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成功する投資『ドイツ編①』アンティークコインの知識を深めよう!

みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。

今回はドイツのコインと歴史についてお伝えします。
ドイツの歴史を見てみると、統一と分裂を繰り返したかなり複雑なものとなっています。この難しさのため、コインのコレクターや投資家も「どの順番で集めたら良いのか分からない」と困ってしまうのでしょう。

この記事では、複雑なドイツの歴史のハイライトを追って行きます。神聖ローマ帝国のコインなど投資価値のあるものも多いので、ぜひドイツの歴史もマスターしていただければと思います。

神聖ローマ帝国が誕生するまで

ヨーロッパを支配していたローマ帝国は東西に分裂するのですが、ゲルマン人たちに西ローマ帝国は滅ぼされ、フランク族が勢力を拡大してフランク王国を建国します。有名なカロリング朝のカール大帝などが国を治めるのですが、その後に王となったルードヴィヒ1世は、子供たちに分割して相続させようと考えます。

ドイツ分裂

ルードヴィヒ1世の死後、843年にフランク王国は分割され、東フランク王国、西フランク王国、中フランク王国の3つに分裂しました。これがドイツ、フランス、イタリアの原型です。ドイツの原型となったのは東フランク王国です。

東フランク王国から神聖ローマ帝国へ

911年にカロリング朝が途絶えると、東フランク王国は諸侯の選挙によって王を決める選挙王政が始まりました。初代の国王にはフランケン家のコンラート1世が即位しています。(画像:コンラート1世)

コンラート1世

919年、前の王に指名されたザクセン家のハインリヒ1世が次の王に選ばれ、ザクセン朝が始まります。ハインリヒ1世はフランク人ではなくザクセン人だったため、フランク人の王統が途絶え、ここで東フランク王国は終わりドイツ王国になります。(画像:ハインリヒ1世)

ハリンヒ1世

正式にドイツ王となったのはハインリヒ1世の子どもであるオットー1世です。彼はマジャール人を撃退したり、イタリアに遠征してローマ教皇を助けたりといった功績を上げたため、962年に教皇からローマ帝国皇帝の冠を授けられます。(画像:オットー1世)

オットー1世

これによってオットー1世は初代の神聖ローマ帝国皇帝となりました。これが神聖ローマ帝国の起源とされています。

神聖ローマ帝国のコインと歴史

ドイツの歴史のハイライトである神聖ローマ帝国について見ていきましょう。神聖ローマ帝国は962年から1806年までという長い期間にわたって存続した国なので、コインの種類も豊富です。

皇帝の弱体化とハプスブルク家の台頭

ドイツの封建制度が安定してきた一方で、十字軍やイタリア政策の疲弊を背景に、皇帝の権力は次第に弱くなっていきました。その代わり、各地を治める領邦国家が力を持つようになってきました。ハンザ同盟の中心都市として栄えたリューベックがその一例として挙げられるでしょう。
(画像:世界遺産リューベック)

リューベック

同時に、東方への移住が行われて東方植民も進んでいきます。これによって各地の領主の権力が増大していく一方、ますます皇帝の権力は弱体化していきました。

その後、皇帝の地位を次ぐ家がいなくなったため、領邦君主から皇帝を選出することになりました。領主側には、力を持っていない者を皇帝にすることで皇帝の権力をさらに弱体化させる狙いがありました。

そこで選ばれたのがハプスブルク家のルドルフ4世です。彼はルドルフ1世として1273年に神聖ローマ帝国に即位しました。(画像:ルドルフ4世)

ルドルフ4世

今でこそマリー=アントワネットやマリア・テレジアのイメージがあって、ハプスブルク家といえば歴史上の名門貴族ですが、当時はスイスの弱小領主でした。周辺諸国との政略結婚などを通じ、次第に権力を高めていくのですね。

ハプスブルク家は獲得したオーストリアを中心に神聖ローマ帝国を治めることになったため、ここからはドイツとオーストリアの歴史を一緒くたに見ていくような流れになります。

ルドルフ1世

以上の流れからも分かるとおり、ルドルフ1世はいわゆる皇帝としての素質を期待されたのではなく、領主たちが無害そうな人を選んだだけでした。しかしその前評判をひっくり返す活躍を見せ、ハプスブルク家をヨーロッパでも有数の名門に押し上げるのです。

領主たちはハプスブルク家の強大化を恐れ、皇帝の世襲制を認めませんでした。そのため、ハプスブルク家は一時的には表舞台から姿を消しますが、オーストリアの内政に力を入れ、勢力を取り戻していきます。

マクシミリアン1世

マキシミリアン1世

ハプスブルク家のマクシミリアン1世は、1508年に皇帝となりました。神聖ローマ帝国の皇帝はローマ教皇から戴冠を受けてから晴れて皇帝になるのですが、戴冠を受けていないのに皇帝を名乗ってしまいます。それ以降は、神聖ローマ帝国の皇帝の地位はハプスブルク家が独占することになりました。

マクシミリアン1世の時代に、ハプスブルク家お得意の政略結婚によって帝国は統治する範囲を広げました。自らもブルゴーニュ公国の王女と結婚し、子どもをスペインの王女と結婚させ、孫はハンガリーの国王と結婚させ、広大な領域を手にします。

カール5世

カール5世

マクシミリアン1世の後を継いだのが、息子であるカール5世です。スペイン王も兼ねており、カルロス1世とも呼ばれています。

父親から広大な領土を相続しただけではなく、大航海時代でアメリカ大陸に植民地を獲得し、さらに統治する範囲を広げました。カール5世の頃はハプスブルク家が最も栄えたと言われており、神聖ローマ帝国は「太陽の沈まない国」とも呼ばれました。(画像:フェリペ2世)

フェリペ2世

カール5世は引退するときに、スペインを子供のフェリペ2世に与え、オーストリアを中心とする神聖ローマ帝国を弟のフェルディナント1世に与えました。これにより、ハプスブルク家はスペイン=ハプスブルク家とオーストリア=ハプスブルク家に分裂します。

ハプスブルク家

ルドルフ2世の10ダカット金貨

マクシミリアン1世、カール5世、フェルディナント1世と、ハプスブルク家が最も繁栄した時代を表す金貨があります。それが、後の皇帝ルドルフ2世の頃に作られた10ダカット金貨です。

ルドルフ2世の10ダカット金貨

表面には3人の横顔が刻まれており、左(手前)から順にマクシミリアン1世、カール5世、フェルディナント1世が並んでいます。裏面にはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が刻まれています。(画像:ルドルフ2世)

画像12

ルドルフ2世といえば、皇帝としての才覚は微妙だったと言われているのですが、珍しい動物のサンプルや科学機器、最先端の美術品などを集めており、博物館のようなコレクションを保有していました。3人の皇帝の肖像が描かれた珍しい金貨にも、彼の突出した美意識や好奇心が現れているのかもしれません。

次回は16世紀移行のドイツについてお伝えします。

みなさんにアンティークコインで幸あれ!

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