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日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑩


第3章 文化的要因による比較
第2節 宗教・思想
禅宗と日本庭園

こちらの記事の続きです。

 では、枯山水庭が禅宗と結びついたのは何故だろうか。
 「枯山水」とは、本来、水とは無縁の自然景観を意味する語である。この手法は『作庭記』(※①)でも次のように定義づけられている(※②)。

池もなく遣水のなき所に石を立つる事あり これを枯山水となつく

 『作庭記』が記された平安後期から鎌倉初期の枯山水庭は、中国風の純粋な写景色的手法によるものであった。池泉庭でさえ池が海を、小島が海島を象徴する例が頻繁にみられ、更には須弥山(※③)や三仙島を仮託するものも珍しくなかったのだが、一般に象徴庭園の代名詞のようにも考えられている枯山水式庭園は、初期段階では、写意的仮託が皆無であった。石は石そのもの、松は松そのものでしかあり得なかったのである。

 鎌倉時代中期頃までの既成仏教は、拝仏念仏を主眼とするものであった。そのため、信仰はしばしば仏像という人工的造形物に向けられた。
 しかし、禅宗が急速に興隆するにつれ、自然物の中にも宗教的要素が認められるようになっていった。人々は、殊に風化による岩石の彫刻美に心を惹かれ、鋭い角をもつ庭石を用いるようになった。また、樹木も甚だしく刈り込んで、彫刻的な表現を与えるようになった。

 このようにして変成された枯山水庭は、屋内から鑑賞する場合が多かったので、人体尺度に合わせる必要がなく、大自然、ひいては宇宙をも象徴的に表現することが可能になった。この主題が禅宗の宗旨にふさわしかったため、枯山水庭は禅庭として発展していったのである。

 枯山水庭の特徴のひとつに、余白を重んじるということがある。装飾的な要素を一切削除し、一面に白砂を敷き詰めることによって余白を表現している庭園が、多数見受けられる。この空間は、禅庭の空気を引き締めるだけでなく、「空」の真理をも表現しているのではないだろうか。龍安寺や大徳寺本坊南庭などが名園に列しているのは、その空間構成の中で用いられている余白の効果によるところが大きいのである。

 修行として作庭を行う場合は、他人が鑑賞することを意識していなかったのだが、やがて、造園意識の感じられる枯山水式庭園が見られるようになる。自然の美は、抽象化が強いほど凝縮され、強く表現される。だから、芸術作品として形成された枯山水庭もまた、高度な再現芸術として評価されるのである。

 枯山水庭以前に日本庭園の主流を成していた作庭記流庭園は、管弦の遊びや舟遊びなどの娯楽的要素を多分に含んでいた。このことを考え合わせると、この枯山水庭で日本の純粋な鑑賞目的の庭園が誕生した、といえるのではないだろうか。

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※①『作庭記』は日本の代表的な造園解説書。平安後期から鎌倉初期の作。編者は橘俊綱とされる。

※② 森蘊『「作庭記」の世界』(昭和61年3月発行)日本放送出版協会47頁

※③ 「須弥山」は、仏教の世界観で、世界の中心にそびえる高山。中腹を日月が巡り、山頂には帝釈天の住む忉利天がある。



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