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こんな気分の朝は、小葱を刻むしかなかった

小葱を、今朝は丁寧に丁寧に刻む。

4ミリくらいの真緑のかけらたち。きっちりサイズの揃ったその集まりを、茹で焼きした薄切りの豚肉の上にどうっと乗っける。

ポン酢をかけ、飾りくらいのマヨネーズを乗せて、完成。


そうやって暮らすことに集中をしないと、感情に支配されてしまいそうな朝だった。

例えば、一昨日彼が泣いて謝りながら私に言った「別れたいとは思ってない」の「とは」について。もし「別れたいなんて思ってない」だったら、どんなにか救われただろうに−とか、そんなことについて。

例えば、あの時彼の携帯の中に写っていた女の人について。私の疑い深さを知っていながら試すように、隠す努力をしない彼の無神経さと無防備さについて。

例えば、こんな風に一年半経っても全然着地をしない私たちの恋愛について。永遠に不安定であることへの巨大なる諦めと、同時になぜか湧き上がる少々の高揚について。

彼に出会う前は、携帯をベッドに投げつけるような恋愛をしてみたいと常日頃望んでいた。それがまるまると叶っているのは、今の私には途轍もない皮肉である。

ただ今でも、家族がくれるみたいな「無償の愛」は、恋人からもらうには退屈すぎると思っている。ある程度の不安定は、紛れもなく活性剤だと思っている。なのに、いざこんなにも不安定だと辟易してしまって。

だから、暮らしに集中する。

次は、重曹を使っていつもよりちゃんと洗濯をするのだ。

その次は、アイボリーの麻のワンピースにありったけの愛を込めてスチームアイロンをかけるのだ。

ああ、考えないようにこんなにも努力が必要な朝。

それ自体、考えてしまっている証拠だというのことは、わかっているけれど。

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