【葛藤】部活で後悔しないために。今やりたいことをやりきって、過去を振り返らないための全力:『風に恋う』(額賀澪)
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全力で打ち込めるものがあるか?
この作品のテーマの一つは、「ブラック部活動問題」です。かなり厳しい練習で生徒を追い込むことが一時期問題視されたことで、状況は以前より改善したのだろうと思います。しかし、「働き方改革」などとも通じることでしょうが、この指摘からは「やりたくてやっている人間はどうすればいいのか?」という別の問題も生まれます。「無理やりやらせるのは止めよう」と「やりたい人間には徹底的にやらせよう」は、残念ながらなかなか両立しません。
大人の言っていることは無視でいい
この作品で描かれている葛藤の核となる部分は、この引用で表現できるでしょう。確かに、学生時代の部活動でやっていたことを、大人になっても継続し続ける人は、それが趣味であれ仕事であれ多くはないでしょう。大半の人は、かつてどれだけ力を注いでいた部活動であっても、大人になあれば止めるものです。
この作品で取り上げられるのは部活動ですが、私は勉強も同じだと考えています。学生時代に行う勉強(つまり、試験のための暗記や大学時代の卒論の研究など)だって、大人になって同じことを続ける人はほんの一握りでしょう。
部活動なんかに打ち込んでも就職の役に立たないとか、そんなことしている暇があるなら勉強をしろとか、大人は知ったような口で色んなことを言うでしょうが、そんなのは無視していいと私は思います。
「後悔するかどうか」なんて、今は分からない
この作品では、指導者側の葛藤も描かれます。
少しだけ物語の設定に触れましょう。
千学というのは、かつて吹奏楽の強豪校だったが、今は何年も全日本コンクールに進めていない。しかしそんな千学に、かつて吹奏楽部の黄金時代を築いた不破瑛太郎が指導者として戻ってきた。生徒は、「あの千学で、あの不破先生から教われる」と期待しながら一層の熱を込めたいと思っている。しかし不破は、時代背景や自分の今の境遇も踏まえつつ、生徒たちにかつての自分と同じように部活動に打ち込ませていいものか葛藤する。
不破のこの葛藤が、全編を通じて描かれます。彼は母校を再び強豪校にするために戻ってくるのですが、不破は今、
という状況にいます。高校時代の不破はスターでした。しかし今はくすぶっているような状況で、ある意味では高校時代が人生のピークと言えるような状態です。
そんな自分が、「あの千学で、あの不破先生から教われる」と期待する若者たちに、「部活に打ち込め」なんて言っていいのか?
確かにこれは、不破じゃなくても悩んでしまうでしょう。この作品は、表向きのテーマとしては「ブラック部活動問題」なのですが、実際のところは、「部活動に打ち込みたい生徒と、『打ち込め』と心の底から言えない指導者の葛藤の物語」と言っていいでしょう。
全力で打ち込める何かがある羨ましさ
悩んでしまいますが、それでも私は、「全力で打ち込みたい」という生徒に対しては「全力でやれ」と言うのではないかと思います。
何故なら、「全力で打ち込める何か」があるというのは、非常に得難いことだと感じているからです。今の私はとにかく、「何かに全力で打ち込めること」に羨ましさを感じます。
子供の頃は勉強ばかりしていましたし、大人になってからは本ばかり読んできました。どちらも、他の人からすれば、「よくそんなにやれるね?」と感じるぐらい時間を費やしてきたと思います。しかし私の感覚としては、勉強も読書も「逃げるため」の行為でしかありませんでした。心の底から沸き上がるような欲求からではなく、「いろんなめんどくさいこと、耐えられないこと、辛いことから逃げるために勉強・読書に打ち込んでいた」というのが正しいです。
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