空白と余白
予報どうりなのか何なのか、強風です。
帰宅時は、雷は鳴る、大粒の霙は降る、風は吹き荒ぶ…という大荒れ。
折り畳み傘では鞄の中のiPadを守るのに精一杯。
もう少しラボで時間を潰してから帰ってくればよかったと細やかな後悔を胸に、頑張って写真撮ったりしながら帰ってきました。
低気圧だから〜てわけではないけれど、みんなも今日はやる気が家出中だったらしい。
15時ごろ、眠気に耐えきれずに博士課程の学生数人でコーヒーブレイクを取りました。
今日はそこでのお話。
ブレイク
こちらの博士課程は4年間。
ラボには4年目の学生(D4)が2人と1年目の学生(D1)が2人います。
私は4月から最終学年(D3)。
今日のコーヒーブレイクには、私、D4の2人、D1が1人の5人が参加。
誰も彼もやる気は家出中。二日酔いが1人。
どことなく倦怠感が漂い、博士進学希望の学生には見せたくない雰囲気になってました。
そんな感じなので、意外と真面目な話ばかりが話題に。
しかも、博士最終学年が3人も揃えば、研究の話から波及して、次第に今後の進路の話に。
私が「2021年の3月に、予定どおり学位が取れたとして、4月の採用のためには日本のポストの情報に敏感でないと…」と日本のよくある博士卒のプラン?を話しているとなんかみんなにびっくりされたわけです。
卒業してからブレイク全くなしですぐ働くの??
…それ以外の選択肢なかったけど何か???
あまりに腑に落ちない顔をしていたんだしょう、解説までしてくれました。
学部から修士課程、修士から博士課程、博士からポスドク、またはそれぞれから企業へ…
欧米諸国では、これらは必ずしも連続的である必要はない。
ちょっと仕事してみて、極めたくなったから博士へ
学びたかったことが捨てきれないから大学院へ
もともと博士に進むつもりだったけど、人生の休憩が欲しいから1年間お休み
他にもありとあらゆる理由で、キャリアとキャリアの間の空白が許されている。
空白を嫌う日本
日本にいると、履歴書の空白はとっても嫌われます。
最近は少しマシになってきたようにも思うけれど。
私自身、紆余曲曲折折くらいあって、高校卒業から大学入学までに2年空いています。
これ、バイトの面接でさえ突っ込まれるんですよね。
何してたの?って。
正規雇用のための面接は受けたことないのでなんともですが、噂に聞くところによると、やっぱり好印象には繋がりにくいらしい。いまだに。
だから必死になって就活するし、必死に受験勉強する。
みんなと同じでなければならない、というある種の国家的強迫観念とでも言いましょうか。
びっくりするくらいに空白を嫌う。
余白の美学
欧米での国際学会で毎回思うことですが、レストラン等でご飯を食べるとお皿にこれでもか!!!!ってくらい山盛りに盛り付けてサーブしてくれます。
スイスではさほど外食してないから知らんけど。
基本、お皿の縁きわきわまで、入れられるだけ入れてくれる。
後輩と、「こっちの盛り付けには余白の美学がない」と盛り上がったのを思い出します。
このように日本では、余白の美学が大切にされることが多々あります。
なのになぜ、キャリアの余白は許されないのか。
今日話してた学生も、たいていどっかでブレイクを挟んでたり仕事してたりします。
そういう人は、社会的な経験値が高い分、ちょっと人と違う着眼点をもっていたり、なんか知らんけど余裕を醸し出していたりと、結局研究や仕事に有利な特徴を備えているような気がします。
人生の余白
研究だけにとどまらず、その人らしく生きる上で必要なことなんじゃないだろうか。
全員がブレイクを、という訳ではなく、その人のキャリアプランに合った余白をそれぞれで設定できる、その余白具合こそが個性になる、強みになるような社会になると良いな、とコーヒーこぼしながら思ったのです。
やっぱり注意力散漫であった。。。
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