掌編小説③「北極星」「女の子」「地図・海図・星図」




「あの一番明るい星が見える?」

 星が見える丘の上で2人、無数に輝く星々を地に寝そりながら眺めていた。
 彼女は夜空に瞬く星の中でも、一際煌めきを放つ光に向かって指をさす。

「あれは北極星《ポラリス》っていうのよ」
「ポラリス」
「あの星の下に、ジュリアードがあるって言われているの」
「ジュリアードって?」
「遭難した船乗りのお話のアレだよ」

 それは街に伝わる船乗りの伝説のお話。おとぎばなし。

 始まりは一人の船乗りが、船で遭難したときのことだったそうだ。
 海で嵐に見舞われた船乗りの青年は、真っ黒な海の上を漂っていた。ふと、遠くの空に、一点に煌めく光が見えたのだそうだ。青年は希望の光にも似たその光に向かって船の舵を取った。
 気がつくと、青年は見たことのない島に打ち寄せられていた。

 小さい頃から眠る前に聞かされるお話の内容を話し合えたところで、彼女は目を輝かせながら青草に手をついて立ち上がった。

「楽園だよ。そこでは私たちが見たことのない世界と自由が広がっているの。私はいつか絶対にそこに行く」

 私はいつか絶対にそこに行く。
 この言葉には続きがあるようにも聞こえた。

 “こんなところからはさっさと出て行ってやるの”

 まるでそう言っているようにも聞こえたのは、彼女があまりにもこの街への未練もなく、透き通った瞳で、ポラリス|《それ》を見つめていたからだろうか。

 閉鎖的な田舎街で生まれた僕ら。歳が近かったことから、幼い頃からよく一緒に遊ぶ仲だった。
 テレサは父親と二人で住んでいた。しかし、テレサの父親はあまり良い人間とは思えなかった。父親はよくテレサに暴力を振るっていたからだ。

 僕は祖父に育てられた。船乗りだった祖父から、よく海での船の操り方を教わった。だから思った。伝説通り、船でジュリアードに向かうのならば、きっと僕の船での知識と技術が役に立つと。テレサの役に立てる。テレサを喜ばせることができると思って嬉しかったのかもしれない。

「テレサが行くなら僕も行くよ」
「オリバーが来てくれたら、私も嬉しい」

 “二人で一緒に、ジュリアードへ行こう”

 満点の星空の下で君と交わした約束。

「オリバーが来てくれたら、私も嬉しい」

 君は確かにそう言って笑ってくれたよね。
 ねえ、テレサ。
 君は今、どこにいるの───?



「本当に行くのか?」
「うん」
「今からでも遅くはない。考え直したらいいんじゃないか?」

 心配そうな面持ちで、荷物を運ぶ手伝いをしてくれているマルクスに小さく頭《かぶり》を振った。

「テレサが待っているから」
「なあ、オリバー。テレサはもしかしたら、もう…」
「約束したんだ。ジュリアードに一緒に行くって」

 マルクスの言葉を半ば遮るようにして言った。

「…そうか、分かったよ」

 もう何も言わないよ、と力なく笑うマルクスが最後の荷物を船に運びこんでくれた。渡り板を降り、港で船に乗った僕と対面するように向き合うマルクス。

 君がさっき何を言おうとしたかは分かるよ。
 君がジュリアードやテレサについて、どんな風に考えているのかも。
 でも、僕は決めたんだ。

「行ってくるよ!」
「おう!気をつけてな!」

 テレサがいなくなった日、僕の家の机の上には、紐がくくりつけられた丸められた古い紙と簡素なメモ書きが置かれていた。

“ジュリアードで待ってる”

 メモにはたった一行。それだけだった。
 差出人の名前は書かれていなかったけれど、誰が書いたのかはすぐに分かった。

「テレサの字だ」

 もう一つの古い紙は何かの地図だった。
 とても古いものらしく、紙はほとほと痛んで茶色く変色していた。周りの縁も欠けていたり破れかかっているところがあった。
 地図の右下には、何かのサインと行き先が書かれていた。
 行き先は【Juliard】。サインはアルファベット二文字で【S.H.】とだけ書かれていた。
 その地図はジュリアードに向かうための地図だった。

 なぜテレサは僕と二人ではなく、たった一人でジュリアードへと向かったのだろう。
 考えても分からなかったけれど、テレサがいなくなった日からテレサの父親も姿を消していた。これは偶然なのだろうか。とても僕にはそうは思えなかった。

 きっと何か理由がある。たった1人ですぐにでもジュリアードへ向かわなければならなくなった理由が。


「テレサ、すぐに行くからね」


fin

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