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【あらすじ】映画『アンダーカレント』(今泉力哉)は、失踪をテーマに「分かり合えなさ」を描く

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映画『アンダーカレント』(今泉力哉監督)は、「他者を理解することの困難さ」を改めて実感させてくれる物語だ

私がこれまでに観た今泉力哉作品は、『窓辺にて』『ちひろさん』『街の上で』の3作で、本作『アンダーカレント』は4作目となります。そして映画『アンダーカレント』は、私がこれまでに観た今泉力哉作品の中で「最も何かが起こる物語」でした。先に挙げた3作は、本当に「特別なことが何も起こらない物語」だったので、そういう意味で本作は、私が観た他の今泉力哉作品とは少し毛色が違うように思います。

ただそれも、あくまでも「他の今泉力哉作品と比べた場合」の話であり、映画『アンダーカレント』も別に、特段これといって何が起こるわけでもありません。ただ、「慰安旅行の最中夫に蒸発された妻」が主人公であり、そのようなミステリ的な設定によって、他の作品と比べれば「何か起こっている」という感じになるのでしょう。まあ正直、その程度の意味合いです。

さてもう1点、他の今泉力哉作品との違いに触れておきましょう。『窓辺にて』『ちひろさん』『街の上で』の3作の場合、私はメインの登場人物に強く共感しました。『窓辺にて』であれば稲垣吾郎が演じた役に、『ちひろさん』なら有村架純が演じた役に、そして『街の上で』では若葉竜也が演じた役が女子大生と続ける会話に、とにかく凄まじく共感させられたのです。

しかし、本作『アンダーカレント』は少し違いました。

私が最も共感させられた話

本作において最も共感させられた人物が誰なのかについては触れないでおくことにします。私は、その人物の経験や感覚について書きたいのですが、「誰が」という情報とセットでそれに触れるのは、私の中の基準ではちょっと「ネタバレし過ぎている」と感じるからです。なので、誰がどのような状況で語った話なのかは説明しないまま、その内容だけ書きたいと思います。

私が最も共感したのは、ある人物の次のようなセリフです。

なんて言ってもらいたいかが分かるんだ。で、それを与えることが出来る。

恐らく、映画を観たほとんどの人は、このセリフに共感したりしないでしょう。少なくとも作中では、「そうであるはずだ」という見え方になる演出がなされている気がします。しかし私は、このセリフを聞いて「分かるなー」と感じてしまいました。

その人物は、自身のその「特異なスタンス」を上手く活かして、「『誰かが望む自分』であり続けるために、自身の振る舞いを調整する」みたいな生き方をしてきたわけです。そして私もまた、20代前半ぐらいまではそういう感じで生きてきました。何故なら、そんな風に振る舞っている方が「楽」だったからです。

正直私には、子どもの頃の記憶が全然無いのですが、たぶん小学生ぐらいの時点で既に、「周囲からどう見られているか」「それにどう自分の振る舞いを合わせていくか」みたいなことを考えていたように思います。相手が親でも先生でもクラスメイトでも、「きっとこんな風にしてほしいんだろうなぁ」みたいなことはいつだって容易に理解できたし、私自身は「こうしたい!」みたいな欲求に乏しい人間だったので、「求められているならそう振る舞えばいいか」ぐらいの感覚で、自分の言動を決めていたはずです。

というか私はそもそも、「誰だってそういうことが察知できるはずだ」と考えていたような気もします。だから、自分が何か特別なことをしているとは考えていなかったのでしょう。しかし成長するにつれて徐々に、「特に男は、そういう能力に欠けているようだ」と気づき始めます。女性は割と一般的に、「場の空気を読んで、『望まれているだろう自分』を演出する」みたいな振る舞いを子どもの頃から意識している印象がありますが、男はどうもそうでないようでした。そしてそういうことに気づき始めたことで、「自分のスタンスはちょっと周りと違うようだ」と感じられるようになったのだと思います。

このように私は、「周りがそう望んでいるならそれでいいか」みたいな主体性を欠く生き方を割とナチュラルに続けていた記憶があるのですが、段々とそのような振る舞いがしんどく感じられるようになっていったのでしょう。それで大学生の頃ぐらいにかなり意識的に自分の生き方のスタンスを総入れ替えして、今では昔とは真逆、つまり「『周りからの見られ方』に影響されないスタンス」で過ごすようになりました。何なら今では、「『周りからの見られ方』をそもそも変質させるように振る舞う」なんて意識も持っているつもりです。まあ、上手くいっているのかは分かりませんが。

そんなわけで、今の私のスタンスとは異なるのですが、しかしやはり、「なんて言ってもらいたいかが分かるし、それを与えることも出来る」というこの人物の感覚は今も私の中に残っているし、だからこそとても共感させられたというわけです。

「他者のホントウ」を知ることに、私は特に関心がある

自分がこのようなスタンスで生きてきたことも関係しているのでしょう、私は昔から「他者のホントウ」を知ることに強く関心を抱いてきました。いや、もう少し正確に表記すると、「『他者のホントウ』を知れたという実感を得ること」に私は関心があるのです。

そんなわけで私は、映画のかなり早い段階で主人公の関口かなえが口にするこんな実感にも、かなり共感できてしまいました。

もちろん、「夫がいなくなった」っていう事実も辛かったけど、今何が一番辛いかって、「彼にとって私は本当の気持ちを話せる相手じゃなかったんだ」ってこと。ずっと一緒にいたのになぁ、って考えちゃう。

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