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【ショートショート】 この夏の目標

 俺は、あの子のことをほぼ何も知らない。
 知っているのはその名前と、俺と同じクラスで物静かなタイプであるということと…あと、笑った顔が可愛いということくらいだ。

 そもそもクラスの中で、接点の少ないタイプなのだ。俺はうるさくて声もでかい。あの子の声をきちんと聞くには、俺のいる環境は騒がしすぎる。あの子は多分、俺みたいな人間は苦手だと思う。
 まさに、俺とは真逆のような落ち着いた人で、だからこそ俺は仲良くなってみたいと思っている。

 俺の中にある、花岡さんの情報はそんな具合だった。
 そんな人が、いま俺の後ろを歩いている。何となく気まずそうに距離をあけつつ、多分、俺の様子を伺いながら歩いている…。

 数週間前、妹が大切に育てていた朝顔を、俺はうっかりへし折った。めちゃくちゃに泣かれて罪悪感に苛まれていたとき、用務員のおじさんが学校の花壇ででっかい朝顔を咲かせているのを見かけた。「これだ!」と思った俺は、おじさんに事情を話して、まだ花が咲いていない株を譲ってもらえることになったのだ。

 そして、植え替え用の植木鉢を持ってくるように言われたのが数日前。「もう持って帰って大丈夫だと思うぞー!」と声をかけてもらったのが、今日の昼休みだった。

 そんなこんなで、善は急げと早々に受け取り、本日立派な朝顔が伸び伸びと生きている植木鉢を抱えて、いつもの通学路を歩くことになった。

 別に人の目はさほど気にならない。注目されること自体は嫌いじゃないし、何よりこれで妹に申し訳が立つとホクホクした気分にすらなっていた。
 ただその気分は、何故だかわからないけれど花岡さんを見かけた瞬間、「いや恥っず!」という感情となって吹き飛んだのである。

 花岡さんの一歩は、身長に比例するように小さい。何というか控えめで、てくてくと歩いている。俺は何も気がついていないようなふりをして、そっと歩くペースを落とす。俺、花岡さんとちょっと話してみたい。
 よお!なんて話しかけ方はちょっと違うよなあと戸惑いつつ、結果的に最寄りの駅の近くまで声をかけられないまま歩くことになってしまった。

 いつもよりこっそり歩いているような花岡さんを見て、自分を視界に捉えられていることを何となく認識する。いつ話しかけるよ。いや待て、そもそもそんな話したことないわけだけど、俺って認識されてる?知らない人って思われない?!

 もうすぐそこが駅というところまできたとき、俺は腹を括って立ち止まり、彼女の方に振り返った。
 正確には、彼女が歩いている道の先で、勝手に振り向いただけなのだけど…。

「なあごめん、リュックから定期取ってくんね?お前、同じクラスのやつだよな?」
 焦った結果、死ぬほどダサくて何だか失礼な声の掛け方をしてしまう。

「えっ…」
 見開かれた彼女の視線に、俺は頭をぶん殴られたような感覚になる。いやお前とか言ってごめん!同じクラスだなんて、わかってるんだよ!花岡さあん!

「これ地味に重くて、下に置くと持ち上げるの嫌になりそうなんだよ」
 もうここまできたら引き返しようがない。馬鹿な俺は、全力で馬鹿を貫く覚悟を決め、植木鉢を持ち上げて彼女に見せた。

 ひょいと持ち上げてしまったことで、全然重くないことがバレてしまったかもしれない…とドキマギする俺に、彼女は優しく応対してくれた。

「ど、どこですか?」
「リュックのなあ、多分右の下らへん」
 少しでも探してもらいやすいように、リュックの右側を花岡さんの前に動かす。戸惑いながらも彼女はリュックに手を伸ばし、律儀に「失礼します」と言ってくれた。イメージ通りのキャラクターに、思わず笑ってしまう。何だこの子、面白い!

「失礼、してして。悪いな、ちょっとリュックの中ごちゃごちゃかも」
 ああミスったな、もう少しカバンの中を整理しておくべきだったと思いつつ、返事をする。

 少し身を屈めて、リュックをがさごそされながら、植木鉢を持って道に立ち尽くすという不思議な時間が流れだす。何か話したいけど…どうするどうする!

「花岡さんは、いつもこれくらいに帰ってるの?」
「へ?」
 無難すぎる問いを唐突に投げた結果、相応の返事が返ってくる。しかもマジでミスった、どさくさに紛れて名前を呼んでしまった。
 なぜか驚いた顔をしている彼女に、慌てて言葉を渡す。

「え?もしかして定期ない?」俺、まさか教室に置いてきた?それはさすがにだるすぎる。取りに行くくらいなら、いっそ切符を買って帰るべきか…。

 ふと見ると、花岡さんは肩を揺らして笑っている。ああ、そうそう。この顔が見たかった。心の中でガッツポーズをする俺に、彼女は言う。

「いや…まだ見つからないだけで…」
「ノートの隙間とか、どっかに多分あるんだよお」
 いやつまんないものが出てきたらまずいな、何もやばいものは入れてないはずと一瞬悩む俺に、彼女はふふっと笑って「待っててくださいね」なんて返す。
 そういうなら、一生待ってもいいなどと思いながらふと感じた違和感を口にする。

「敬語やめなよ。クラスメイトなんだし」
 俺はただ、花岡さんとフラットな位置で話しがしたいと思った。
「あ、はい、えっ、あ。…うん」

 返事は「はい」と「うん」の間をゆらゆらしていた。彼女は、多分いい人だ。何の根拠もないけれど、俺はそう、思う。何となく気恥ずかしくなり、慌てて思い浮かんだ言葉を口にする。

「妹が育ててた朝顔、俺がボールぶち当てて折っちゃってさ」
 …一体何の話をし始めたんだ俺はと、脳内で言葉をぐるぐるしながら、始めてしまったものは仕方がないと話を続ける。

「そしたら、用務員さんが超でかい朝顔育ててるって知って。数日前に声かけて譲ってもらうことにしたんだよね。ほら、あの体育館横の花壇でさ。サッカーしてるときに見かけて声かけたら1株譲ってもらえることになってさあ…」

 花岡さんは、リュックの中で彷徨いながら「うん」と声に出して相槌を打ってくれる。つまんない話をして悪いなあと思いつつ、ここからどうやって話しを広げようかと思い出した瞬間、向こうから「妹いたんだね」と返ってきて驚くとともに、嬉しくなる。

「おう、小学1年。可愛いんだぞ」
 日々周りに奴らに、シスコンと笑われていることを思い出して、今までかいたことのない変な汗をかく。慌てて「で、少し前にこの鉢に移してもらったやつを、今日持ち帰ることにしたってわけ」と続け、話しを結ぶ。そして「定期あったあ?」気まずさを誤魔化すように、花岡さんの様子を伺う。

「これかな」
「おお、それそれ!サンキュー」

 指で渡された定期を挟んで持ち、肩越しにリュックを閉めてくれていることに気がつく。あ、優しい。

「…ありがとな、まじ助かった!また明日な!」

 うーん、今日はここまでだなとお礼を述べ、明日もあるとサクッと会話を切り上げる。後は脳内で今後について作戦を練るだけだ。

 花岡さん、これまで話したことは全然なかったけど、めちゃくちゃ親切でいい人だった。
 俺はこういう、知らない人を知る瞬間がワクワクしてすごく好きだ。そんなことを考えつつ、定期を落とさないように植木鉢を持ち直して改札へ向かう。

 …待て待て、どうやってタッチするよ、コレ。しくじったと、左手で定期を受け取ったことを今さら悔やむ。植木鉢を一旦置くにも、こんな改札口で!やらかしたー!

 一人脳内コントをかましていたら、さっと定期を引き受けるように手を延べられた。そこにいたのは、まさかの花岡さああん!!もう絶対いい人だー!

「うわあ助かったー!」いつもみたいに間抜けな大声を出してしまった。花岡さんはくすくす笑っている。

あ、俺もっとこの人と仲良くなろう。
それがこの夏の俺の目標だと、思った。


(3134文字)


=自分用メモ=
あんな話しを書いてしまったら、反対側の心情も語りたくなるじゃないかと先週の作品を受けたものを書いた。
素直な人は、良い。まっすぐな言葉は、強い。あまりに王道を歩き始めた、この二人は今後どうなっていくのだろうとゆるく想像しつつ…。

=追記=
花岡さんサイドのお話しは、こちら↓

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