#268 うつ病発症186~188日目・発症後413日目 ~めちゃくちゃ熟睡できていた頃~

さて,今日も,スマホのGPS記録をもとに,うつ病の経過を記録していきます。(第1回目はこちら。第2回目も大事なのでこちらからどうぞ)

【過去のこと・思い出したこと(発症186~188日目)】

こちらでこれまでの経緯を結構きれいにまとめられたと思っているので,ご覧くださるとうれしいです。

さて,昨日からの続きです。

・1月11日㈯:この日で,うつ病発症から186日目,実家療養を終えて一人暮らしを再スタートさせてからは107日目です(9月27日~)。一人暮らし再スタートから107日が経過し,ひとりでの暮らしにもだいぶ慣れてきています。2019年11月7日から「午前中の散歩」を始めていて,これがうつ病の回復を大きく後押ししています。(こちら

そして,2019年12月3日から毎日ブログを始めています。(こちら

この日(2020年1月11日)で,ブログを始めて40日目ということになります。この日のブログはこちら

さて,前日,1月5日から6日間にわたる18きっぷ旅行から帰宅しましたが(昨日のブログ参照),この日はよく眠れています。前日までの18きっぷ旅行では,乗車予定の電車の出発時刻がめちゃくちゃに早かったりして,あまり良い睡眠がとれていませんでした。そのせいで不足した睡眠を取り戻すかのように,この日はよく眠れています。


具体的には,この日の「SleepCycle」を見ると(「SleepCycle」についてはこちら),午前0時23分に布団に入って直後に寝つき,朝の8時43分までぐっすり眠っています。睡眠点数も93点/100点と非常に高く,質の良い睡眠がとれたことがうかがえます(この点数は,SleepCycleで睡眠を記録し始めた前年の12月16日以降,最も高得点です)。(なお,逐一睡眠時間を記録する理由はこちら

ぐっすり眠れて調子を取り戻した僕は(前日までは睡眠不足でそれほど調子がよくありませんでした),旅行で途絶えていた「午前中の散歩」という日課を再開しています。午前9時56分に自宅を出て散歩に出かけ,帰りにスーパーへ寄って,10時19分に帰宅しています。

毎日フルタイムで出勤できるようになった現在からは不思議に思えますが(とはいえ,今も出勤しているだけで業務には携わっておらず,給料も支払われていません),この当時は,ぐっすり眠れて朝から調子が良くても,8時43分に起床して,9時56分に散歩に出かけるのがやっとでした。その散歩も,ほんの20分ほどで切り上げていますし(笑)。まだまだ回復の途上でした。

10時19分に自宅に戻った後は,午後3時まで自宅で過ごし,整体に行っています。午後3時49分には帰宅し,午後5時14分から夕飯を食べに自転車で出かけ,午後6時23分に帰宅しています。この日は,睡眠の調子が非常に良かったので,全体的にかなり調子良さそうです。

・1月12日㈰:この日も前日に引き続きよく眠れています。SleepCycleを見ると,0時8分に布団に入ってすぐに寝つき,朝の8時34分まで熟睡しています。睡眠品質も90点/100点で,かなり良いです。朝は9時33分から散歩に出かけ,前日に引き続き,スーパーを経由して10時6分に帰宅しています。それから午後4時53分まで自宅に引きこもり,そこから,同僚と鳥貴族へ飲みに行っています。鳥貴族の後は「南陽倶楽部」で〆のニンニクチャーハンを食べています。

調子の良い日が続いたので,誰かと一緒に飲みたくなったのです(調子が悪い日は,誰かに会えたもんじゃないのですが,その反面,調子は良い日が続くと,うれしくて,友達に会いたくなってしまいます)。しかも,南陽倶楽部では飽き足らず,その後サイゼリヤにも行っています。3軒も飲み歩いているとは,調子の良さがよほど嬉しかったのでしょう。

今から振り返ると,調子良い・悪いに一喜一憂しても仕方ないのになあと思ってしまいます。調子良い日が続けば,また必ず調子の悪い日がやってきます。もちろん,調子の悪さの「下限」が,回復するにつれてだんだんと上昇していきます。例えば,僕の場合,昨年の秋ごろは,調子悪い日は眠剤を飲まなきゃいられないほど,睡眠に対する不安や恐怖におののいていましたが,今現在は,調子が悪い日であっても,寝つきの悪さが症状として現れるだけで,不安や恐怖に襲われることはなく,なおかつ,寝つきの悪さも,首にマッサージ機をあてて耳栓をすると改善されます(気づいたら寝てます)。このように,「調子が悪い日」のマックスが,だんだんと改善されていく,これを比喩的に,「下限が上昇していく」と書いたわけですが,そんな感じで,うつ病の回復は進んでいきます(僕の肌感としては)。

だから,調子の良い日→悪い日のループはいつまでも続きます。そうすると,調子良いのを喜んだからといって,またすぐに調子が悪い日が来るわけで,喜んだらそのぶんだけ,その次にやってくる調子の悪い日が,より一層メンタルに大ダメージを与えてしまうので,調子の良い日に無邪気に喜ぶのは得策じゃありません。

でもねぇ,理屈だけじゃ人間はできていないのです。調子が悪い日が続いた後に調子の良い日が来ると,それはそれは嬉しいもんです。その「嬉しい」という感情は簡単に止められるものじゃありません。だとすれば,調子の良さに無邪気に喜んだ後に,その喜びのせいで,後日やってくる調子の悪い日に,より一層メンタルにダメージを受けてしまうのは避けられないのかもしれません。

喜びも避けられず,メンタルへのダメージも避けられないのなら,甘んじて受け入れるしかありませんな,こりゃ(笑)。「一喜一憂するべきじゃない」ってうつ病の回復期について検索すると出てきますが,「一喜一憂しない」ということが難しいんですよねぇ。調子の良いことに喜ぶ気持ちは自然と発生するものですから,それを押さえつけることなんてできないし,その「喜び」のせいで,より一層大きくなってしまうメンタルへのダメージも,これを回避するのはかなり難しいでしょう。

「一喜一憂しちゃだめだ!」なんて思わず,「どうせ一喜一憂してしまうから,仕方ない!」と思ったほうがラクな気がします。一喜一憂する性格を修正するのではなく,「自分は一喜一憂してしまう人間なんだ」ということを前提に,一喜一憂を受け入れたほうが得策だと思います。

一喜一憂してても,回復していきますよ。僕がその具体例です(笑)。

この日のブログはこちら

・1月13日㈪:さて,前日は,夜に3軒もはしごして飲み歩いているほど,元気が有り余っていたわけですが,この日のSleepCycleを見ると,前日にはしゃぎすぎたせいで調子を崩すことはなかったようです(だいたいの場合,はしゃぐと調子を崩してしまうのですが)。この日は,飲み歩いて帰宅した後,午前0時58分に布団に入り,2時頃まで寝つけなかったようですが,その後深い眠りに入り,午前10時5分まで熟睡しています。睡眠点数も97点/100点で,めちゃくちゃに高得点です。間違いなく,ぐっすり眠れています。

ぐっすり眠れて調子も良いはずですが,活動開始はかなり遅めです。午前11時52分に散歩に出かけ,ドラッグストアとスーパーを経由して,午後1時6分に帰宅しています。ドラッグストアには39分間も滞在していますが,何をしていたのかさっぱり思い出せません。とはいえ,ぶらぶら買い物できるほどに調子が良かったんだと思います。調子悪い日は買い物しているだけで疲れてしまうので,さっさと帰ってしまうと思いますから(笑)。

この日の外出はこれだけで,午後から夜までずっと「ポジティブな引きこもり」ライフを満喫しています。

この日のブログはこちら

→今日はここまで

【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症413日目)】

・今日できた仕事・勉強

今日は出勤しました。午前9時~午後6時(定時)まで滞在予定です。今日は『沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか』を読んでいました。

「瀬島龍三」は,対米戦争開戦時に日本陸軍の参謀本部の作戦課にいた軍人です。タイトルにこの人の名前が出ていて,この人がテーマになっているのは間違いないのですが,開戦当時,瀬島が作戦課の課長だったわけでもなく,責任ある立場にあったわけではないので,対ソ戦争(北進)から対米戦争(南進)に転換したキーマンとはいえないと思います。とはいえ,ヨーロッパでのドイツ戦線(フランスやオランダとの戦争)を見て,「このビッグウェーブを逃すな」とばかりにフランスやオランダの植民地を狙って東南アジアに侵攻したという(いわゆる「南部仏印進駐」),開戦のきっかけとなった出来事を引き起こしてしまった意思決定に瀬島龍三が関与していたことは間違いないでしょう(南部仏印進駐を受けてアメリカが石油禁輸措置をとり,対米戦争に至っている)。瀬島の立ち位置は,情報をまとめて軍内の情報伝達+交渉という役回りで,その役回りが,南部仏印(ベトナム南部)への進駐を決断することに寄与していたのですからね。

こういった,瀬島の「調整役」としての才能は,戦後もフルに活用されます。そもそも,瀬島は,敗戦時満州にいました。1945年8月9日,ソ連軍が満州に攻め込み,満州にいた日本軍=関東軍は武装解除されました。武装解除された関東軍の兵士たちがシベリアに送られ,強制労働させられたのが,いわゆる「シベリア抑留」です。瀬島も「シベリア抑留」の被害者でした。しかも,対ソ戦の侵略戦争の計画を立案したとして,25年の強制労働を命じる判決を言い渡されています。結果的に,25年もの強制労働はなされませんでしたが,多くの日本軍兵士が日本に戻るよりも大幅に遅れて,1956年,日本に帰国します(1949年頃には,多くの日本軍兵士が帰国しています)。

で,瀬島は,帰国後,伊藤忠商事の商社マンとして働き,「陸軍参謀本部作戦課にいた軍人」という肩書を生かして,大物政治家とのコネクションを持ち,そのコネクションを生かして,戦後賠償ビジネスなどを成功させています。

この「戦後賠償ビジネス」というのも初めて知ったのですが,例えば,日本は,インドネシアとの間で,戦後賠償を現物で支給することを約束したんですが,当然,現物(工場や道路などの建物)を支給したら,建物を建てた代金を,建築業者がインドネシア政府に請求しなきゃならないわけですが,その代金は,日本政府が保証することになっていました。つまり,ほぼ確実に代金を回収できる,大規模な建築ビジネスが,戦後賠償ビジネスだったわけです。で,このビジネスに,大手商社が群がりました。インドネシア政府とのコネクションをいち早く形成し,日本の建築業者との仲介役になれれば,仲介料(マージン)をたくさんもらえる,という算段です。しかも,仲介料も含めた建築代金は,日本が保証してくれているわけですから,こんな良い商売はありません(笑)。

こういった「税金に群がる」システムは,何も戦後賠償ビジネスだけじゃありません。『日本国の研究』で猪瀬直樹が指摘しているとおり,日本国内で,戦後ずっと繰り返されてきました。今もなお,繰り返されているでしょうね。

もうこれ以上やめてくれと心から思いますが,まあ,お金の教育を誰からも受けないまま,「お勉強」だけしてエリートとなった人たちが役人として税金を扱っているわけですから,この状況は変わらないでしょうね。

お金に関する国民のリテラシーは今後も改善されないだろうから,無駄遣いしてしまう人たちが今後も議員として選出され,税金を食い物にしていくでしょう。

・仕事・勉強以外に今日やったこと

特にありません!

【今日のうつ病】

昨晩は午後11時3分に布団に入りました。毎晩午後11時には布団に入るという目標をだいたい達成できています。今朝は7時38分に目が覚めていて,睡眠時間は十分です。睡眠点数も86点/100点と高得点です。暑さがほんの少しだけ和らいできたので,睡眠の質が向上したと思われます。朝は「まだ寝ていたい」感がありましたが,ほどなく,ベッドから出て,出勤できました。朝からバーピージャンプ20秒×2回と腹筋20秒×1回もできましたし,午後1時頃と午後4時頃に「炎天下散歩」も実践できました。調子は良いです。

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!

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