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【おすすめ】江戸川乱歩賞受賞作、佐藤究『QJKJQ』は、新人のデビュー作とは思えない超ド級の小説だ

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とんでもないデビュー作!新人作家の小説とは思えない弩級の物語に驚愕させられる、佐藤究『QJKJQ』

著者は本作で江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビューした。新人のデビュー作には大抵、どこか粗削りの部分が見えるものだが、『QJKJQ』にはそれが無い。最初から完成されていると思う。同じ著者の『Ank : a mirroring ape』という小説にも度肝を抜かれたが、その片鱗はデビュー作から存在していたというわけだ。

この記事では、『QJKJQ』の核となる部分には一切触れない。なので、本書を未読の方がこの記事を読んでもネタバレにはならないだろう。とはいえ、未読の方は、私の記事なんか読まずに、すぐ本書を買って読もんでほしい。その凄まじさに、圧倒されるはずだ。

ネタバレにならないように記事を書くつもりだが、本書においては「幻想の共有」が重要な要素だと言っていい。そこでこの記事では、本書に登場するある一文を起点として、「幻想」やその共有について、私が考えていることを書いていきたいと思う。

私たちが生きる社会は、「幻想を共有すること」で成り立っている

「正当な物理的暴力行使の独占を要求する共同体」市野桐清はわたしにかまわず話し続ける。「それは何のことか? 国家のことだ。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの言葉だ」

こんな一文が出てくるというだけで、なかなか普通の小説ではないと感じるだろう。マックス・ウェーバーと言えば、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や『職業としての政治』など、現在でも読み継がれる古典を著した人物としても知られる、非常に有名な人物だ。

そんな彼が、「正当な物理的暴力行使の独占を要求する共同体」と呼んだものが「国家」である。

しかし、私たちは一体何を「国家」と呼んでいるのだろうか? 例えば、目の前にリンゴがあれば、それを「リンゴ」と呼んでいると分かる。物理的な実体の有無が問題というわけではない。例えば虹。虹はリンゴのような物質ではなく、現象につけられた名前だが、虹を見れば、それを「虹」と呼ぶことができる。

しかし私たちは、「国家」に対して同じことはできない。何かを指して「あれは国家だ」と呼ぶことは不可能なのだ。要するに「国家」とは、「人間が作り出した幻想」でしかないのである。目を凝らしても、「国境線」が目に見えるわけではない。私たちは、「そこに国境がある」「それを境に国が分かれている」という「幻想」を共有しており、そのことによって初めて「国家」という概念が成り立っているにすぎないのである。

そしてこれは「国家」に限る話ではない。そのような様々な「幻想」によって、世の中は成り立っているのだ。「お金」に価値があると考えていること、「病気」という括りによって正常と区別すること、「お盆」「正月」といった季節の区切りを設けていること。こういうものはすべて「幻想」であり、私たちはそういう「幻想」を共有することで社会を成り立たせている。

「幻想」かどうかの判断は、シンプルに「人間がいなくなれば消えてしまうものが『幻想』」と考えればいいだろう。「リンゴ」や「虹」は、人間の存在に拘わらず存在し続けるはずだ。一方、「国家」「お金」「病気」「季節」などは違う。これらは、人間がいなくなれば消えてしまうものでしかない。人間がそう思い込むことによって社会の中に存在する概念でしかなく、まさに「人間の存在に依存したもの」というわけだ。

中には、「人間がいなくなっても、お金は残るじゃないか」と反論したくなる人もいるかもしれない。確かに、物質としての100円玉や1万円札は残るだろう。しかし人間がいなくなれば、それらはただの「金属の塊」「特殊な紙」でしかない。それらに「お金」としての価値を感じ取る存在はいないのだ。

この議論は正直微妙なポイントであり、例えば「リンゴ」や「虹」にしたところで、人間がいなくなれば、「名前を付けるほどの価値を感じ取る存在はいない」と言える。というか、物事に名前をつけるのは人間だけのはずなので、大きく捉えれば「人間が名前を与えたものはすべて『幻想』」という解釈も可能だろう。しかしそこまで範囲を広げてしまうと、なかなか面白い議論にならない。私が言いたいことのニュアンスはなんとなく伝わると思うのでこれ以上詳しく説明はしないが、こんな風に「人間がいなくなれば消えてしまうもの」を「幻想」と捉えることで、社会がいかに「幻想」によって成り立っているのかが理解できるのではないかと思う。

「少数派が信じる幻想」が世の中を規定することもある

恐らく誰もが、「お金」の価値を信じているだろうし、「国家」の存在も認めているだろう。日常生活の中でそんな風に意識する機会はほとんどないかもしれないが、「お金に価値があると思いますか?」「国家は存在すると思いますか?」と聞かれれば、ほとんどの人が「Yes」と答えるに違いない。

では、「ビッグバン」はどうだろうか? 「ビッグバン」というのは、「大爆発によって宇宙が始まった」という仮説のことである。

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