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「インクルーシブ学童」の記事を読んで率直に感じたことと、言葉や実践をどこまで深めていけるかが社会の今後の課題になる話

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先日こんな記事を拝見しました


「インクルーシブ」って言葉や実践をどこまで深めていけるかが

社会の今後の課題になっていくと思います

美談、綺麗事だけ並べて「幅を狭める」ことで「インクルーシブ」は「呪い」となります

どういうことか

「インクルーシブ」を取り扱う大人の見識が狭ければ簡単に道を間違えます

例えばこの記事も見ようによっては

・一緒の空間にいることが正しい

・障害を持ったお子さんのお世話をすることが正しい、良いことだ

・どの子が発達障害か知的障害か区別がつかないような環境が良い

みたいに捉える人もいるじゃないでしょうか

それはものすごく上澄みの部分だと感じています

・一緒の空間に入れないお子さんもいる。どう対応しますか?

・「関わりたくない」というお子さんもいます どう対応しますか?

・どの子が発達障害か知的障害か分からないのはそれはまた別の問題じゃないか?

・そもそも一緒の空間にいることがいいことなのか?

この記事だとそのあたりの疑問は残りますし、そこを見ようとしているでしょうか

この疑問はそのまま「お子さんの疑問」「大人の疑問」なのです。そこに明確に誠実に対応できなければ

「大人の考える理想的な、独善的な、美談的なインクルーシブをお子さんに押し付ける形」

になります

これが生涯に渡る「呪い」につながります。近いもので「学校のお世話係」がそれに当たります

どんな結末や結果を招いたか…みなさんご存じなのではないでしょうか

お互い幸せになりましか?

理解し合えましか?



例えば

知的障害のお子さんがよだれをだしていて、それに対して他児がどう関わるかを支援者が伝える場面

「拭いてあげる」ことが「正しい」と思ってる人は「拭いてあげること」だけしか伝えられません

・「拭かない」という選択肢の提示

・「よだれでてるよ」と伝えるだけでもいい

・「いやだ」と言ってしまうお子さんもいていい

そういった様々視点からみて、お互いに「居心地のいい空間」を作っていくことが重要なのです

そもそも「インクルーシブ」は誰かに押し付けるもの、限定的に誰かが享受するものではないのです

一人一人が生きやすく、個別性が許され、多様なものなのです。そして双方向なものなのです

「障害のあるお子さん」はピックアップされていますが、ここでいう「健常のお子さん」の個別性や多様性は認められていますか

という話も深めていかなければなりません

子どもである以上、苦手なこと、困っていることがあります
そこに優劣をつけていませんか? という話は思考にあるでしょうか



「インクルーシブ学童」という名付けにも疑問が残ります

本来、お子さんと関わる全ての場所(保育園、幼稚園、子ども園、学校、学童、放課後デイ、児童発達支援等)は「そういった環境」である必要があるのです

わざわざ「インクルーシブ」を名乗る意味はないのです

それどころか今の日本の現状だと、「じゃあここに任せよう」という思考にすぐ行きつくんじゃないでしょうか

自分にとって無知なこと、都合の悪いことはみないようにするところ多いじゃないですか 

今の子供に関わる全ての施設…

これも、「インクルーシブ」という概念の未成熟から起こること だと考えます


この記事のいたるところに「未成熟な部分」が散見されます

・障害児にも健常児にもお互いにプラスになる
→お互いにプラスにならないと一緒にいてはいけないのか?

・障害のある子もない子も互いに理解し合って友だちになれるように
→友達になる必要はあるのか?

重箱の隅をつくようなことですが、この「重箱の隅」がとても大事なことです

私自身、この「インクルーシブ」について死ぬほど考えて仕事をしていました

「待ってくれない子ども達の疑問、行動」に対して「自己矛盾」と日々葛藤しながら実践の場にいたのです

脳みそとけるかと思ってましたよ

「本当にこれでいい対応だったか」

と…ずっとの気持ちは消えないんですし、悩み続けるものだと思っています

逆にいうと「これが正解」と結論を出しているようなものには「本当かよ」とかなり懐疑的な見方をしてしまいます


子ども達、ご家族を中心に考えると「出る言葉」と「出せない言葉」があります
「言葉を尽くす必要性があること」があります

この記事、私にとっては「出せない言葉」「足りない言葉」であふれている印象なのです

「試み」としては応援したいところです。ただ、ここから様々な事例が起こってくるでしょう

それに対して自分たちの「インクルーシブの幅、引き出し」を増やしておかないと支援者、被支援者側もとても辛いことになります

社会が「インクルーシブ」に対しての理解を踏み外さないかどうか

動静はこれからも確認していきたいと考えます

以上になります

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。
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質問等あれば、書き込んでいただければと思います

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