同じ高嶺の月を見るかな
〈分け登る ふもとの道は異なれど
同じ高嶺の 月を見るかな〉
この歌が
誰に いつ
どんな状況で詠まれたものなのか、
私は知らない。
この歌を
いつ 誰から教えてもらったのかも
憶えていない。
まだ子供のころ
活字で読んだのではなく、
〈音〉で覚えた気がするので
…母か、祖母だったろうか?…
けれど私は いつの頃からか
世界のすべての『宗教』というものの本質を、
この歌で とらえるようになっていた。
人が 日々を生きていくこと。
生を営んでいくこと。
その時間は
さまざまな苦しみが続く時間でもある。
どんな境遇に生まれても
どんな環境に生きていても
人は多かれ少なかれ
悩み、苦しみ、困難に遭い
それ等に立ち向かい、
乗り越え、
あるいは解決して
前へと進まなければならない。
それは人生において
すべての人間が経験すること。
その普遍的な事実ゆえに
この地球では
〈宗教〉が生まれた。
人間が、それを創りあげた。
日々の悩み、苦しみを
少しでも和らげ、
意味のあるものとして考え、
不当な苦しみをただ与えられるばかりだと
嘆かずに済むように。
神という存在を信じることで
心が慰められ、
精神が満たされ、
魂が救われる
という、
〈恩寵〉を感じるために。
幸せになりたい
辛い毎日から救われたい
誰かに見守られていると信じたい
人生は つらいことばかりだから。
〈高嶺の月〉を
神そのものや、天国と見るのか?
まだ手の届かない幸せや、
いつか至ろうとする悟りと見るのか?
それは人それぞれかもしれないけど
〈宗教〉とは ほんらい
人々を幸せにするために
生まれてきたものであったはず と
個人的には思っている。
結局のところ
人間が人生に望むものなんて
地球上の どの文化圏であっても
古今東西 いずれも同じで
その土地の自然が
暑かったり
寒かったり
緑豊かな森だったり
乾燥した砂漠だったりで
生まれてくる創世神話や
神々の姿は変わるのだろうけど
きっと最終的には
「いつか幸せと平安が
我々のもとにやって来る」
という
人々の 単純で小さな願いの物語に
帰結していく。
だから どのような宗教であろうとも
目指しているものは 皆同じで
そこへ向かうプロセスが
違うだけなのだ。
それに気付かず
自分の信じる宗教だけが、
自分の信じる宗教こそが、
唯一無二の
どれよりも優れた宗教なのだと
主張すること。
それを異教徒たち(他人)にも
何がなんでも認めさせたい、
自分の思い通りにさせたい、
違う考えを持つ奴の存在など許さない と
人の命を奪ったり、
自分の命も失うこと。
自分だけがそう信じていれば いいはずなのに
それだけでは 飽き足らずに…
それがどれほど馬鹿げた
無意味なことなのか、
いつになったら学べるのか
あるいは永遠に学べないのか
呆れ果てている という意味で
気の毒に思いこそすれ、
その愚かさに
同情心など もはや
全く湧かないけれど
(「もうお互いとことんまでやれば?」の心境…)
双方の犠牲者たちに いちいち同情して
真剣に悲しみ 心を痛めていた時には
こんな詩も書いていた。
中学高校がミッションスクールだったので
週に一度 聖書の授業があって
キリスト教のことをある程度
勉強した。
その授業では
地球の文化史、歴史として
面白いことも学んだ。
たとえば
〈神〉が自己紹介したときの言葉。
〈神〉は自ら
「わたしは〈有って有る者〉」と名乗り、
それが聖書では唯一、
神様が自分で名乗った場面だ とか
(『出エジプト記』3:14)
モーセに十戒を授けているとき
「わたしは、ねたむ神である」から
自分のほか、何者も神としてはならないとか、
自分を憎む者は三、四代にわたって罪とする、
みたいなコト言ってて
(『出エジプト記』20:1~6)
「いや、神様って、こんなに器ちっちゃくていいの?💧」
と 日本人中学生としては思ったものでした😓
しかも 一応、
私は小さい時からずっと教会に通っていたから
キリスト教の素養も 親しみも
下地として持ってはいたのだけど…
(幼少期にあった不思議なご縁の関係で通ってた。
家族も全然クリスチャンではないのだけど。)
更に
聖書の先生は 授業で、
こういう事も教えてくださいました。
ユダヤ教 キリスト教 イスラム教は
もともと
同じ神を信仰している と。
彼らは皆 旧約聖書の内容を共有し、
イエス・キリストも
ムハンマドも
神からの言葉を預かって人々に知らせる
「預言者」の一人。
それぞれが
アブラハム(イスラムでの呼び方はイブラヒム)を
民族の始祖としているので、
この三宗教をまとめて
『アブラハムの宗教』と呼ぶ時もある。
ユダヤ教で待たれていた救世主が
イエス・キリストなのだ
と信じて、
いち預言者であるイエスを神聖視し
神の子として崇めたのが、
キリスト教。
(彼を産んだ母マリアも神聖視=カトリック)
長いユダヤ教の歴史の中で
「最後の預言者」である(と看做している)
ムハンマドが語った
神の言葉を、
啓典クルアーン(コーラン)として神聖視し、
その内容を守り、生きる
というのが イスラム教。
ユダヤ教の〈ヤハウェ〉
キリスト教の〈父なる神〉
イスラム教の〈アッラー〉は
同一神。
解釈の違いでしかない。
それを習ってからは
「自分で〈嫉妬する神〉と言うのが彼らの神様だもん、そりゃあ争いが収まらない訳だわ…」
と、ある意味納得(?)しつつも
けっきょく同じ神様で
歴史も共有してる
という事を お互い認識しているなら
「要するに兄弟喧嘩じゃん。
あんたたち、いつまで何やってるのよ?」って
何世紀も殺し合いを続けている彼らに対して
もしかしてお🐎🦌ですか?
…とも思ったり…
新聞や ニュースで
飽きもせずに繰り返されている
戦争のことを耳にし、
その悲痛な映像を見るたびに。
他にも おもしろいと思ったのは
(これは授業で学んだ事ではないけど)
〈ユダヤ人〉という〈人種〉〈民族〉は、
現代にはいない ということ。
ユダヤ人とは
ユダヤ教の信徒のことで、
もしユダヤ教に入信したり、改宗したら
日本人(民族)でも、ユダヤ人と名乗れる。
言うなれば
〈ユダヤ人〉という名称は、
イスラム教徒を
〈イスラム人〉と呼ぶのと一緒。
現代ではね。
大昔には ユダヤ民族は実在していた。
ヘブライ人と呼ばれ
自らはイスラエル人と名乗っていた
セム系の民族。
長い歴史の中で 世界各所に離散して
(『ディアスポラ』)
さまざまな民族と混血して
純血統が(おそらくほぼ)失われ、
中には
人種は全く関係なく 改宗して
自ら〈ユダヤ人〉になる人もいて
(Keywords:ハザール、アシュケナージユダヤ)
もはや宗教でしか
アイデンティティの保持や
民族繁栄の手段を
持たないのかもしれない。
だからこそ彼らは
人種的に本物のユダヤ人血統を有するはずの
〈失われた十支族〉の行方も
真剣に探しているのだろうけど、
それは同胞と肩を組み、手を取り合うためなのか、
それとも 背乗りを完了するためなのか…
彼らが『約束の地』と呼ぶ
遥か昔に住んでいた場所に
昔からずっと残って住んでいたり
捕囚から逃れ、戻って来て住み続けていた
〈本当のユダヤ民族の血統を持つ末裔〉たち
今のパレスチナ人も
その末裔の一部らしい ということについては、
イスラエルの人たちは
一体、どう思っているのだろう…
いま イスラエル政府は
ガザという一つの町ごと
彼らの〈敵〉はすべて殲滅する、と息巻いてるけど
「我々はホロコーストの被害を受けた!」と言うあなた達が、
その悲劇の悲惨さを、被害者として訴え続けてきたあなた達自身が、
今度は逆に 同じことをするつもり?
と
世界は問いを突き付けるべきだと思う。
イスラム原理主義者たちの
頭のおかしさも相当なものだけど、
イスラエルのシオニストたちの非道さも
見ている人達はちゃんと見ていて、
今回、
イスラエルは一方的に〈無実の被害者〉扱いをされず
世界中で非難の声も挙がっていることは、
『お金の力より正義の力』で事態収拾することを
世界の人々は より求めている
という証なんだと思う。
(シオニズムに反対しているユダヤ人もいて、
一枚岩ではないのは救い)
事件の背景、経緯など
詳細な情報を持っているか いないかで、
世界情勢や物事の捉え方は 違ってくる。
古代の歴史はともかく
(↑実証が難しいものでもあるので、飽くまで研究、発表されている範囲の話)
大戦後の
イスラエル建国の経緯も知らないような人は
表面的なことしか
見解の判断材料にしないのだろうし
知っていても
個人的な損得勘定を優先して
どちらかに肩入れしたり
口を噤んだりするのが
世間では普通とされているし
個人ならまだしも
今や 志の低い(無い)報道機関なら、
また たとえ志があったとしても、
会社のオーナーや 株主や スポンサーの意向で
恣意的に報道したり
逆に故意に報道しないことで
世論誘導をしようとしたりもする。
政治力学(含 経済力学・社会力学)は、
物理的に公正な働きをしない。
だからこそ 情報を
ただ受け身で、与えられるのを待ち
それを鵜呑みにするだけでは、
今の世の中
真実に辿り着くことは出来ないと思う。
さっき
同情心などもう湧かない、
呆れ果てて、もうとことんやり合えば?
と感じている
と書いたけど、
多くの人々や
小さな子供たちまでもが
生命の危険にさらされ、 実際に被害に遭い、
怯え続けている状況に、
心が痛まないわけが無い。
この数週間 何をしていても
この曲がずっと 心の奥底で
通奏低音のように流れてる。
CacciniのAve Mariaという曲。
でも べつに今回だけじゃないけれど。
ウクライナxロシアの戦争が始まったときも、
コロナ初期に
イタリア全土が 大変な状態に陥ったときも…
〈犠牲者〉として
不自然な、悲しいかたちで
〈神の国〉に旅立たれた人々が
せめて今は安らかに休まれていますよう、
鎮魂の祈りを。
そして
誰の悲しみも 苦しみも
一刻も早く、終わって欲しい。
地球上のすべての場所で。
月の光が届き
月を見上げることのできる、
すべての場所で。
🌟
自分で情報を探して自分で考えることが大切ですが、ひとつの資料として。
(とはいえ、『ヘブライの館2』さんは物凄い大作だと思う… まだ全部読み切れていない★ )
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd100.html
http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/_floorA1F.html
ちなみに
キリスト教との不思議なご縁の話はコチラです↓
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