【余命】癌は治らないと”諦める”べき?治療しない方が長生きする現実を現役医師が小説で描く:『悪医』
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ガンは治療しない方が長生きする(と、この小説では主張されています)
私は、自分がガンになったことはありませんし、周りにもいたことはないと思います。ガンという病気とは縁が薄く、実体験として知っていることはほとんどありません。それでも、本書で指摘される現実について「多くの人が理解するべきではないか」と感じましたし、「患者の無理解によって、患者自身が悪い状況に追い込まれている」という事実は、もっと広く知られるべきだろうと感じます。
もちろん、医療の進歩によって、この小説に書かれる「現実」はどんどんと変化するでしょう。しかし、ガンという病を直接的に撲滅できる未来がやってくるまで、状況は大きくは変わらないだろうと考えています。だからこそ、「どう生きるか」を考える上で、本書は読んでおくべきではないかと思うのです。
この現実を知った上でどう行動するかはそれぞれの生き方次第です。しかし知らないまま、自らの思い込みに囚われて誤った選択をしてしまうことは残念だなと感じます。
ちなみに本書は「小説」ですが、著者は現役の医師なので、根本的に誤ったことは書かないだろうと思っています。
抗がん剤は、思ったほど効かない
主人公の医師は、こんな風に考えています。私が本書を読んで一番驚いたのは、実はこの点でした。
確かに、抗がん剤がすべての人に効くなんて考えていません。しかし、「もの凄く苦しい治療を、多くの人が選択しているのだから、それなりには効果があるのだろう」となんとなく考えてもいました。治療の効果が低いのに、わざわざそんな苦しい思いをしないだろう、と。
しかし、本書の医師によれば、そこには治療側の思惑もある、そうです。
こんなことを言われたら、医師はきっと反論したくなるでしょう。私はそんなあくどいことはしていない、と。ただ、悪い医者もいるということもまた事実です。そして本書ではまさにこの点、つまり「何をもって良い医者とするのか?」が問われます。
「先生は、私に死ねと言うんですか」
主人公の医師は、
ということを理解しています。だからこそ患者に対して、「これ以上の治療は止めて、残りの時間を有意義に使いましょう」と伝えるのです。この選択が患者にとって最善であり、つまりこれは、「良い医者」でありたいという彼自身の思いからくる発言です。
しかし残念ながら、患者はそうは受け取りません。
患者にとっては、「治療を止める」=「死の宣告」でしかないのです。
この患者は、
と懇願します。
この溝は、とても深いと言わざるを得ないでしょう。
テレビや書籍などでは、余命宣告されながらも長生きした人の話が取り上げられます。患者としては、可能性があると信じて進みたいでしょう。
しかし医師には、学んできた知見も、自分が行ってきた経験もあります。もちろん、ある一人の医師の判断がすべてではありませんし、セカンドオピニオンを求める自由のも自由です。医師としては、様々な情報を総合し、治療するメリットとデメリットを比較して、患者にとって最適な判断を下すことしかできません。そして、残念ながらその結果が「治療しない方がいい」となってしまう場合もあるのです。
患者には、知見も経験もありません。そして、「今の医学ならガンぐらい治せる」という思いもあるでしょう。世の中にはガンを克服したという人がたくさんいるじゃないか、自分だってまだ可能性があるはずだ、先生こんなところで諦めないでください、頑張りますから。患者としては、そういう気持ちになって当然でしょうし、それでも「治療できない」と言われれば、そう主張する医師を「悪い医者」と思いたくもなってしまうでしょう。
こんな風に、医師と患者の思いはすれ違います。
何もしないでいることの方が辛い
さらにややこしいのは、そんな患者に「救いの手」を差し伸べる人物が現れることです。医師から「治療できない」と宣告された患者は、治療してくれる病院を探し、そして見つけます。患者はその医師を「良い医者」だと感じますが、読者には「悪い医者」にしか見えません。なぜなら、「ガンが治る」という希望を感じさせてお金をむしり取ろうとするからです。
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