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日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑮

「フランス式庭園と日本庭園との比較論はしばしば目にしますが、このレポートでは、英国式庭園と日本式庭園との対比を試み、両者の自然への対し方、それを生み出した彼我の土壌の相違、志向性の相違を豊富な資料に丁寧にあたりつつ考察を試みています。」との評をいただいたレポート、最終節です。
英国式庭園の考察はこちら。

第4章 イギリスの風景式庭園
第2節 日本庭園との比較

 庭園は、一般的に形式庭園と風景式庭園のいずれかに分類されるが、日本の庭園はいうまでもなく後者に属している。では、イギリスの風景式庭園とはどのように異なるのだろう。

 イギリスの風景式庭園史は、前時代の庭園の否定という消極的な動機によって幕を開けたため、暗中模索の状態が続いた。その過程には、ブラウンなど徹底した風景式庭園を推進する造園家もいたが、彼は古い建築や史跡を容赦なく取り壊して、不評を買ってしまった。

 これに対してレプトンの造園方法では、花壇は花壇としての区画内に収め、局部に残存する形式庭園の要素を排斥しようとしなかった。彼の流儀は、広範な人々に指示されて、イギリスの風景式庭園の大成者と評されるまでになった。そこで、ここではレプトンの手法を中心的に考えることとする。

 イギリスでは、風景式庭園であっても、ある程度は建築物と調和していることが望まれた。人間には、過去を完全に切り捨てることなどできないからであろう。そのため、建築の周囲には、それにふさわしい技巧を凝らし、そこから遠ざかるにしたがって漸次自然に溶け込むように見せるというレプトンの工夫が、高く評価されたのである。
 このように、形式庭園で土合われた造園技術を用いるので、自然を利用しても、その模倣に徹することにはならなかった。

 他方、日本の庭園では、要所の自然を模倣することを主眼においていた。そのため、ルネサンス庭園のような合理性はみられない。日本の庭園では、一定面積内に自然を模倣するために、第2章でも述べたとおり、縮景法や抽象化が発達した。抽象化は精神面と深く結びついた作業であり、自然に精神を託す行為は、古来から自然と信仰が結びついていた点に帰するところが大きい、と考えられる。
 日本の庭園で、自然に重きを置いていても作庭の意識が感じられるのは、このような手法があるからなのである。

 イギリスやその他のヨーロッパ諸国では、日本のようには自然信仰が発達しなかった。近世になって、自然を基調とした庭園が生まれても、それに精神性を与えることは困難だったのであろう。
 日本の生け花に類する、自然に精神を吹き込んだ文化は、ヨーロッパにはみつからない。この事実も、自然と精神の関連性の薄さを象徴しているといえる。

 先にも述べたことだが、イギリスで風景式庭園を生み出したのは、精神的な活力よりもむしろ、形式庭園の反動という消極的なものであった。そのため、建築物から離れている部分の庭園は、一見したところ何も手を加えていないかのように感じられ、理想的な自然という以上の意味をもたないのである。


 イギリスと日本の風景式庭園の相違を簡潔にまとめるならば、次のようになるだろう。

 イギリスでは、形式庭園の場合と同様に、建築物との調和が求められた。庭園は、理想的な自然美を追求していたが、それ以上の深遠な精神の営みには到達しなかった。
 日本では、建築物との調和よりも、いかに自然を表現するかということに焦点が当てられた。そして、日本の庭園には、宗教的な思想をはじめ、精神を具現化した抽象美の庭園に発展する潜在性があったのである。

 つまり、イギリスでは形式庭園のあとに発達したことが、日本では古来から自然を崇拝対象としていたことが、各々の風景式庭園の背景にあるのである。

 そして、それを更に突き詰めていくと、第2、3章で述べたあらゆる要因が土台となっていることに気づかされる。

 従って、風土的要因や文化的要因、そして歴史の流れを考慮せずに、庭園を比較することはできないのである。



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