見出し画像

【あらすじ】趣味も仕事もない定年後の「退屈地獄」をリアルに描く内館牧子『終わった人』から人生を考える

完全版はこちらからご覧いただけます


内館牧子『終わった人』が描く「定年後の人生の退屈さ」を、現代人の多くは既に感じてはいないだろうか?

とても面白い作品でした。現在40歳の私には、「定年後」はまだまだ先の話ですが、「定年後の人生」をリアルに見せられることで、人生全体について考えさせられたと言っていいでしょう。自分の人生の終着がどうなるのか、まったく想像もつきませんが、既に死ぬほど退屈している私には、定年前だろうが定年後だろうが大差ないのかもしれないと感じたりもしました。

「こうだったら幸せ」という価値観を持たずに生きてきた

私はこれまでずっと、「生きているのは暇つぶしだ」と思ってきました。やりたいことも欲しいものも特にありません。それなりに長く生きてはきたので、「どうやったら自分のテンションが上がるのか」についてはそれなりに捉えられるようになってきましたが、あまりにもその対象が狭すぎるため、それが理解出来たところで、自分の人生の豊かさみたいなものに繋がりはしませんでした。

そして私は、割と多くの人がこのような感覚を抱いているんじゃないかと考えているのです。

「やりたいことがたくさんありすぎて時間がない」みたいな「自分の欲望を起点に人生を歩んでいける人」を見ると、良いなと思うし、羨ましいと感じます。残念ながら、私はほとんどそんな感覚になれたことがありません。「参加の意思表示をした覚えのないゲームにいつの間にかエントリーさせられていて、辞退する方法が分からないからとりあえずステージに残っている」みたいな気分でずっと生きているのです。もちろん、ステージ上にいる以上は、楽しい方がいいに決まっているので、色んなことに手を出してみたり、自分なりにあれこれ探してみたりしてきたつもりです。ただやっぱり、基本的に「別に望んでこのステージにいるわけじゃない」という気持ちが強いので、なかなか楽しいことに出会えません。もし、自殺みたいな手段ではなくこのゲームから降りる方法があるなら、僕はたぶんそれを選択するでしょう。

私のこの感覚は、分からない人にはまったく理解できないものだと思いますが、共感できる人はきっと一定数いると思います。そして私は、自分のこのような状況を「暇つぶし」と呼んでいるわけです。

そんなわけで私には、「こういう人生じゃなきゃ許容できない」みたいな理想・希望がありません。「やりたくないこと」はたくさんあるので、「『やりたくないこと』をやらざるを得ない人生」だけは許容できないのですが、そうでなければ、別になんでもOKです。結婚しようがしまいが、どんな仕事をしていようが、お金があろうがなかろうが、別に問題ありません。社会に迷惑を掛けるような生き方ではなく、かつ、「やりたくないこと」から可能な限り遠ざかっていられる人生であれば、私としてはかなり満足だと言えるでしょう。

私のこのようなスタンスは、ある意味では「生きやすさ」に繋がっているとも言えます。というのも世の中の多くの人が、「こういう人生でなければ許容できない」みたいな理想を抱えているが故に不自由・不幸に陥っているように感じられるからです。

もちろん、理想を抱くことで努力できる人もいるだろうし、あるいは、「これさえあれば他に何も要らないぐらい私にとっては大事」という程の強さで何かを望んでいる人もいるでしょう。そういう人はそのままで問題ないと思います。ただ中には、深く考えもせずに、両親や友人、芸能人・YouTuberなどの姿を見て、「自分もこうだったら幸せなのに」と考えているだけの人もいるはずです。そういう理想は、すぐに手放した方がいいんじゃないかと感じてしまいます。

私は常に、「人生ずっとつまんねーな」と思っているので、「私の真似をすれば誰でもハッピーに生きられる」なんて主張をするつもりはもちろんありません。ただ一方で、「こうじゃなきゃ私は幸せになれない」という思い込みこそがあなたを不幸にしているのではないかとも考えているのです。

まあ、人生つまんねーなと思っている私が何を言っても説得力はないでしょうが、「定年後」を描く『終わった人』を読んで、この話は「定年前」にも当てはまるはずだと思ったし、結局のところ「自分のアイデンティティ」みたいなものを何かに依存させないことこそが大事なのだろうとも感じました。

本の内容紹介

田代壮介は今日、退社の日を迎えた。東大を卒業し、大手のたちばな銀行に就職、順調に出世を果たすも49歳で子会社への出向を命じられ、51歳で転籍となった。もはや出世の見込みもない「終わった人」である。そしてそのまま退社となった。本書の書き出しの文章は、「定年って生前葬だな」である。

仕事一筋で生きていた壮介には、仕事以外の「何か」がない。とにかくやることがまったくないのだ。暇で仕方がない。妻の千草は、43歳の時に突如ヘアメイクの専門学校に通い始め、今は美容師としてサロンで働いている。娘の道子は結婚して家を出た。壮介の相手をしてくれる者などいない。かと言って「ジジババ」が集まるような場所には行きたくないと思っている。謎のプライドがあるからだ。縁戚のトシは、「トシ・アオヤマ」というイラストレーターとして知られており、同世代なのになんとなく若い。自分も、出来ればそういう雰囲気のままでいたい。

カルチャーセンターや図書館に通いつめるなどもっての他だが、かと言って何か仕事するというのも難しい。壮介の華麗すぎる経歴が逆に足枷になり得るからだ。いずれにせよ、今の自分に任される仕事があるとしても大したものではないだろう。そもそも、再雇用を申請すればあと数年は会社にいられた。しかし、給料は大幅に減額されるし、ロクな仕事もないのに若手に気を遣われるのが嫌で延長しなかったのだ。そんな自分が、ハローワークで紹介されるような仕事をするわけにはいかない。

しかし、さすがに暇すぎる。もう限界だ。そうなってようやく壮介は、今までプライドが邪魔して手を出せずにいたことを始めてみようと思い立つのだが……。

本の感想

本書は「定年後」をリアルに描き出す物語ですが、設定としてまず上手いと感じたのは「お金の問題をほぼ排除している」という点です。「定年後」においては当然「お金」のことも問題になってくるでしょうが、壮介の場合まったくそんなことはありません。恐らくですが、かなり裕福な部類だと言っていいでしょう。そういう設定にすると普通、読者からの共感を得られにくくなる気もしますが、『終わった人』の場合はむしろ、「お金には困っていない」という設定が絶妙だと感じました。そうすることで、「お金があったところで悩みから解放されるわけではない」という現実を描くことができるからです。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

ここから先は

1,452字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?