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成功するアンティークコイン投資・国の知識を深めよう!『オーストリア②』

みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。

昨日に続きオーストリアについてお伝えします。

大国となったオーストリア

ハプスブルク家3

領土があまりにも広大になりすぎると、1人の皇帝だけで統治するのは難しくなります。そこでカール5世は、オーストリアを弟のフェルディナント1世に、スペインを子どものフェリペ2世に与えました。これにより、ハプスブルク家はオーストリア=ハプスブルク家とスペイン=ハプスブルク家に分裂します。

ハプスブルク家

1618年、ボヘミア(ベーメン)の国王にもなったオーストリア=ハプスブルク家のフェルディナント2世がボヘミアにカトリックを強制したことで、ベーメンの反乱が起こります。これをきっかけに他のヨーロッパ諸国が介入してきたため、戦争は長期化して三十年戦争に突入しました。結果として、オーストリア以外の領土の多くを失い、ハプスブルク家はオーストリアの皇帝という地位に収まりました。

さらにフランスとオスマン帝国からの圧迫を受けて苦しみますが、皇帝レオポルド1世はオスマン帝国軍を撃退し、ハンガリーなどを奪還しました。オーストリアが大国へと返り咲く足掛かりを築くことに成功します。

フェルディナント1世の銀貨

オーストリア フェルディナンド1世 1564-95年 ターレル 銀貨

フェルディナント1世が皇位についた期間は1556年~1564年で、1558年~1564年に発行されたコインには彼の肖像が刻まれています。製造技術がまだ洗練されていなかった頃の作品なので、やや拙い感じはありますが、それがハプスブルク家の歴史を象徴しているとも言えるでしょう。裏面には盾の紋章が刻まれています。

神聖ローマ帝国やハプスブルク家のコインはコレクターの間でも人気なのですが、1500年代のものはあまり出回っていません。1600年代以降のコインと比べると意外と見かける機会が少ないので、ハプスブルク家のコインをコレクションするならぜひお目にかかりたいコインです。

レオポルド1世の15ダガット金貨

レオポルド1世(1640~1705年)は、領土を失ったハプスブルク家の返り咲きの足掛かりを作った皇帝です。彼の肖像が刻まれた15ダガット金貨は、存在する枚数がたったの1枚しかなく、大変希少価値が高い逸品として知られています。取引価格は数千万円で、今後も高騰していくと考えられます。
(画像:1695年レオポルド1世10ダカット金貨)

1695年レオポルド1世10ダカット金貨

表面にはレオポルド1世の横顔が刻まれ、髪の毛や装飾が細かいところまでデザインされています。ハプスブルク家特有のしゃくれた顎も、しっかりと刻まれています。

オーストリア継承戦争

マリア・テレジア

(画像:マリア・テレジア)
1740年にカール6世が亡くなると、マリア=テレジア(1717~1780年)が夫のロートリンゲン公フランツ=シュテファンとともに後継者となりました。しかし、新興勢力のプロイセン国王フリードリヒ2世がこれに異を唱え、継承を認める代わりにシュレジェンの相続権を主張しました。

結果的にシュレジェンはプロイセンが占拠しますが、オーストリアでは、マリア=テレジアのオーストリア大公・ハンガリー王の地位と家督相続が認められます。また、夫のフランツ1世も神聖ローマ皇帝として認められました。(画像:フランツ1世)

フランツ1世

ちなみにマリア=テレジアを「女帝」と表現することがありますが、これはやや正確でない場合があります。神聖ローマ皇帝は夫のフランツ1世であり、マリア=テレジアではないからです。「オーストリア大公」という肩書きで表現するのが正しいです。

マリア=テレジアのターレル銀貨

マリア・テレジア ターレル銀貨

経済や貨幣の歴史の中で興味深いのが、マリア・テレジアのターレル銀貨です。表面にはマリア=テレジアの肖像が、裏面にはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が刻まれた、ハプスブルク家らしい「いたって普通な印象」の銀貨です。

しかしこのコイン、マリア=テレジアが亡くなった1780年以降もリストライクで1780年銘で発行が続きました。東アフリカやアラビア半島の一部の地域ではこの銀貨しか受け入れられず、同じ額面の他の銀貨などは通用しなかったからです。なんと200年近くも、マリア=テレジアのターレル銀貨だけが使われていたそうです。かなり最近まで使われていたということになりますよね。

もともと当方での貿易のために作られたコインなのですが、「これしか通用しない」ほど人気が出るとは誰も思っていませんでした。特に際立って品質が良かったわけでもなく、またマリア=テレジアが人気なわけでもなかったので、今でも研究が続けられているほどの謎を読んでいます。

オーストリアは第一次世界大戦に敗戦した後、1935年には鋳造所をイタリアに渡します。オーストリアが鋳造所を手放したためか、この年からイタリア、イギリス、フランス、ベルギーなどさまざまな国でマリア=テレジアのターレル銀貨が発行され、貿易に使われていました。

結局1965年まで発行され続け、イエメンでは1977年まで公式の貨幣として使われていました。発行枚数は多いですが、まだまだ未解明の謎があり、非常に面白いコインですよね。

神聖ローマ帝国の消滅と三月革命

神聖ローマ帝国の消滅と三月革命

1789年にフランスで起きたフランス革命は、他のヨーロッパ諸国にも大きな影響を及ぼしました。フランス革命後の混乱を経てナポレオンが皇帝として即位すると、支配を広げていきます。

神聖ローマ帝国も同様で、ナポレオンに抵抗するものの、1805年のアウステルリッツの戦いで敗北します。当時の皇帝フランツ2世は1806年に神聖ローマ皇帝を退位し、最後の神聖ローマ皇帝となりました。同時に神聖ローマ帝国も消滅し、オーストリアはナポレオン帝国の属国のような立ち位置になります。

フランス革命やナポレオンとの戦いで混乱した秩序を取り戻すため、ヨーロッパ諸国が集まってウィーン会議が開催されました。しかし、「会議は踊る、されど進まず」と言われたように、各国の利害が対立して議論は進まず、舞踏会に時間を費やすだけでした。結局、メッテルニヒの指導の下でフランス革命以前の絶対王政を復活させるウィーン体制が成立し、ヨーロッパは保守的な体制に戻ってしまいました。
(画像:治世初期のフランツ・ヨーゼフ1世)

フランツ・ヨーゼフ1世

ウィーン体制で抑圧された市民たちにより、1848年のヨーロッパに革命の波が広がります。ウィーンでも同様で、メッテルニヒの体制は一掃されます。革命は鎮圧されて保守主義が勝利したものの、18歳のフランツ・ヨーゼフ1世は混乱を治めなければならない難しい治世での即位となりました。

次回はフランツ・ヨーゼフ1世についてのコインなどお伝えいたします。

みなさんにアンティークコインで幸あれ!

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