり各々に不必要な摩擦を生む原因にならないよう、たまには一歩下がって「インターネットの超便利社会」から距離を置くのも悪くないのかもしれない。

返信をする側も待つ側も、過度に即返信を期待しない方がストレスフリーで快適に過ごせるのかもしれない。

便利すぎる世の中だからこそ、時々携帯の電源を落として本当の意味で一人思考を整理する、落ち着いた時間を確保する習慣は大切だろう。

最低でも、眠前2時間はブルーライトを浴びない工夫を心がけよう!

今を大切に生きよう〜

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