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「子どもの成功=自分の成功」になっていませんか?

「子どもの成功をひけらかす」
「子どもが成功するために他人を出し抜く」

という人ばかりに囲まれている時期がありました。


私は自慢されることが嫌いです。
自分のことしか考えない人も嫌いです。


だから、そういう人達のことを
とても「腹立たしい」と思っていました。


でも、今考えると
腹を立てるということは、
「私も同じ」だった
ということになります。

同じ価値観だからこそ、
それを見せつけられて
腹を立てていたのです。

認めたくありませんが、
実は、「私もそれをやりたかった」
ということなのでしょう。



その時の私は、
「あの子には負けたくない」
「この子に抜かれるのはダメだ」と
まるで自分のことのように
具体的なライバルまで認識していました。

そのためにはどうすればいいのか
計画を立てたりもしていました。

「娘が」ではなく、「私が」です。

娘のライバルを私が認識し、
娘がやるべき計画を私が立てる

そのくらい、自分のことのように
喜んだり悔しがったりしていたということです。

そして、
それをやっている時は
周りにも「同じ様な人達」が
集まってきていました。

まさに、「類は友を呼ぶ」です。

その中で
「相手からいろんなものを吸い取ろうとする渦」
「出し抜こうとする渦」が出来ていき、
当然私も
その中にぐるぐるに巻き込まれていきました。

気持ちがどんどんドロドロに濁っていくのが
自分でもわかっていましたが
もう、どうしようもなくなっていました。


そこから救ってくれたのは娘でした。


ある時を境目に
私が頑張っても頑張っても
娘の結果が出なくなり始めました。

娘の成績はどんどん下がり、
やる気をなくし、
生活態度も悪くなり、
体調を崩していきました。

私が「何かがおかしい」と気付くまで
それは続きました。

とことん追い詰められていきました。

でも、そのおかげで
私は何かが「間違っている」ということに
気付くことが出来ました。



子どもは自分ではありません。

自分のことでさえ
思い通りにするのは難しいのに
私のおかげで子どもが成功した」とか、
ましてや、
子どもが出した結果を
「自分の成功」のように思うなんて、
どうにかしていました。


そして、「子どものために」というのも
実は「言い訳」なのかもしれません。



以前の記事でも書きましたが、
私の人生の課題
「堂々とする」ということがあげられるのですが、
その課題の解消を
子どもに手伝ってもらおうとしていた
のかもしれません。

自分が「堂々とする」自信がないから、
「子どもの成果」を自分の「自信のもと」
しようとしていたのかもしれません。

「まるで自分のことのように本気になっていた」理由が、
「自分がやれないことを子どもにやってもらっているから」
だとしたら、とても恥ずかしい事です。


同じように、
感じている人がいるとしたら
考えてみてください。

今あなたがやっているそれは、
本当に「子どものため」でしょうか?


「もっとこういう人生にしたかった」
「本当はこういうことをやりたかった」


誰かに自分のできないことをやってもらおうとせず
自分の課題は自分で取り組むと腹をくくりましょう。

私もそうします。

子どもの成功は、子どもが頑張った結果です。

私の成功は、私が頑張った結果です。

あなたのやりたかったことは、
あなたがやるしかありません。


↑「人生の課題」については、こちらでお話しています。


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