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【創作】クリエイターになりたい人は必読。ジブリに見習い入社した川上量生が語るコンテンツの本質:『コンテンツの秘密』

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「『創作』の本質」を突き詰めようとした、ジブリ見習い・川上量生の”卒論”

「コンテンツとは何か?」の定義は不十分

本書は『コンテンツの秘密』というタイトルであり、著者自身も「コンテンツ全般」に対して議論を展開したいと考えているのだろう、ということが本文から感じ取れる。しかし一方で本書では、「0から何かを生み出す創作」にばかり焦点が当てられているとも思う。

「コンテンツ」と呼ばれるものには様々なものがあり、それらすべてが「0から生み出されるもの」とは限らない。私がこのブログで書いているような「本・映画の感想」は、本や映画に対してどう感じたかを書くものだし、「CM」の場合は「0から何かを生み出すこと」よりもまず「クライアントが伝えたいメッセージを伝達するという機能」の方が重要になる。

「歌ってみた動画」などはオリジナルの「模倣」を基本とするものだし、バンクシーに代表されるようなストリートアートは「創作物であること」と「街の景観の破壊」がセットになるという性質を有してしまう。

このように、「コンテンツ」と言っても様々なものがあるし、そのすべてを網羅するような定義は難しい。

著者自身、

本にするなら、もっと膨大な証拠を集める必要があるし、ちゃんと証明しようとすると大変な手間がかかることになるけど、そんな時間はない

と、書籍執筆の提案に対して「無理だ」と感じたようだが、その後、「不十分でも出す価値がある」と考え直し、本書を出版するに至ったという。

そのため本書では、「コンテンツ」という非常に大きな枠組みに対して包括的な議論がされているわけではない。しかし、創作の第一線に居続けていると言っていいジブリでの経験から、「創作とは何か?」について考え続けた著者の思索は非常に興味深いだろう。

それがどんなジャンルであれ、「クリエイター」と呼ばれる人たちには、参考になる視点や新たな発見のある作品ではないかと思う。

川上量生がジブリに”潜入”して解き明かしたかったこと

著者の川上量生はかつて着メロサイトで一世を風靡し、ニコニコ動画の運営も手掛けるドワンゴの創業者である。現在は会長職に就く彼が、その立場のままジブリに入社。「見習い」という立場のため無給だが、ドワンゴには週1日しか出社せず、残りはすべてジブリに通うという生活を2年ほど続けた。

そんな日々の中から生まれたのが本書だ。

著者は、宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫は当然として、ジブリの凄腕のアニメーターたち、また庵野秀明や押井守などらとも関わり、日々その仕事ぶりに触れる。そして彼らに様々な質問を投げかけ、その答えを引き出しながら、超一級の「クリエイター」が何を考え、どう生み出し、「創作」のために何をしているのかを探り出そうとするのだ。

「創作」について考える著者が抱いていた疑問は、最終的には3つに集約できる。

・「創作活動」とは具体的にどんな行為のことを指すのか?
・人間は何故「コンテンツ」に心を動かされるのか?
・「コンテンツ」を”本当に作っている”のは一体誰なのか?

これらの疑問は、「創作」という戦場で日々闘っている人たちにとっても関心があるはずだ。本書を読むだけでこれらがすべてスッキリ解決するわけでは決してないが、思考を深める際の材料を拾ったり、新たな見方を獲得したりできるだろうと思う。

「コンテンツ」の定義と、「荒地の魔女」のエピソード

著者はまず、「コンテンツ」を定義しようとするところから始める。ジブリに深く関わる前に彼が考えていた定義は、アリストテレスを引き合いに出しながら検討を進めた「コンテンツとは現実の模倣である」というものだ。そしてそこからさらに、「主観的情報」と「客観的情報」という2つの概念に行き着く。

これらの詳しい説明は本書で読んでほしいが、「絵」で喩えれば、「脳が気持ちいいと判断する絵」と「正確に描かれた絵」となる。この具体的なエピソードについてはすぐ後で触れるが、先に、ジブリで頻繁に耳にしたという「情報量」という単語について触れておこう。

ジブリのクリエイターがよく口にする「情報量」について、詳しく説明してほしいと問いただすと、「線の数」のことだという。つまり、「どれだけ細かく描かれているか」ということだ。

アニメは元々子ども向けのものとして生まれたため、「情報量」は少なかった。子どもが見ても理解できて楽しめる必要があるからだ。しかし宮崎駿は、そんなアニメという分野において「情報量を増やす」という方向に早くから足を進めた人であり、だからこそジブリ映画は何度再放送しても視聴率が落ちることがない、と語られていた。

先述した通り、本書には「コンテンツの定義」はなされないが、「情報量」という捉え方は「コンテンツの定義」に関わると言えるだろう。

さて、先程の「脳が気持ちいいと判断する絵」の話に戻ろう。本書には、こんな文章がある。

鈴木敏夫さんをはじめ、いろいろなアニメ業界の人から同じ話を聞いたのですが、アニメーターの動きは現実の人間の動作を忠実に再現しても、良いものにはならないそうなのです

ジブリでは「らしい動き」と言い方が多用されるそうだ。現実の人間の動きとは「それっぽく見える絵」を描けるかどうかが、ジブリにとって「良いアニメーター」の指標となるのだという。

この話に関連して、大塚伸治というアニメーターの凄い話がある。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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