春野りりん

うたのひと。ことばのひと。歌集『ここからが空』(本阿弥書店)。法律家。https://…

春野りりん

うたのひと。ことばのひと。歌集『ここからが空』(本阿弥書店)。法律家。https://www.facebook.com/harunolyrin/

マガジン

  • 日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」

    30年前の高3時のレポートを読み返したら、30年後の私の知りたかったことが書いてありました。担当の先生から「フランス式庭園と日本庭園との比較論はしばしば目にしますが、このレポートでは、英国式庭園と日本式庭園との対比を試み、両者の自然への対し方、それを生み出した彼我の土壌の相違、志向性の相違を豊富な資料に丁寧にあたりつつ考察を試みています。」との評もいただいていたようで、再録しました。よかったら一緒にお楽しみ下さい。

  • 短歌朗読コンサート

  • 子どもという客人

    向こうの世界からやってきたお客さま、子ども。お客さまとの暮らしを綴りました。 (ヘッダー写真提供:笹渕乃梨)

  • 建築、そして短歌

    (ヘッダー写真提供:笹渕乃梨)

最近の記事

日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑰

30年前の長文レポートに最後までおつきあい下さいましてありがとうございました。 当時の参考文献を掲げておきます。 岡崎文彬『ヨーロッパの庭園』(昭和35年2月)創元社 鼓常良『西洋の庭園』(昭和36年4月)創元社 伊藤ていじ『古都のデザイン 借景と坪庭』(昭和40年9月)淡交社 矢内原伊作『石との対話』(昭和41年10月)淡交社 早川正夫『日本の美術 別巻 庭』(昭和42年10月)平凡社 重森三玲『庭 こころと形』(昭和43年2月)社会思想社 久恒秀治『京都名園記 中巻』(

    • 。。 満天の星を生む 。。

      眠ろうと ベッドに腰かけたとき たしかに見たのだ この目で いまこの場に この一瞬に なにもかもが ありありと在るのを わたしを かたちづくっている  数え切れない 瞬間たちが 目の前で いちどきに瞬いた 記憶や思い出という 過去ではなくて ひとつひとつの瞬間は 黄金の閃光を放って 真闇を あざやかに輝かせた 寝室の暗がりにひろがった 満天の星空に わたしの口は 言葉にならない声をこぼした いつか この世を旅立つとき 肉体は 痛みをまとうかもしれない けれども

      • 穏やかな心を求める祈り

        大いなるものよ、 大いなるものの 一部として ほかのひとが 受け持つ ほかのひとにしか 変えられないことを そのまま受け入れる 広い心を与えてください 大いなるものの 一部として 自分が 受け持つ 自分に 変えられることを 変えられると信じる 強い心を与えてください そして ほかのひとのことと 自分のことを 混同しない まことの智慧を 与えてください 原詩:The Serenity Prayer(ニーバーの祈り) 邦訳:春野りりん

        • 短歌写真集とコンサートのお知らせ

          このような状況が続いて、知らず知らずのうちに、呼吸が浅くなっている方も多いのではないでしょうか。 ゆったりとした歌のリズムに心を添わせて、私たちをとりまく自然に心を遊ばせることで、ご自分をリセットして、穏やかなひとときを過ごしていただけたらと願って、このたび、短歌写真集『ひかりるるると』をつくりました。 収録した短歌は34首。 『ここからが空』にはない新作も載せております。 すべて現代仮名遣いに直し、読みやすいように一部表記も改めました。 短歌を声に出して味わってみるのもお

        日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑰

        マガジン

        • 日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」
          17本
        • 短歌朗読コンサート
          11本
        • 子どもという客人
          9本
        • 建築、そして短歌
          19本

        記事

          詩が人生を、そして言葉を超えること

          歌集『ここからが空』を編みながら、抗っていたものがあったとしたら、それは私自身でも、他者でも、社会でもありませんでした。 私が抗っていたのは、言葉によって何かを述べることで、それ以外のものを切り捨てるという、言語固有の力、であったと感じるのです。 言語は、言及したものを的確に拾い上げると同時に、選び取らなかったものを鋭く切り捨てる力をもっています。 人間の創った言語のこの特性は、有限な知覚や思考力をもつ人間らしさの表れであるように思われます。 子を抱きて夕映えの富士指させ

          詩が人生を、そして言葉を超えること

          「この世へと生まれたことが出発だ」

          世界が大きく変わろうとしている今、3年前にダイアログ・イン・ザ・ダーク東京の外苑前会場がクローズしたときのことが思い出されます。 あの日のことが鮮やかによみがえるのは、あの日を歌という砂糖漬けにしたからでしょう。   慣れ親しんだ大切な場を離れる時が来た 「出発」 そこは真っ暗な大海原 さぁ、旅に出よう! コンパスの針は読めない 導かれる星もみえない 月の満ち欠けも知らない でも、ほら!声が聞こえる 力強い励ましとそのぬくもり 勇気を出して進もう! みえない新しい星を見

          「この世へと生まれたことが出発だ」

          この歌はどうやって詠んでいるのですか。

          特に朗読をしていると、歌を聴いて下さる方々が「なぜか涙がこぼれた。涙の理由を言葉にはできないけれど…」とおっしゃったり、ご自身の半生の大変だった出来事を振り返り、肯定して受け止め直す体験をされたりします。 そして、「りりんさんの歌は、いったいどうやって詠んでいるのですか」というご質問をよくいただきます。 ほかのひとが短歌を詠んでいるときの頭や心の働き方がわからないので、比較することはできませんし、さらには、私を通って歌が生まれるとき、「歌が詠めない…」と思っている長い時間

          この歌はどうやって詠んでいるのですか。

          zoom短歌朗読コンサート~宇宙のおさんぽ

          前回のzoom短歌朗読コンサートに、アンコールのお声をいただき、2回目のコンサートをStudio ふわりさんに企画していただきました。 雨の日曜日の朝、北海道から沖縄までのそれぞれのおうちにいながら、はるかな宇宙のおさんぽを、一緒に楽しむことができました。 今回は、歌集『ここからが空』の歌のほか、新作もほんのちょっぴり。 豊かなご感想をたくさんお寄せいただき、ありがとうございました。 今回は、みんなで語らう時間が足りなかったので、お寄せいただいた感想をこちらでシェアさせて

          zoom短歌朗読コンサート~宇宙のおさんぽ

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑯

          30年前の長文レポートにおつきあい下さいまして、まことにありがとうございます。 本文は終わりましたが、もうしばらく続きます。 前回はこちらでした。☟ 結びにかえて  日本の庭とヨーロッパの庭園は、全く対照的な性格を備えている。自然と人工の関係はその端的な例であり、また根本的な点でもある。  しかし、日欧の庭園は、単に両極をなすだけなのだろうか。庭園と築造物という観点から考えた場合、ヨーロッパでは庭園が築造物に歩み寄り、日本では反対に、木造を主とする建築物が歩み寄りをみせて

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑯

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑮

          「フランス式庭園と日本庭園との比較論はしばしば目にしますが、このレポートでは、英国式庭園と日本式庭園との対比を試み、両者の自然への対し方、それを生み出した彼我の土壌の相違、志向性の相違を豊富な資料に丁寧にあたりつつ考察を試みています。」との評をいただいたレポート、最終節です。 英国式庭園の考察はこちら。 第4章 イギリスの風景式庭園 第2節 日本庭園との比較  庭園は、一般的に形式庭園と風景式庭園のいずれかに分類されるが、日本の庭園はいうまでもなく後者に属している。では、

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑮

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑭

          「フランス式庭園と日本庭園との比較論はしばしば目にしますが、このレポートでは、英国式庭園と日本式庭園との対比を試み、両者の自然への対し方、それを生み出した彼我の土壌の相違、志向性の相違を豊富な資料に丁寧にあたりつつ考察を試みています。」との評をいただいたレポート、最終章です。 第4章 イギリスの風景式庭園 第1節 成立の要因 (☝の続きです。)  しかしながら、以上のような自然を肯定する動きばかりでなく、旧来の庭園に対する否定的な態度もまた、風景式庭園を形成する契機とな

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑭

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑬

          「フランス式庭園と日本庭園との比較論はしばしば目にしますが、このレポートでは、英国式庭園と日本式庭園との対比を試み、両者の自然への対し方、それを生み出した彼我の土壌の相違、志向性の相違を豊富な資料に丁寧にあたりつつ考察を試みています。」との評をいただいたレポート、いよいよ最終章「イギリスの風景式庭園」のはじまりです。 前回はこちら。 第4章 イギリスの風景式庭園  18世紀初頭から、イギリスでは、大陸の幾何学的なものとは全く性質の異なった庭園が発達した。これは一般的に「

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑬

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑫

          1990年、高校3年の時に綴ったレポートを読み返したら、30年後の私が知りたいことが、30年前の私によって綴られていました。「ふぅん!」と驚きつつ、noteに再録しています。 前回はこちら。  このように、分割と統合がルネサンスの特質である。そのため、ルネサンス庭園では、平行及び垂直関係が強調されている。例えば、ゴシック庭園の噴水は彫刻の装飾が施され、高い構造物であったのだが、ルネサンス庭園においては比較的低い位置から噴き出し、水盤の水面と水柱との垂直関係が明確にされたので

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑫

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑪

          さて、ここからはヨーロッパの庭園のお話です(前回はこちら☟)。 第3章 文化的要因による比較 第2節 宗教・思想 ルネサンス精神とヨーロッパ庭園  ルネサンスとは、14世紀から16世紀にかけて、イタリアをはじめとする西ヨーロッパ諸国に興った市民的精神運動である。都市経済の発展や封建社会の崩壊に伴って台頭した市民階級は、イスラム文化や古典文化をもとにして、新たに現実的、開放的な市民文化を生み出した。  これを芸術面から捉えるならば、個々の芸術が教会から独立した時期、と総括

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑪

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑩

          第3章 文化的要因による比較 第2節 宗教・思想 禅宗と日本庭園 こちらの記事の続きです。  では、枯山水庭が禅宗と結びついたのは何故だろうか。  「枯山水」とは、本来、水とは無縁の自然景観を意味する語である。この手法は『作庭記』(※①)でも次のように定義づけられている(※②)。  『作庭記』が記された平安後期から鎌倉初期の枯山水庭は、中国風の純粋な写景色的手法によるものであった。池泉庭でさえ池が海を、小島が海島を象徴する例が頻繁にみられ、更には須弥山(※③)や三仙島を

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑩

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑨

          とても驚くことに、1990年、高校3年の時に綴ったレポートを読み返したら、30年後の私が知りたいことが、30年前の私によって詳細に綴られていました。 レポートは400字詰め原稿用紙50枚を超えます。全生徒のレポートを読んで下さった先生方の偉大さを、今になってしみじみと感じています。 まだまだ続きますが、ゆっくりお楽しみいただければ幸いです。 第3章 文化的要因による比較 第2節 宗教・思想 禅宗と日本庭園  インド文化を担ったといわれるアーリア人が侵入する以前から、インド

          日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑨