【危険】遺伝子組換え作物の問題点と、「食の安全」を守るために我々ができることを正しく理解しよう:『食の安全を守る人々』
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「遺伝子組み換え作物」の話を中心に、「食の安全」をいかに守るべきかを皆で考えよう
私は以前、『モンサントの不自然な食べもの』という映画を観たことがある。
モンサント社は、「GMO」とも表記される遺伝子組み換え作物において、重要な役割を担う世界的大企業だ。そしてそのモンサント社の危険性を告発するのが『モンサントの不自然な食べもの』である。
この映画を観ていたこともあり、『食の安全を守る人々』も興味深く観ることができたし、『食の安全~』を観るだけではちょっと理解が及ばないかもしれない点についてもきちんと掬えているはずだ。この記事では、『モンサントの不自然な食べもの』を観て知った情報も適宜織り混ぜながら、我々が直面している「食の安全」の現状について様々な指摘をしていきたいと思う。
映画では、子育てや学校給食の話なども取り上げられる。非常に重要な問題を多く含んでいるので、多くの人が理解し、皆で議論していくべきだと実感させられた。
「相関関係」と「因果関係」の違いについて
この記事では「食の安全」について書いていくが、科学も絡む議論を正しく理解するために知っておくべき知識がある。それが「相関関係」と「因果関係」だ。非常に間違いやすい考え方なので、この点についてあらかじめ整理しておこうと思う。もちろん、十分理解しているという方は読み飛ばしてもらって構わない。
この映画においても、図などを示して「『何か』と『何か』に関連性がある」と指摘する場面が出てくる。重要なのは、「『関連性がある』からと言って『原因と結果の関係にあるわけではない』」という点を正しく理解することだ。
映画では例えば、「農薬・ネオニコチノイドの使用量」と「発達障害の児童数」が比較される。ネオニコチノイドが使用される農場近くで、どれだけ児童の発達障害が見られるのかを示すデータだ。そのグラフを見ると確かに、「ネオニコチノイドの使用量」と「発達障害の児童数」には何か関係がありそうに見える。
しかしだからと言って、「ネオニコチノイドの使用によって児童が発達障害に陥った」と結論するのは誤りなのだ。何故だろうか。
この説明のために、以前実際に行われたらしい「朝食を食べようキャンペーン」(キャンペーン名はうろ覚えである)の話をしよう。そのキャンペーンを行った団体は、「朝食を食べる子どもは学校での成績が良い」というデータを示し、「だから子どもに朝食を食べさせよう」とアピールした。実際に、「朝食を食べる子どもは学校での成績が良い」ことを示す科学的なデータが存在するのである。
しかしこのデータは、「朝食を食べたから学校の成績が良くなった」ことを示すものではない。正しくは、「『学校の成績が良いこと』と『朝食を食べること』は同じ原因から発生している」ことになる。
意味が分かるだろうか?
つまりこういうことだ。学校での成績がいい子どもの家は、家庭環境が良好なケースが多い。そしてそういう家では自宅での学習もきちんとしているからこそ、学校の成績が良いというわけだ。さらに、家庭環境が良い家の場合、朝食が出てくることが多い。これは裏返すと、家庭環境が良くないと朝食が出ないことも多い、という示唆でもある。
つまり、「家庭環境が良い」から「学校での成績が良いし、朝食も出てくる」というわけだ。決して、「朝食を食べるから学校の成績が良い」わけではない(もちろん、その可能性が否定されたわけでもないのだが)。
なんらかのデータを理解しようとする際、この点は非常に間違えやすいので注意が必要だ。
複数のデータに何か関連性がある場合、「相関関係がある」という表現をする。しかしこれは「ただ関連がある」という意味でしかなく、必ずしも「因果関係」、つまり「原因」と「結果」の関係とは限らない。そこに「因果関係」が存在すると示すためには、正しく設計された科学的な実験を行わなければならないというわけだ。
「ネオニコチノイド」と「発達障害」のデータにも、確かに「相関関係」はある。しかし、ただ2つのデータを比較しただけでは、そこに「因果関係」が存在する証拠とは言えないのだ。「相関関係」と「因果関係」を正しく認識していないと、データに騙される可能性が高まるので、気をつけていただくといいと思う。
もちろん、「因果関係が存在すること」を証明するのは非常に大きな苦労が伴うし、時間も掛かる。だから、「因果関係が証明されるまで何もしない」という考えも正しいとは言えないだろう。「相関関係」があるなら「因果関係」かもしれないと疑って行動することも大事な場面はある。決して「相関関係の段階で物事を判断するな」などと主張したいわけではないと言っておくべきだろう。
いずれにしても、この映画を観る時だけでなく、何らかの客観的なデータに触れる際には、「『因果関係』に注意すべし」という私のアドバイスを思い出していただけたら嬉しい。
まずは基本情報の整理から
まず、この映画を観るにあたって整理しておいた方がいいだろう情報についてあらかじめまとめておこうと思う。特にこの情報の整理に際しては、『モンサントの不自然な食べもの』から得た事実を多く流用する。
『食の安全を守る人々』では、「『ラウンドアップ』という商品名の除草剤」と「遺伝子組み換え作物」が扱われる。映画でもこれらについて説明されるのだが、映画の中で示される情報だけでは正しい理解が難しいと思うので、私なりにまとめてみようと思う。
まずは「ラウンドアップ」から。これは、先ほど紹介したモンサント社の主力商品だ(ただし、モンサント社はバイエル社に買収されたため、「モンサント社」という社名は現在恐らく無くなっている)。日本でもテレビCMを時々見るので、知っている方も多いだろう。雑草などを枯らすいわゆる「除草剤」であり、「グリホサート」という成分が含まれている。そして映画では、この「グリホサート」が人体に良くない影響を及ぼすのではないかと指摘されるのだ。
さて、ここからがややこしいので頑張ってついてきてほしい。
モンサント社は、「ラウンドアップ」だけではなく、「ラウンドアップに強い遺伝子組み換え作物(以下「ラウンドアップ耐性作物」と表記する)も販売しており、同じ主力商品の1つである。この「ラウンドアップ耐性作物」、農家にとっては非常に便利であり、だからこそ需要が大きいのだが、まずはなぜ便利なのかを説明していこう。
「ラウンドアップ」は除草剤なので、あらゆる作物を枯らせてしまう。もちろん、栽培している作物もだ。だから農家は「ラウンドアップ」を散布する際、「育てている作物には掛からず、雑草だけに掛かるように撒く」必要がある。しかし容易に想像できる通り、これはとても面倒くさい。農家としては、「全体的にラウンドアップを撒いて、雑草だけ枯れてくれたらいいのに」と考えたくもなるだろう。
そしてそんな望みを叶えるのが「ラウンドアップ耐性作物」である。その名の通りこの作物は、「ラウンドアップ」を散布しても枯れない。そうなるように遺伝子が組み換えられているのである。つまり、この「ラウンドアップ耐性作物」を栽培すれば、農家は「ラウンドアップ」を雑に散布するだけで、「育てている作物は枯れず、雑草だけが枯れる」という理想的な状態を実現できるのだ。
素晴らしい、と感じるだろう。しかしここに大きな問題がある。
「ラウンドアップ」を雑草だけに掛かるよう慎重に散布していた時は、当然、栽培している作物に「ラウンドアップ」が付着することは少なかったし、仮に付着したとしても枯れてしまう。だから、「ラウンドアップが付着した作物」が食卓に届く機会は少なかっただろう。しかし「ラウンドアップ耐性作物」が登場したことで、私たちは、「ラウンドアップが大量に付着した作物」を口にすることになってしまったのだ。
モンサント社は否定しているが、先述したように、「ラウンドアップ」に含まれる「グリホサート」という成分が、人体に悪影響をもたらすのではないか、と考えられている。つまり、「ラウンドアップ耐性作物が登場したことで、グリホサートが人体に取り込まれる機会が増えたこと」が問題視されている、というわけだ。
さて、このように丁寧に情報を整理することで理解してほしいことがある。それは、「少なくとも『ラウンドアップ』の問題については、悪影響をもたらしているのは『グリホサート』であり、『遺伝子組み換え作物』ではない」ということだ。
この映画では、「遺伝子組み換え作物の危険性」についても触れられている。しかし、「ラウンドアップ」に限って言えば、重要なのは「ラウンドアップに含まれるグリホサートという成分」であり、「遺伝子組み換え作物であるラウンドアップ耐性作物」ではない。この点を正しく理解しておくことはとても重要だ。
映画を観ているとなんとなく、「モンサント社が作る遺伝子組み換え作物が悪者だ」と感じられてしまうかもしれないが、それは正しい理解ではない。「ラウンドアップ耐性作物が登場したことで、体内にグリホサートが取り込まれる可能性が増えたこと」こそが問題なのである。
この点は映画を観ているだけではスパッと理解できないと思うので、正しく把握しておこう。
またもう1つ、あまり重要ではないが触れておいた方がいいかもしれない話がある。この話もややこしくなかなかイメージしにくいが、先ほどの「ラウンドアップ」の話よりは重要度が低い。だから別に理解しなければならないわけではないので飛ばしてもいい。
映画では、「遺伝子組み換え」と「ゲノム編集」という2種類の名称が登場し、基本的には異なるものを指している。まずこの違いに触れておこう。
冒頭で「GMO」という表記を紹介したが、元々「遺伝子組み換え」という技術が先に存在しており、「遺伝子組み換え」によって生まれた作物が「GMO」と呼ばれていた。しかしその後「ゲノム編集」という新たな技術が登場したことで、前者によって作られたものが「OldGMO」と、後者によって作られたものが「NewGMO」と呼ばれるようになったそうだ。
両者の基本的な差異を説明すると、「遺伝子組み換えは、元々存在しなかった遺伝子を新たに組み込む技術」「ゲノム編集は、元々ある遺伝子を改変する技術」となる。つまり、「遺伝子組み換えは、自然界では起こり得ない変化を人為的に生み出す技術」「ゲノム編集は、自然界でも起こり得る変化を人為的に生み出す技術」となるわけだ。
「ゲノム編集」は、人類が長年行ってきた、「様々な植物を掛け合わせることによる品種改良」に近いと言っていい。あらゆる生命の遺伝子情報は常に突然変異を起こし得るし、そのような突然変異の積み重ねによって進化・退化が繰り返されてきた。自然界では、どんな変異が起こるのか誰も予測できないが、狙った変異をピンポイントで発生させられるのが「ゲノム編集」というわけだ。
一方「遺伝子組み換え」は、普通には入り込むはずがない遺伝子情報を人為的に組み込むことを意味する。つまり、自然界では起こり得ない変異というわけだ。
両者の違いがなんとなく理解できただろうか? 自然界では起こり得ないことを人為的に発生させているか、自然界でも起こり得ることを人為的に起こしているかという違いであり、この差は非常に大きいと言える。正直、まったく別の技術と言っていいだろう。映画でも、そう主張する科学者が登場する。
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